第十三話:九条のお嬢様と、詐欺師の孫(オレ)
2千万。
一般の男子高校生なら、一生かかっても返しきれるかどうか怪しい額だ。その大金を、じいちゃんの過去の恩義だけを担保に一括でポンと払ってくれた九条のおばあさんには、文字通り足を向けて寝られない。
だからこそ、俺は毎週土曜日、九条家での「体を使った返済(ただのガチ掃除)」を死ぬ気でこなしていた。
だが、事態は思わぬ方向からぶち壊されることになる。
◆
「いい加減になさい、この卑劣な泥棒猫の孫め!」
九条家の広大な庭で、竹箒を手に落ち葉を集めていた俺の背中に、鼓膜を突き刺すような鋭い声が突き刺さった。
振り返ると、そこに一人の少女が立っていた。
お嬢様学校として有名な聖ルチア女学館の制服を凛と着こなした、超絶美少女。絹のように滑らかな黒髪を完璧にハーフアップにまとめ、意志の強そうな切れ長の瞳が、ゴミを見るような冷たさで俺を射抜いている。
非の打ち所がない、お人形さんのように綺麗な女の子だ。……ただ、その美貌が今は怒りで般若のように般若の如く歪んでいた。
「は? 泥棒猫の孫……?」
わけがわからず箒を持ったまま呆然とする俺に、彼女はツカツカとヒールの音を響かせて近づいてくると、手に持っていた高級そうな革のバッグを俺の胸元に叩きつけるように突きだした。
「とぼけないで! あなたのことよ、渡辺航平! おばあ様が騙されて、あなたのような身元の知れない男子高校生に『二千万円』もの大金を一括で振り込んだと聞いて、飛んで帰ってきてみれば……! 平気な顔をして我が家の敷地に居座り、庭掃除のフリをして次のおねだりの機会を窺っているなんて。浅ましくて反吐が出るわ!」
どうやら、おばあさんの孫娘らしい。
彼女の名前は九条麗奈。おばあさんから「溺愛している自慢の孫娘が、普段は寄宿舎に入っている」とは聞いていたが、まさかこんなタイミングで、しかも怒髪天を衝く勢いで襲来するとは思わなかった。
「いや、違うんだ。これは騙し取ったわけじゃなくて、ちゃんとした理由があって――」
「黙りなさい! 理由ですって? どんな理由があろうと、赤の他人の高校生に二千万円を貢がせるなんて、異常に決まっているでしょう! あなたのあのろくでもない祖父――宗次郎といったかしら。あの男がおばあ様を昔そそのかしたのをいいことに、今度は孫のあなたが、認知症の始まったおばあ様を言葉巧みに籠絡した。そうでなければ説明がつかないわ!」
認知症だと?
あのしゃきっとした、上品で優しいおばあさんをそんな風に言うなんて。
俺がカッとなって言い返そうとした、その瞬間だった。
ドクン!!!
左手の小指に嵌まった銀の指輪が、皮膚を焼きちぎるほどの猛烈な熱量を帯びて脈打った。あまりの激痛に、俺は思わずその場にうずくまりそうになる。
(う、ぐ……! なんだこれ、めちゃくちゃ痛い……っ!)
脳裏に、いつもの指輪の精のふてぶてしい声ではなく、目の前で俺を睨みつけている麗奈の「本音」が、濁流のように頭の中に流れ込んできた。
『許せない……! おばあ様は優しすぎるのよ。こんな詐欺師の男たちに、いいように利用されて……!』
『私が、私がしっかりおばあ様を守らなきゃいけないのに。お父様たち親族はみんな、おばあ様の遺産のことばかりで、誰も本当におばあ様のことを心配していない。私が、九条家を、おばあ様を、一人で守らなきゃいけないのに……!』
『怖い、もしおばあ様までいなくなったら、私は本当に一人ぼっちになっちゃう。誰も信じられない。誰も助けてくれない。息が、詰まりそう……! 助けて……誰か……っ』
流れ込んできたのは、俺への憎悪だけではなかった。
その裏にある、狂おしいほどの「孤独」と、名家を一人で背負って崩れ落ちそうな「悲鳴」。
周囲の親族から悪意を向けられ、おばあさんを守るために全身のトゲを逆立てて威嚇している、傷だらけの迷子のような叫びだった。
「おい、航平!」
脳内で指輪の精がニヤリと笑う。
『おいおい、こいつは傑作だ。お前を詐欺師と罵るお嬢様の心の中は、とっくに限界を迎えて泣き叫んでるぞ。どうする? 罵倒されたからって、このお姫様を見捨てるか?』
(……見捨てるわけねえだろ、指がちぎれちまう!)
俺は痛む小指を抑えながら、ゆっくりと立ち上がった。
目の前の麗奈は、俺が急に黙り込んで苦悶の表情を浮かべたことに不審な顔をしながらも、軽蔑の眼差しを崩さない。
「何よ、言い返せないの? ならば今すぐこの家から出て行きなさい。おばあ様には、私からすべてを話して、あなたとの契約とやらは無効にさせてもらうわ」
「断る」
俺はまっすぐに麗奈の瞳を見つめ、竹箒をしっかりと握り直した。
「な、なんですって……!?」
「二千万円は、九条さん……あんたのおばあさんが、俺の幼馴染の妹の命を救うために貸してくれた、大切な、重いお金だ。騙し取ったわけじゃない。俺は、その恩を返すためにここで働いてるんだ。あんたが俺を詐欺師だと思うのは自由だけど、俺は九条さんとの約束を果たすまで、絶対にここをやめない」
俺の言葉に、麗奈は一瞬だけ目を見開いた。だが、すぐにフンと鼻で笑う。
「口先だけの言い訳ね。そんな美談、誰が信じるものですか。……いいわ、そこまで言うなら、徹底的にあなたのメッキを剥がしてあげる。おばあ様がどれだけあなたに騙されているか、私の目で直接確かめさせてもらうわ」
「確かめるって、どうやって――」
「来週から、あなたの通う学校へ私も通わせてもらうことにしたの。ちょうど、私の学校のカリキュラムで一般校への短期体験留学制度があるのよ。あなたの正体を暴いて、おばあ様の前で土下座させてあげるから、覚悟しなさい!」
麗奈はそう言い放つと、鋭いヒールの音を立てて屋敷の中へと戻っていった。
嵐の去った庭で、俺はぽつりと呟いた。
「……は? 俺の学校に転校してくる、だって……?」
小指の指輪は、これから始まる大波乱を予感させるように、ドクンドクンと、やたらと楽しげなビートを刻み続けていた。




