第十八話:正義(ヒロイン)たちの宣戦布告と、放課後デート争奪戦の前哨戦
九条家でのあのカオスすぎる「ハーレム大掃除」から数日。
二千万円の返済問題も無事にカタがつき、俺の高校生活は再び平和な日常に戻る……はずだった。
――甘かった。あまりにも甘すぎた。
「あのさ、みんな。放課後に俺の席の周りに集合するのは百歩譲っていいとして、なんでそんなにピリピリしてんの?」
終礼のチャイムが鳴り響いた直後の教室。俺のデスクの周囲は、まさに「領土問題を抱えた国境地帯」のような冷気と火花に包まれていた。
発端は、先週末の九条家だ。
俺を救うために押しかけてきたクラスのヒロインたち――幼馴染の美沙、図書委員の白石、陸上部の新田、そして元地味子の紬。そこに、俺に助けられたことで完全に「ツンデレ」へとシフトした九条麗奈が加わったことで、化学反応どころか熱核融合が起きてしまったらしい。
「別にピリピリなんてしてないわよ、航平」
一番手に腕を組み、仁王立ちで俺の左側に立ったのは、幼馴染の美沙だった。制服の胸元を張り、自信満々の笑みを浮かべている。
「ただね、私気づいたの。航平ってほっとくと勝手に女の子のピンチに首突っ込んで、勝手に惚れさせちゃうじゃない? 九条さんの時みたいにさ。だから、もう『幼馴染のポジション』に甘えるのはやめたの。正々堂々、一人の女の子として航平を狙うことにしたから!」
「……っ、美沙さん! それは私が最初に宣言しようと思っていたのに……!」
右側でメガネの位置をクイッと直しながら、顔を真っ赤にして対抗意識を燃やすのは白石だ。いつもの冷静な優等生オーラはどこへやら、ノートを胸に強く抱きしめている。
「渡辺くんが私の本当の努力を見てくれたあの日から、私の気持ちは決まっています。白石家の看板でもなく、図書委員としてでもなく……渡辺くんの特別な存在になりたいです。私も、逃げません」
「ちょっとちょっと、二人ともフライングすんなって!」
腕を組みながら、ニヤリと八重歯を見せて割り込んできたのは新田だ。ギプスがすっかり外れた足でトントンと床を鳴らす。
「私だって黙ってないからね! 走れなくなった私に『走らなくたって新田は新田だ』って言ってくれた渡辺のカッコいい姿、一生忘れる気ないし! 部活のマネージャー枠だって、渡辺の隣だって、私が一番にゴールインしてみせるんだから!」
「あ、あの……私も……!」
新田の後ろから照れくさそうに、でも芯のある瞳で俺を見つめてきたのは紬だった。分厚い眼鏡を外して前髪を上げた今の彼女は、文化祭のステージを経て学年でも屈指の美少女として認知されつつある。
「私は……渡辺くんが私の『アイドルになりたい』っていう夢を笑わずに引っ張り出してくれた第一号のファンだから。今度は、私が渡辺くんの『特別』になりたいです……!」
怒涛の告白&宣戦布告ラッシュ。
教室に残っていた数少ない男子生徒たちが、羨望と嫉妬と「爆発しろ」という純度百パーセントの殺意を込めた視線で俺を射抜いている。胃が痛い。めちゃくちゃ胃が痛い。
だが、真の暴風雨はここからだった。
「――ふん。揃いも揃って、随分と賑やかなお安いお仲間ですこと」
カツン、カツン、と甲高いヒールの音が教室の入口から響いた。
クラスの誰もが息を呑み、道を開ける。そこに立っていたのは、聖ルチアからの体験留学を終えたはずの、九条麗奈だった。
なぜか彼女は、我が校の制服(特注のサイズぴったりな高級仕様)に身を包み、完璧なハーフアップの黒髪を揺らして歩いてくる。
「く、九条さん!? なんでうちの学校の制服を着てるのよ! 体験留学は先週で終わったでしょ!?」
美沙が目を見開いて叫ぶ。麗奈は優雅に扇子(どこから出した)をパチンと閉じ、高飛車に微笑んだ。
「正式に『編入手続き』を済ませましたの。おばあ様も『航平さんの近くにいた方が社会勉強になりますよ』と快くお許しくださいましたわ。……それに」
麗奈はすっと俺の目の前に歩み寄ると、豊満な胸元を少しだけ強調するように身を乗り出し、俺の顔を覗き込んできた。
香水の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「私を叔父の悪巧みから救い出し、九条家を守ってくださった我が家の『ヒーロー』を、このような有象無象に奪われるわけにはまいりませんもの。二千万円の返済契約……いえ、私自身の『契約』として、渡辺航平。あなたの一番近くの席は、私がいただきますわ」
「だ、誰を有象無象よー! この高慢お嬢様!!」
「九条さん、いくら助けてもらったからといって、強引すぎるのではありませんか!?」
「そうだぞ! 渡辺は九条家だけのものじゃないんだからな!」
一気に跳ね上がる教室のボルテージ。ヒロインたちの視線が交錯し、バチバチと火花が散る。
(おいおいおい……勘弁してくれよ……!)
俺は頭を抱えた。
左手の小指に嵌まった銀の指輪が、熱帯夜のようにジリジリと熱を帯びている。脳内には、彼女たち五人の本音(感情)が重なり合って、大合奏のように流れ込んできていた。
『航平に一番最初に告白したの私なんだから、絶対負けない!』
『渡辺くんとの図書室での二人きりの秘密……誰にも渡しません!』
『渡辺と二人でデートに行く約束、絶対に守らせるんだから!』
『渡辺くんのファン第一号は私……責任取ってもらうんだから!』
『な、なによあの子たち! 私だって、航平さんに助けてもらった時のあの格好良さ、忘れられるわけないじゃない……っ!』
全員の本音が、俺への「超ストレートな好意」で溢れかえっている。
かつては孤独や諦め、恐怖に苛まれていた彼女たちの心が、今や俺を巡る純粋な情熱でギラギラと輝いているのだ。男としてこれ以上ない光栄……と言いたいところだが、逃げ場がない!
