第二十二話:暗闇を切り裂く絆と、小指に咲く黄金の花
「ぐああぁぁぁぁぁっ……!?」
視界が、ぐにゃりと歪んだ。
教室の風景はかき消え、俺の意識はどす黒い怨念が渦巻く「絶望の精神世界」へと引きずり込まれていた。
氷のように冷たい闇。その中心で、狂乱した女の叫び声が鼓膜を殴りつけてくる。
『許さない……許さない……! 男など皆、口先だけの嘘つき! 愛していると言いながら、私を道具として扱い、最後は冷たい井戸に突き落とした……! なぜあの女たちばかりが笑っているの!? 壊してやる……その心を、絶望で満たしてやる!!』
それが、昭和の初めに命を絶った悲劇の巫女――「神代かぐや」の呪詛だった。
無数の黒い手が闇から伸び、囚われた五人のヒロインたちの身体を絡め取っている。
「嫌……離して……! 私、もう一人になりたくない……!」
闇の底で泣き叫ぶのは美沙だ。妹を救えなかった過去の無力感に押し潰されそうになっている。
「白石! 新田! 紬! 麗奈! 美沙!!」
俺は叫びながら、暗闇の中をがむしゃらに走り出した。
足を踏み出すたび、かぐやの激しい怨念が皮膚を焼き、脳ミソを直接引きちぎられるような激痛が走る。小指の指輪からは、ボタボタと赤黒い血のような霊気が吹き出していた。
『愚かな男よ……! 他人の絶望まで引き受けて、自滅するつもりか!?』
かぐやの影が巨木のような大蛇となって俺に襲いかかる。
「うるせえええええっ!!」
俺は痛む左手を振りかざした。
その時――俺の背後に、ぬっと温かい気配が立ち昇る。
着物姿の小さなあやかし――小夜だ。
「航平様、お下がりを! 宗次郎様の孫であるあなたを、あのような古き怨霊に殺させはいたしません!」
小夜が透き通るような白銀の妖力を放ち、大蛇の顎を間一髪で押し止める。
「小夜……! ありがとな!」
「感謝は後です! 航平様、あなたの指輪は今、あの子たちの『想い』で満ちています! 彼女たちの手を掴み、あなたの心を見せておやりなさい!」
「おうよっ!!」
俺は小夜の白光を纏い、闇の中へ突っ込んだ。
まず最初に辿り着いたのは、膝を抱えて震える美沙の前だ。
「美沙!」
「航平……? 来ちゃダメ……! 私、航平の足手まといで……また大切な人を守れなくて……」
「バカ言え!」
俺は伸びてきた黒い影を素手で殴り飛ばし、美沙の小さな手を強く握りしめた。
「お前はいつだって俺の幼馴染で、一番近くで俺を支えてくれたろ! 九条家のお掃除の時だって、真っ先に駆けつけてくれたじゃねえか! お前が足手まatoiなわけあるか!!」
「……っ、航平……!」
美沙の瞳に光が戻る。指輪を通じて、彼女の心が『航平……やっぱり、大好き……!』と力強く跳ね上がった。美沙を絡め取っていた闇が、一気に弾け飛ぶ!
勢いのまま、俺は白石葵のもとへ飛んだ。
「白石! メガネを上げて俺を見ろ!」
「渡辺……くん……。私、誰も見てくれない優等生なんて……もう嫌……」
「俺が見てる! ずっと見てるだろ!」俺は白石の肩を強く抱き寄せた。「お前が陰で努力してるのも、図書室で一生懸命本を整理してるのも、俺は全部知ってる! 白石葵は、誰がなんと言おうと最高にカッコいい優等生だ!」
「〜〜〜っ! 渡辺くん……っ!」
白石の胸の奥から湧き上がった純度100%の情熱が、かぐやの呪いを打ち破る!
「次は新田だ!」
足を抱えてうずくまる新田遥の前に躍り出る。
「渡辺……私、もう走れない……」
「走れなくたっていいって言っただろ! お前が陸上部で笑ってる顔が、みんなの救いなんだよ! 新田遥の走りは、誰かの心を動かすんだ!」
「……っ! 渡辺のバカ……! 追いついてみせるって、言っただろー!!」
新田が力強く立ち上がり、自力で闇を蹴破った!
「紬!」
「渡辺くん……私、アイドルなんて無理……」
「無理なもんか! 文化祭のあのステージ、お前は世界で一番輝いてた! 俺はお前のファン第一号なんだぞ! 夢を諦めさせるかよ!」
「……はいっ! 私、渡辺くんだけのアイドルになります!」
紬の瞳から溢れた大粒の涙が、闇を綺麗に浄化していく!
