第二十一話:迫り来る『紫の暗雲』と、届かない叫び
校舎の窓から見上げる空は、まるで不吉な塗料をぶちまけたかのように、不気味な紫色に染まっていた。
急激に冷え込んでいく空気。放課後の校舎を包む静寂は、いつの間にか重苦しい圧迫感へと変わっていた。
「航平……なに、これ……? お天気アプリ、晴れって言ってるのに……」
美沙が震える手でスマホの画面をかざす。画面には「快晴」の文字。だが、目の前の景色はどう見ても異常だった。
「渡辺くん、私……なんだか息が、苦しいです……」
白石が胸を押さえ、その場に膝をつきかけた。見れば、新田も、紬も、そして麗奈すらも、顔から血の気が引き、肩を揺らして激しく呼吸を乱している。
(まさか、女の子たちだけが……!?)
「みんな、大丈夫か!?」
俺が駆け寄ろうとした瞬間、左手の小指にある銀の指輪が、皮膚を焼きちぎるような激痛を放った。
『ぐっ……! 航平、そいつらに近づくな!』
脳内で、指輪の精が悲鳴に近い声で叫ぶ。
(おい、精! 一体何が起きてやがるんだよ!? この紫の雲はなんなんだ!)
『霊障だよ……! それも、ただの怪異じゃねえ。半世紀以上前、お前のじいちゃん――宗次郎が、命がけでこの街の地脈に封印した「ある女の怨念」だ!』
(じいちゃんが封印した……女の怨念!?)
『そうだ。名を「神代かぐや」……。昭和の初め、膨大な霊力を持ちながら、男たちに利用され、裏切られ、最後は絶望の中で自ら命を絶った悲劇の巫女の化け物だ。あいつはな、「男に愛されて幸せそうにしている女」の精神を直接蝕み、その魂を喰らう狂気の怪異なんだよ!』
指輪の精の言葉を裏付けるように、紫色の霧が窓の隙間からすうっと教室の中へ侵入してきた。
霧がヒロインたちの足元に絡みついた瞬間、彼女たちの瞳から光が消え、虚ろな空気に支配されていく。
「嫌……嫌よ……。お父様、お母様……私を捨てないで……」
麗奈が、いつも高慢な彼女からは想像もつかない、幼い子供のような声で泣き叫び始めた。
「私なんて……走れなきゃ、誰からも必要とされない……」
新田が自分の足を掻きむしるようにしてうずくまる。
「ごめんなさい、お母さん……。私、生まれてこなきゃよかった……」
白石が、紬が、そして美沙までもが、過去に克服したはずの「心の傷」を掘り起こされ、絶望の泥沼へと沈み込んでいく。
(くそっ……! やめろ! こいつらに触るな!!)
俺は必死で美沙たちの手を掴もうと手を伸ばした。
だが、俺の手が彼女たちに触れる直前、激しい拒絶の衝撃波が弾け、俺の身体は後ろへと弾き飛ばされた。
「ぐはっ……!?」
教卓に激突し、激しく咳き込む。
『無駄だ、航平!』
指輪の精が血吐く思いで叫ぶ。
『今のあいつらは、かぐやの生み出した「絶望の檻」に閉じ込められている! お前がどれだけ叫ぼうと、今のあいつらの耳には届かない! それどころか、お前が下手に触れれば、あいつらの魂ごと引きちぎられるぞ!』
「じゃあ……じゃあどうすればいいんだよ! 目の前でみんなが壊されていくのを、黙って見てろっていうのか!?」
俺は血の混じった唾を吐き捨て、痛む身体を無理やり叩き起こした。
せっかく、全員で笑い合えるようになったんだ。
白石の努力を肯定し、新田の絆を守り、紬の夢を引っぱり出し、美沙の家族を救い、麗奈のプライドを守り抜いた。
あいつらが俺に届けてくれた「本音」は、どれも温かくて、愛おしくて、俺の宝物なんだ。
それを……こんなわけのわからない化け物に踏みにじられてまるか!!
「おい、指輪の精! じいちゃんはどうやってこの化け物を封印したんだ!?」
『……宗次郎はな』
指輪の精の声が重く響く。
『この指輪の力――「女の本音を聴く力」を反転させた。かぐやの内に秘められた「悲しみ」をすべて己の身体に引き受け、激痛に耐えながら、あいつの怨霊の核を職人の金槌で叩き割ったんだ。……だがな、航平。今の指輪は、お前がヒロインたち全員の愛を受け入れたことで、当時に比べて何倍も霊力が高まっている。あいつの怨念を直接引き受けたら……お前の魂が無事じゃ済まねえぞ!』
「ハッ……上等だよ!」
俺は左手の小指を固く握りしめた。
指輪の銀の表面が、俺の怒りと決意に呼応するように、黄金色のまばゆい光を放ち始める。
「じいちゃんが男の意地を見せたなら、孫の俺が引けるわけねえだろ! 男ってのは何歳になってもガキだが……女は何歳になってもお姫様なんだよ!」
俺は叫びながら、紫色の霧を切り裂いて一歩踏み出した。
「美沙! 白石! 新田! 紬! 麗奈!」
絶望に呑み込まれ、空虚な瞳で涙を流す五人のヒロインたち。
俺は黄金色に光り輝く小指を高く掲げ、その「怨念の渦」の真っ只中へと飛び込んだ。
「俺の声を聞けぇぇぇぇつ!!!!」
その瞬間、俺の脳内に、半世紀分の「神代かぐや」のドロドロとした激しい怨念と、ヒロインたちの絶望の声が、一気に雪崩れ込んできた――!