「……航平。お前、本当にクソジジイの血を完璧に引き継いでるな」
脳内で、指輪の精のふてぶてしい声が呆れ半分、面白がり半分で響いた。
『明治の一樹も、昭和の宗次郎も、ここまでの修羅場は経験してねえぞ。五人の「お姫様」から同時に正々堂々狙われる男か。で、どうするんだ? お前の小指の皮膚が、彼女たちの情熱で焼け焦げそうだぞ』
(どうするもこうするもあるか! 一生懸命助けてきた結果がこれかよ!)
「ねえ、航平!」
美沙が俺の腕を強引に抱きかかえてきた。柔らかい感触が腕に伝わり、俺の心臓がハネ跳ねる。
「放課後、空いてるよね? こないだの九条家でのお礼も含めて、二人で新しくできたカフェに行こうよ! 幼馴染特権行使!」
「あ、ズルいぞ美沙! 渡辺、私と陸上部の用具買い出しに付き合う約束だろ! そのあとラーメン奢るって言ったじゃん!」
新田が反対側の腕をガシッと掴んでくる。健康的なスポーツ女子の体温がダイレクトに伝わってくる。
「お二人とも、強引な身破りは感心しません」
白石が静かに、しかし素早い動きで俺の鞄を確保した。
「渡辺くん、図書室の新刊が入ったんです。まずは静かな図書室で、私とお話ししませんか?」
「私、私だって……!」紬が真っ赤になりながら俺の裾をキュッと引っ張る。「クレープの新作、渡辺くんと半分こしたいな……って」
「愚かな提案ばかりですね」
麗奈が扇子を広げて優雅に笑う。
「渡辺航平。本日の放課後は、我が九条家の高級リムジンで、都内最高のフレンチレストランへご招待いたしますわ。もちろん、二人きりで」
「「「「二人きりはダメに決まってるでしょー!!!」」」」
四人の声が綺麗に重なり、教室の窓ガラスが振動した。
「あー……あのさ、みんな……」
俺は両腕を拘束され、裾を引っ張られ、目の前で高級フレンチを提示された状態で、乾いた声を絞り出した。
「俺、身体一つしかないんだけど……」
「わかってるわよ!」美沙が俺の顔を覗き込み、ニヤリと悪戯っぽく笑った。「だから――『争奪戦』をするのよ!」
「はい?」
「今日この後の放課後、航平の『最初のデート相手』を懸けて、勝負してもらうわ! もちろん、航平に選ばせるんじゃなくて、私たちが正々堂々競い合って、一番になった奴が航平の放課後を独占する!」
「な……!?」
白石も、新田も、紬も、そして麗奈すらも、一瞬呆気にとられた後、その目の色を変えた。
「なるほど……一理ありますね。渡辺くんに無理に選ばせたら、優しすぎる彼は困ってしまいます。実力で勝ち取るというのは、公平です」
白石がメガネの奥の瞳をキランと光らせる。
「いいねぇ! スポーツマンシップに則って勝負か! 燃えてきたじゃん!」
新田が拳を握りしめ、ボキボキと指を鳴らす。
「私……負けたくないです。渡辺くんと、クレープ食べたい……!」
紬が小さく、しかし強い意気込みを見せる。
「ふん、お面白いではありませんか。この九条麗奈が、そのような庶民の勝負で遅れを取るとでも? 望むところですわ!」
麗奈が誇り高く胸を張る。
「待て待て待て! 俺の意思は!? 俺の放課後のプライバシーはどこ行ったの!?」
俺の悲痛な叫びは、完全にヒロインたちの闘志の渦に呑み込まれて消えていった。
「ルールは簡単! 今から放課後、学校内でいくつか行う『競技』で一番ポイントが高かった奴が、今日の航平のデート権を獲得する! 航平は審判兼、優勝者の言うことを何でも一つ聞くこと!」
「何でも!?!?」
ヒロイン五人の目が、一斉に怪しい光を帯びた。
『何でも……渡辺くんと手を繋ぐ……?』
『何でも……私の部屋に招待する……?』
『何でも……二人でお泊まり……!?(※まだ高校生です)』
『何でも……私に告白してもらう……!?』
『な、何でも!? 航平さんに、私を「麗奈お姫様」と呼ばせるチャンス……っ!』
指輪から流れ込んでくる本音が、どんどん危険な領域へと突入していく。
俺の小指の指輪は、もはや熱いどころか「早く勝負を始めろ!」と言わんばかりに激しくドクドクと脈打っていた。
「……クソジジイ。お前の形見のせいで、俺の高校生活はもうめちゃくちゃだよ」
俺は諦めの溜息をつき、自暴自棄気味にパイプ椅子にドカッと腰掛けた。
「わかったよ! 審判でも何でもやってやるよ! ただし、学校の迷惑になるような暴走はすんなよ!?」
「決まりね!」
美沙がパンッと手を叩き、ヒロインたちに向き直った。
「第一回・渡辺航平・放課後デート争奪戦――開幕よ!!」
放課後の校舎を舞台に、五人の美少女たちによる、俺の「初めての放課後」を賭けた壮絶なバトルの火蓋が、今、切落とされたのだった。




