第二十三話:甘い日常の裏で……現れた『もう一人の後継者』
神代かぐやとの死闘を制し、校舎を覆っていた禍々しい紫の暗雲が去ってから数日。
俺と五人のヒロインたちの関係は、20話で強引に決定した『放課後シェアリング』のおかげで、ますます加速度的に深まっていた。
「航平、あーん」
「ちょっと美沙、自分の家のお弁当を航平くんに食べさせるなんてズルいですよ」
「白石さんこそ、図書室で借りてきたオススメの本を航平に押し付けてるじゃないですか!」
「渡辺くん、クレープの新作、今日の一番最初のシェアリングで一口食べてほしくて……」
「お黙りなさいな! 金曜日の我が家での紅茶デートに向け、航平さんは舌を肥やしておかなければならないのですわ!」
昼休みの屋上。俺を囲んで弁当や本や試食用のクレープを差し出してくる美沙、白石、新田、紬、麗奈の五人。
指輪を通じて伝わってくるのは、以前のような不安やトラウマの重苦しい声ではない。
『航平と二人っきりの放課後、楽しみすぎる……!』
『今日こそ渡辺くんと手を繋ぐ約束を取り付けます!』
『渡辺の隣は譲らないんだから!』
『私だけを特別扱いしてほしいな……』
『航平さんったら、私があげた高級クッキーを一番嬉しそうに食べていましたわね……ふふ』
溢れんばかりの純度百パーセントの愛と好意。
俺の左手小指に嵌まった銀の指輪は、彼女たちの温かい情熱に包まれ、まるで日向ぼっこでもしているかのように心地よい微熱を帯びていた。
(……平和だなあ)
俺は心底そう思いながら、美沙の作った卵焼きを頬張った。
あやかしの恐怖も、二千万円の借金も、怨念の呪いも乗り越えた。これからは、この学校いち可愛い五人のお姫様たちと、甘くてドタバタな日常を謳歌すればいいのだ——。
そう、この時の俺は呑気に考えていたのだ。
嵐の後の静けさというものが、どれほど束の間の幻であるかを思い知らされることになるとも知らずに。
◆
午後のホームルーム。
担任の美咲先生が、パンパンと教壇を叩いて教室の生徒たちの注意を引いた。
「はーい、みんな席についてー。今日は急なんだけど、みんなに新しい転校生を紹介しまーす」
「転校生……? こんな時期に?」
美沙が不思議そうに首をかしげる。
俺もなんとなく教室の扉に視線を向けた。
「じゃあ、入ってきてー」
ガラガラ、と扉が開く。
次の瞬間、教室中の女子生徒たちから「きゃあああっ!?」という悲鳴にも似た歓声が上がった。
「うそ、超絶イケメン……!?」
「モデル……!? ハーフのモデルさん!?」
歩み寄ってきたのは、すらりとした長身に、流れるような銀に近い灰髪の短髪、そして引き込まれるような鮮烈な琥珀色の瞳を持った『美少年』だった。
うちの学校の男子制服を完璧に着こなし、モデル顔負けのスタイルで教壇の脇に立つ。
「初めまして。今日からこのクラスに編入することになりました、神楽坂蓮です。よろしく」
すっと涼しげな笑みを浮かべ、低い爽やかな声で挨拶をする神楽坂。
その瞬間、クラスの男子生徒たちからは嫉妬の溜息が漏れ、女子生徒たちは一気に色めき立った。
(うわぁ……漫画から飛び出してきたような完璧なイケメンだな……)
俺が他人事のように感心していた、その時だった。
——ズキリッ!
「……っ!?」
左手の小指に、まるで冷たい氷の針を刺されたかのような激痛が走った。
指輪が……警報を鳴らしている!?
『航平、気をつけろ!』
脳内で、指輪の精・小夜の緊迫した声が響く。
(小夜!? 一体どうしたんだよ!?)
『あの男……違う、あの者から感じる霊気は、普通ではない! それに……!』
「ん……?」
教壇に立っていた神楽坂蓮が、ふっと視線を動かし、まっすぐに俺の席……いや、俺の『左手の小指』を見つめてきた。
その琥珀色の瞳に、冷ややかな、そして挑発的な光が宿る。
「神楽坂くんの席は……あ、渡辺くんの隣が開いてるわね。あそこに座ってちょうだい」
「はい、美咲先生」
神楽坂はゆっくりと歩を進め、俺の右隣の空き席へと近づいてきた。
教室中の女子たちがその一挙一動に目を奪われている。
そして、俺の机の横を通り過ぎる一瞬——。
神楽坂は俺だけに聞こえるような低い囁き声で、ボソリと言い放った。
「——見つけたぞ。宗次郎師匠の指輪を横取りした、出来損ないの孫」
「……なっ!?」
俺は息を呑んだ。
宗次郎……爺ちゃんの名を知っている!?
神楽坂は俺の驚愕の表情を見ると、満足そうにニヤリと不敵な笑みを浮かべ、そのまま右隣の席に腰掛けた。
◆
放課後。
ホームルームが終わると同時に、神楽坂の席の周りには人だかりができた。
「神楽坂くん! どこから転校してきたの!?」
「好きな食べ物は!? 彼女とかっているの!?」
「あはは、順番に答えるよ。海外のスクールから戻ってきたばかりでね。彼女は……今、意中の相手を追っかけてるところかな」
女子たちに完璧なスマイルで神対応をする神楽坂。
だが、その間も神楽坂の鋭い視線は、俺から一度も外れていなかった。
(あいつ……一体何者だ……?)