そして最後に――プライドを砕かれ、小さな子供のように泣いていた九条麗奈のもとへ。
「九条!」
「航平さん……! 来ないで……私、醜い九条の血を引く女ですわ……誰にも愛される資格なんて……」
「うるせえお嬢様! 資格なんて俺が決める!」
俺は麗奈の華奢な身体をガバッと強引に抱きしめた。
「お前が俺を助けようとしてくれたこと、二千万円の返済を一緒にお願いしてくれたこと、俺は忘れてねえ! 高慢で、強がりで、でも誰よりも心優しい九条麗奈が……俺は愛おしくてたまらねえんだよ!!」
「あ……あぁ……っ、航平さん……っ!!」
麗奈が俺の胸に顔をうずめ、激しく号泣する。彼女の純粋すぎる愛が弾けた瞬間、周りの絶望の闇が完全に崩壊し始めた。
『な……何なのだ、この男は……!?』
神代かぐやの悲鳴が闇に轟く。
『男など……男など、女を傷つけるだけの存在のはず……! なぜこれほどの女たちが、お前一人のために命を光らせるのだ!?』
五人のヒロインたちが俺の後ろに立ち、俺の背中や肩にそっと手を重ねてくれた。
美沙の温かさ、白石のまっすぐさ、新田の力強さ、紬のしなやかさ、麗奈の気高さ。
五人の「本音」と愛が指輪を通じて俺の体内に流れ込み、黄金色の巨大な濁流となって小指へ集約されていく。
「かぐや……お前が昔、酷い男に裏切られて傷ついたのは本当なんだろうな」
俺は怨念の大蛇を見上げ、静かに、しかし力強く言い放った。
「だがな! 世の中の男が全員、クソ野郎だと思うなよ! 俺のじいちゃんも、俺もな……惚れた女の涙をそのままにして逃げるようなダサい生き方は絶対にしねえんだよ!!」
『無礼者がああああっ!!』
かぐやの大蛇が、最後の怨念を込めて俺たちへ襲いかかってくる。
「小夜! みんな! 力を貸せえぇぇぇつ!!」
俺は左拳を握り締め、黄金色に輝く小指の指輪を怨念の真っ只中へと突き出した。
じいちゃんから受け継いだ魔除けの力、小夜の妖力、そして五人のヒロインたちの「愛」が一つになり、目も眩むような黄金の極光となって弾け飛んだ――!!
「――『爺ちゃんの形見を……舐めるなッ!!』」
ゴォォォォォォンッ!!!!!
暗闇が破裂した。
怨霊の悲鳴は、やがて「温かい涙」の残響へと変わり、紫色だった世界が、美しい茜色の夕焼けへと塗り替えられていく。
◆
「……ん……あ……」
ハッと目を覚ますと、そこはいつもの放課後の教室だった。
窓からは優しい夕日が差し込み、黒板や机をオレンジ色に染めている。紫色の禍々しい霧は、跡形もなく消え去っていた。
「航平……! 航平……っ!」
「渡辺くん、気がつきましたか!?」
目を開けた瞬間、美沙と白石がボロボロと涙をこぼしながら俺の顔を覗き込んできた。新田も、紬も、麗奈も、全員が無事で、安堵の表情を浮かべている。
「みんな……無事か……?」
「無事なわけないでしょ、バカ! 航平が急に倒れるから……私、心臓が止まるかと思ったんだから!」
美沙が俺の胸に飛び込んできて、ぽかぽかと拳で叩いてくる。
「本当に……恐ろしい体験でしたわ」麗奈が胸を押さえ、少し赤い顔で俺を見つめる。「ですが……あなたが私を抱きしめてくださった時の言葉……嘘ではありませんわね?」
「えっ……あ……」
思い出した。精神世界でテンパっていたとはいえ、俺はヒロインたち一人ひとりに、気恥ずかしすぎる「超絶・殺し文句」をぶちまけてしまっていたのだ。
「『白石葵は最高にカッコいい』……でしたっけ? ふふ、一生忘れません」白石が耳まで真っ赤にしながらニヤリと笑う。
「『お前が陸上部で笑ってる顔が救い』かー! 参ったな、一生陸上続けなきゃ!」新田が照れ隠しに首をかく。
「『俺はお前のファン第一号』……渡辺くん、私、もっと頑張りますね!」紬が愛おしそうに俺の手を握る。
「〜〜〜〜っ!?」
俺は顔から火が出るほど赤くなった。逃げ場がない!
(おい、小夜! 助けてくれ!)
心の中で助けを求めると、脳内で小夜のクスッと笑う声が聞こえた。
『ふふ、航平様。自業自得にございます。ですが……見事なお手前でした。宗次郎様も、きっと天国で鼻を高くしておりますよ』
左手の小指を見ると、銀の指輪は静かに落ち着きを取り戻し、かすかに温かい余韻を残していた。
過去の怨念を打ち破り、ヒロインたちとの絆を完全なものにした俺。
だが、この日を境に、彼女たちの俺に対するアプローチが「遠慮のない本気」モードへとシフトしたことを、俺はまだ知る由もなかった——。




