第十四話:お嬢様の威光と、震える手の防衛戦
「おい航平、大変だ……! 今日からの転校生、とんでもないぞ。うちの学校の歴史上、一番の美人だ……」
月曜日の朝。登校するなり、悪友が声を潜めて、しかし興奮を隠せない様子で俺の肩を揺すってきた。
だが、俺の小指の銀の指輪――宗次郎のじいちゃんから受け継いだ呪いの輪っかは、さっきから警鐘を鳴らすようにピリピリと不穏な熱を放っている。
嫌な予感しかしないままホームルームのチャイムが鳴り、担任が緊張した面持ちで教壇に立った。普段はいい加減な担任が、心なしか背筋を伸ばしている。
「よし、静かに。今日は我が校の体験留学制度を使って、一週間限定で特別編入してきた生徒を紹介する。名門・聖ルチア女学館の、九条さんだ」
教室のドアが開いた瞬間、体育館の冷気が流れ込んできたかのように、クラスの雑音がピタリと消え失せた。
完璧な黒髪のハーフアップ。陶器のように白い肌に、吸い込まれそうなほど切れ長で美しい瞳。名門校の格式高い制服をまとったその少女は、ただそこに立つだけで、周囲の空間を支配するような圧倒的な気品と「格の違い」を放っていた。
クラスの誰もが、言葉を失って彼女を見つめている。男子はおろか、女子たちすらもその絶世の美貌とオーラに気圧され、ただ見惚れるしかなかった。
彼女の名前は九条麗奈。土曜日に俺を「詐欺師の孫」と罵った、九条家のお嬢様だ。
「九条麗奈と申します。皆様と有意義な一週間を過ごせますよう、よろしくお願いいたします」
鈴の音のように澄んだ、完璧な微笑み。だが、その瞳が俺の姿を捉えた瞬間、射すくめるような冷徹な蔑みの光が宿る。
と同時に、俺の脳裏には、指輪を通じて彼女の冷たく鋭い「本音」が流れ込んできた。
『見つけたわよ、渡辺航平。おばあ様を騙して二千万円もの大金を貢がせた、泥棒猫の孫。あなたの卑劣な化けの皮、この学校中でお剥ぎしてみせますわ』
麗奈は担任に促されると、優雅な所作で俺のすぐ近くの空き席へ着席した。すれ違いざま、彼女の髪から高貴な香水の香りが漂い、俺の耳元で「覚悟しなさい、詐欺師」と凍りつくような声が囁かれた。
◆
絶世の美少女にして名門令嬢。麗奈の影響力は、半日も経たないうちに学校中を支配した。
昼休み、彼女の周りには自然とクラスメイト、いや、他クラスの生徒までが廊下に群がるほどの人だかりができていた。麗奈はその中心で、誰もが魅了されるような優雅な態度で談笑していたが……突然、フッと悲しげに瞳を伏せた。
「皆様、少し伺いたいのですが……あちらにいらっしゃる、渡辺航平さん。普段、学校での素行はいかがかしら?」
麗奈がそっと俺の方を指差すと、群がっていた生徒たちの視線が一斉に俺に集まる。
「え……? 渡辺、ですか? 特に目立つ奴じゃないですけど……」
一人の男子生徒が気圧されながら答える。麗奈は痛ましげに胸に手を当て、声を落とした。
「実は……私の家は、彼のご家族に少し弱みを握られておりまして。彼はそれを盾に、高齢で判断力の鈍った私のおばあ様から、二千万円という莫大なお金を強引に融通させたのです。私、とても恐ろしくて……。皆様も、どうか彼のような不誠実な方には騙されないよう、距離を置かれることをお勧めいたしますわ」
二千万円。
その非現実的な大金の響きと、誰もがひれ伏すような美しい令嬢が放った「被害の告白」は、一瞬にして教室を、いや学校全体の空気を凍りつかせた。
周囲の生徒たちが、あからさまな不信と恐怖の目を俺に向けてくる。
「嘘だろ、渡辺が二千万……?」
「九条さんが嘘をつく理由なんてないし……」
逆らうことなど到底できない、完璧な美と権威による宣戦布告。
麗奈の脳内からは、勝利を確信した冷ややかな声が響く。
『ふふ、これで終わりよ。誰もが私に憧れ、私の言葉を疑わない。あなたのような地味な男子高校生、一瞬で孤立させてみせます』
誰もが麗奈のオーラに呑まれ、俺から距離を置こうとした、その時だった。
「――ち、違う、そんなの違うよ!」
沈黙を破ったのは、幼馴染の美沙だった。
だが、さっきまでのクラスの女子たちのように、すぐに麗奈に突っかかっていったわけじゃない。美沙は、麗奈の放つ圧倒的なお嬢様オーラに完全に圧倒され、その全身を小さく震わせていた。握りしめた拳は白くなり、声は今にも消え入りそうだ。
それでも、美沙は一歩、俺の前に踏み出した。
「九条さん……実は、その二千万円は、私の妹の、命がかかった手術のために九条さんが貸してくれたお金なの……! 航平は、自分のためじゃなくて、私の家族を救うためにお爺さんの知り合いの九条さんに頼んでくれたの!私が悩んでいるのを聞いてくれて、必死に頼めるところを探してくれたの! 妹の命の恩人の何も航平を悪く言わないでください……!」
美沙は、声を震わせて言う。
それに続くように、いつもは大人しい図書委員の白石が、ゆっくりと立ち上がった。
「あの……九条さん、私も……渡辺くんを信じます。九条さんは嘘を言っているようには見えません。でも……渡辺くんは、私が一番辛かったとき、見返りも求めずに助けてくれました。そのことだけは、どうしても言いたくて……」
さらに、陸上部の新田も、文化祭で踊った椎名紬も、麗奈の眩しすぎる美貌に気圧され、周囲の「九条さんを支持する空気」に躊躇しながらも、視線を泳がせながら、必死に声を絞り出す。
「く、九条さんの言うことだし、何か行き違いがあるのかも知れないけど……渡辺は、そんな悪い奴じゃないよ」
「そう、です……。航平くんは、私の夢を笑わずに、引っ張り出してくれた、格好いい人なんです……」
クラスの女子たちの誰もが、麗奈という「太陽」のような存在を前に震え、遠慮しながらも、それでも必死に俺を庇う言葉を紡いでいく。
「な……なによ、あなたたち……っ!?」
麗奈の完璧な笑顔が、初めて大きく揺らいだ。
圧倒的な自分の影響力を前にして、怯え、遠慮しながらも、それでもなお「渡辺航平」という男のために勇気を振り絞って立ち塞がる女子たち。その強固な絆は、麗奈の想像を遥かに超えていた。
指輪から流れ込んでくる麗奈の本音は、驚愕と、そして微かな焦燥に満ちていた。
『どうして……? 誰もが私の言葉に味方するはずだったのに。あんなに怯えているのに、どうしてあの子たちは、あの男をあんな目で信じるのよ……っ!?』
女子たちの健気で、少し震える防衛戦。
そして、自分の完璧な支配が通じないことに、美しくも冷たい焦りを見せ始める九条麗奈。
脳内で、指輪の精がニヤリと笑う。
『やるじゃねえか、航平。お前が体と心を張って救ってきたお姫様たちは、お前を裏切らなかったぞ。さて……この絶世のお嬢様、プライドを傷つけられて、ここからどう動くかねえ?』
「勘弁してくれよ……」
俺は、指輪の余熱が残る小指をそっと握りしめ、冷や汗を流しながら、波乱に満ちた一週間の始まりを覚悟するのだった。