俺が鞄を抱えて席を立とうとした時、美沙たち五人が一斉に俺の周りに集まってきた。
「航平、今日のシェアリングは私とのカフェデートだからね!」
「渡辺くん、私も途中まで一緒に……」
ヒロインたちが俺を取り囲んだ、その瞬間。
「やあ、君たちが噂の『お姫様たち』かい?」
人だかりをすっと割って、神楽坂蓮が俺たちの会話に割り込んできた。
白石や新田が「え?」と肩を跳ねさせる。
神楽坂は優雅な所作で麗奈の前に立つと、その手を取ろうと身を乗り出した。
「九条家の令嬢に、白石家の優等生、陸上のエースにアイドル少女、そして幼馴染……なるほど、宗次郎師匠の遺した『魔除けの力』を、そんな風に女たらしの道具として使っているわけだ。酷い言い草だね、渡辺航平」
「神楽坂……お前、爺ちゃんの何なんだよ!」
俺が問い詰めると、神楽坂はフッと鼻で笑い、自分の胸元に手を当てた。
「僕はね、渡辺宗次郎の唯一の『一番弟子』だよ」
「「「「「弟子……!?」」」」」
美沙たちも驚きに目を見張る。
「師匠は僕に、あやかしの知識も、彫金術の真髄もすべて叩き込んでくれた。僕こそが、宗次郎師匠の真の後継者だ。……それなのに、師匠が死んだ途端、その形見の指輪は、何の才能もない血縁だけの孫(君)の手に渡った」
神楽坂の琥珀色の瞳が、氷のように冷たく澄み渡る。
「納得がいかないんだよ。そんな指輪の力に頼って女を侍らせているだけの優柔不断な男に、師匠の最高の傑作(指輪)が嵌められているなんてね」
「何ですって……!?」
麗奈が扇子を握りしめ、眉をひそめる。
「航平さんは、指輪の力だけで私たちを救ったわけではありませんわ! あなたのような無礼者に、航平さんを愚弄される筋合いはありません!」
「そうよ! 航平は自分の命をかけて私たちを守ってくれたんだから!」
美沙も新田も、神楽坂に向かって威嚇するように前に出る。
だが、神楽坂はまったく動じず、クスクスと愉しそうに笑った。
「へえ……すっかり懐かされているんだね。でもさ、僕が『本気』を出したら……君たちの心なんて、一瞬で僕のものに上書きできるとしたら、どうする?」
神楽坂がゆっくりと自分の右手の袋を脱いだ。
その細く美しい人差し指には——鈍い漆黒の光を放つ、『黒銀の指輪』が嵌められていた。
——ズキンッ!!
俺の左手小指の銀の指輪が、狂ったように激しく脈打つ。
『航平、あれは……!』
脳内で小夜が息を呑むのが分かった。
『宗次郎様が、若かりし頃に封印した対の指輪……人の心を惑わし、魅了する『黒の邪環』……!』
「さあ、勝負しようか、渡辺航平」
神楽坂蓮は、不敵にニヤリと口角を上げた。
「僕が君からその指輪を奪い取るか。あるいは……君のその愛しい『お姫様たち』を、僕が全員奪い去って、僕の正妻にしてあげるか。……正々堂々、奪い合いといこうじゃないか」
「ふざけるな! 誰がお前なんかに……!」
俺が怒りを露わに一歩踏み出した、その時だった。
神楽坂の制服の胸元がわずかに乱れ、シャツの隙間から——チラリと、柔らかな膨らみと、華奢な鎖骨が覗いた。
(……え?)
俺は目を見開いた。
指輪を通じて、神楽坂の身体から微かに流れ込んでくる『本音の波動』。
『ふん、どいつもこいつも航平、航平って……! 宗次郎師匠の指輪にふさわしいのは、こんな男じゃない!……私の方が、ずっとずっと昔から、宗次郎師匠のことを……航平のことを探していたんだからな……!』
(……私……?? ボク……??)
俺は固まった。
圧倒的な美少年。
完璧なイケメン転校生。
爺ちゃんの一番弟子。
——目の前にいる「神楽坂蓮」は……完璧な『男装美少女(ボクっ子)』だったのだ!!
「……おい、お前……まさか……」
「ふふ、恐怖で声も出ないかい? 覚悟しておくといい、渡辺航平。君の放課後も、その指輪も……すべて僕がいただく!」
自分が『女』だとバレているとは露ほども思っていない男装美少女・神楽坂蓮は、キザにポーズを決めながら、自信満々に宣戦布告をして教室を去っていった。
残された俺と、メラメラと嫉妬の炎を燃やすヒロイン五人。
「航平……あんなキザ男に負けちゃダメだからね!」
「そうです渡辺くん! 私たちの絆を見せてやりましょう!」
(……いや、あいつ、思いっきり女の子なんだけど……!?)
爺ちゃんの隠された過去と、新たに現れた「男装美少女の弟子」。
波乱に満ちた、俺のハーレム争奪戦・第二章の幕が、今ここに切って落とされたのだった——!




