第十七話:賑やかすぎる土曜日と、お嬢様の焦り
叔父の厳一郎を爺ちゃんの古い契約書で完全論破し、九条家を救ってから初めての土曜日。
「よおし、今日もサクッと終わらせて帰るか」
俺はいつものようにヨレヨレのジャージ姿でバケツを持ち、九条家の広い廊下に立っていた。
一回百万円の超高額アルバイト(実質的な返済労働)だが、だからといって手を抜くつもりはない。じいちゃんの顔に泥を塗らないためにも、気合を入れてピカピカに磨き上げるのが男の意地ってやつだ。
だが、雑巾を床につこうとしたその瞬間、背後からツカツカと上品な、しかしどこか固い足音が響いてきた。
「――お待ちになって、渡辺航平」
振り返ると、そこにいたのは九条麗奈だった。
学校での聖ルチアの制服姿も絶世の美少女だったが、今日の彼女は私服だ。上品なサマーニットにフレアスカートという、育ちの良さがこれでもかと伝わってくるお嬢様コーデ。相変わらず直視できないほど綺麗だが……なぜかその手には、九条家の物置から引っ張り出してきたとおぼしき、新品のハタキが握られていた。
「なんだよ九条。学校の体験留学は昨日で終わりだろ? なんで実家にいるのにそんなにトゲトゲしてんだよ」
「べ、別にトゲトゲなどしていませんわ! 私はただ、あなたがちゃんとおばあ様との約束通り、真面目に『一回百万円分』の労働をしているか、監視しに来ただけです!」
麗奈はふいっと顔を背け、ツンとすました態度を取る。だが、俺の小指の指輪は、彼女の顔を真っ赤にした激甘な本音を遠慮なく流し込んできた。
『なによもう……! 学校ではあんなに女子に囲まれて鼻の下伸ばしてたくせに、私の前ではどうしてそんなに無頓着なのよ。……その、お礼くらい、ちゃんと言いたいのに……面と向かって言うのは恥ずかしいじゃない……っ』
(可愛いこと考えてんなぁ、おい……)
内心で苦笑していると、麗奈はハタキを胸に抱きしめながら、少し声音を低くして続けた。
「それと……その、先週は、あなたのことを詐欺師の孫だなんて言って、ごめんなさい。……あなたが、私を助けてくれたこと、本当に感謝していますのよ? だから……これからは私も、あなたの『掃除』とやらを手伝ってあげますわ!」
「お嬢様が掃除って、ハタキの持ち方すら危ういぞ」
「な、なんですって!? 馬鹿にしないで頂戴! これくらい一瞬でマスターしてみせますわ!」
顔を真っ赤にして怒る麗奈。絶世のお嬢様と二人きりの、甘酸っぱい掃除の時間が始まる――。
はずだった。
ピンポーン。
屋敷の重厚なインターホンが、空気をぶち破るように鳴り響いた。
「あら、お客様かしら?」
お婆さんが応接室から顔を出したのと同時に、玄関の扉が勢いよく開く。
「失礼しまーす! 九条のお婆さん、こんにちは! 航平の幼馴染の美沙です!」
「お邪魔します! 椎名紬です!」
「あ、あの……図書委員の白石です……」
「ちーっす! 陸上部の新田です! 渡辺の応援(?)に来ました!」
「……は?」
俺と麗奈は揃って硬直した。
玄関から入ってきたのは、学校の制服ではなく、思い思いの私服(しかも全員やたらと気合が入っている)を着た、俺のクラスの女子たちだった。特に美沙は、特大の重箱を大事そうに抱えている。
「み、美沙……!? お前らなんでここに……」
「なんでって、決まってるじゃない!」
美沙は俺の前に詰め寄ると、麗奈を思いっきり牽制するような視線を向けながら言った。
「妹の手術代のこと、航平がじいちゃんの契約書で解決してくれたって聞いたの! 航平のおかげで、我が家の危機は大脱出できたんだよ!? だから今日は、航平にお礼がしたくて……私、朝から航平の好きな唐揚げとお弁当、たくさん作ってきたんだから!」
「ちょっと美沙、抜け駆けは許さないよ?」
紬が美咲の隣に並び、ふわりと微笑む。
「私も、航平くんが毎週こんなに広いお屋敷を一人で掃除してるって聞いて、手伝いに来たの。ほら、私、実家が飲食店だから掃除は得意なんだよね。航平くんの負担、減らしてあげたくて」
「私、私は……その、お掃除の合間の、休憩用の冷たい麦茶と、クッキーを焼いてきました……っ」
白石が真っ赤になりながらタッパーを差し出す。
「私は力仕事担当な! 渡辺、庭の重い石とか動かすなら任せろ!」
新田が元気に腕の筋肉をアピールする。
圧倒的な女子のパワーの襲来に、麗奈はハタキを持ったまま絶句していた。
「な、なによあなたたち……! ここは我が家ですのよ!? なんで学校の子たちが、我が物顔で押しかけてきているのですか!?」
「あ、九条さん」美沙がニヤリと挑戦的な笑みを浮かべる。「航平は私の幼馴染で、私のために二千万円の泥を被ってくれたの。九条さんこそ、航平が格好よく助けてくれたからって、急にベタベタすんの禁止だからね?」
「べ、ベタベタなどしていませんわ! 私はただの監視を――」
「あらあら、賑やかでいいわねえ」
修羅場になりかけた空間を救ったのは、お婆さんののんびりした声だった。お婆さんは嬉しそうに手を叩く。
「宗次郎さんの周りも、昔はこうして賑やかだったわねえ。みんな、航平さんのために来てくれたのかい? よし、じゃあみんなで『花嫁修業』を兼ねて、うちをピカピカにしてもらいましょうかねえ」
「「「は、花嫁修業!?」」」
女子全員の顔が一瞬で真っ赤に染まる。
「おい、航平」
脳内で、指輪の精が腹を抱えて大爆笑を始めた。
『おいおいおい! こいつは最高だ! 絶世のお嬢様の私邸が、一日で男たらしの孫のハーレム戦場になっちまったぞ! どのお姫様も、お前にいいところを見せようと目がマジだ!』
(頼むから静かにしてくれ……!)
「よーし! 航平は私の作った唐揚げ食べて待ってて! 掃除は私たちが終わらせるから!」
「美沙さん、それはズルいわ! 航平さん、私と一緒に縁側の雑巾掛けをいたしますわよ!」
「渡辺くん、私と窓拭きしよ……?」
左右から腕を引っ張られ、お弁当を口元に突きつけられ、麗奈からはハタキでツンツンと突っつかれる。
二千万円の重荷から解放されたはずの俺の土曜日は、別の意味で、肉体的にも精神的にも限界を迎えるほど賑やかな大騒ぎになるのだった。




