第十一話:幼馴染の悲鳴と、小さな命の重み
「わかったけどさ。困っている女の子なんて、この世に五万といるじゃん。俺が全員助けられるわけないだろ!」
お前は少し膨れっ面をしながら、左手の小指に嵌まった銀の輪――つまり私に向かって、そんな現実的な泣き言をこぼした。
やれやれ。十六歳のガキのくせに、随分と冷めた物言いをするじゃないか。だが、まあいい。お前の言うことも一理ある。何せこの現代日本、スマートフォンの画面を指一本スクロールするだけで、誰かの悩みや悲痛な叫びが嫌でも目に入ってくる時代だ。SNSを見りゃ「病み垢」だの「人生詰んだ」だの、画面の向こうは悲鳴のバーゲンセールだからな。
だがな、航平。
お前はやっぱり、なんにもわかってない。お前がその薄っぺらい頭で考えている「人助け」と、この私――一樹の執念が作り上げた呪いが求めている「お助け」は、根本的に違うんだよ。
そこを勘違いしたまま走らされると、お前の体力がいくらあっても足りやしない。お前が指を引きちぎられずに生き延びるためにも、ここらで一発、私の「ルール」ってやつをしっかりと叩き込んでやるよ。
網にかかるのは「お前の世界の悲鳴」だけ
まず、大前提から教えてやる。
お前は「世の中のすべての女の子を救わなきゃいけない」なんて、大層な救世主にでもなったつもりか?
とんだ自惚れだよ、航平。
私のセンサーが拾うのは、インターネットの海の向こうにいる見知らぬ誰かの声じゃない。そんなものを全部拾っていたら、明治の時点で初代の一樹だって脳味噌が沸騰して死んでるさ。
私が感知するのはな、「お前の手が届く距離」にいる女の悲鳴だけだ。
お前と同じ空気を吸い、同じ街の地面を踏みしめ、お前と人生の交差点でほんの一瞬でもすれ違った者。あるいは、お前がその存在を認識できるほど近くにいる者。SNSの画面越しじゃなく、そういう「お前の世界」に引っかかった女の子の悲鳴だけが、私の銀の肌を通じてお前の小指を締め付ける。
世界中の五万人の泣き顔を気にする必要なんてない。お前が向き合うべきなのは、お前の前に現れた「たった一人の泣き顔」だ。
「それでも、俺はただの高校生だぞ? 医者でもヒーローでもないのに、何ができるんだよ!」
いいかい、航平。一樹が私を作ったとき、内側に刻んだ古い文字の意味を教えてやろう。あれはな、「身の丈に合わない大層な真似をしろ」なんて一言も書いてないんだ。
一樹だって、ただの彫金師だった。剣術の達人でもなければ、お上の偉い役人でもなかった。ただ、目の前で大好きな女の子が、心を引き裂かれそうになって怯えていた。だから、一瞬だけ「己のすべて」を賭けて、彼女の手を握って走った。それだけだ。
お前がやるべきことも、それと全く同じさ。
大それた人助けなんて要らない。お前ができる範囲の、お前の全力を見せてみろって話だよ。
さあ、理屈はこれくらいにしておこう。
百聞は一見に如かず。ちょうど、お前の小指がさっきからドクドクと、嫌な温度で脈打っているだろう?
ほら、お前の家の一軒隣に住んでいる、あの幼馴染の女の子だ。名前は……確か、美沙だったな。
お前から見れば、彼女はいつも明るくて、お前のくだらない冗談にも笑ってくれる、ただの元気な幼馴染に見えるかもしれない。だけど、私のセンサーは、彼女の心の奥底から泥のように湧き出ている真っ黒な悲鳴を、ビンビンに受信しているぞ。
『もう、どうしたらいいの……。私がしっかりしなきゃいけないのに、結衣が苦しそうなのを見てるの、もう耐えられないよ……』
どうだ? お前の耳には届かなくても、お前の小指を通じて、彼女の心が張り裂けそうな音が伝わってくるだろう。
美沙には、生まれつき心臓が弱い、小学生の妹がいる。名前は結衣。最近、その妹の病状が悪化して、とうとう大きな病院に入院することになったのさ。
両親は共働きで、妹の看病と仕事のやりくりで心身ともにボロボロ。長女である美沙は「私が弱音を吐いちゃいけない」「お姉ちゃんだから家事を手伝って、みんなを支えなきゃ」と、自分の心をずっと押し殺してきたんだ。
彼女は今、学校の帰り道、お前と別れた後のいつもの公園のベンチで、一人で膝を抱えて震えているぞ。家に帰れば「しっかり者のお姉ちゃん」を演じなきゃいけない。だから、家に帰る前のほんの少しの時間だけ、誰もいない公園で、息が詰まるような孤独と戦っているのさ。
このままじゃ、妹の病気が良くなる前に、美沙の心がポッキリと折れてしまう。
「おい、航平。どうする?」
お前は青ざめた顔をして、公園の方向を見つめているな。
「俺が行って、なんて言えばいいんだよ! 妹の病気なんて、俺が医者でもないのに治せるわけないだろ!」
そうやってお前は、すぐに「できない理由」を探して頭を抱える。
本当に、情けない奴だ。誰が「妹の病気を治してこい」なんて言った? そんな奇跡、お前のようなガキにできるわけがないだろう。
いいか。彼女が本当に求めているのは、病気を治す特効薬じゃない。
「大丈夫、私がみんなを支えるから」と張り詰めている緊張の糸を、一瞬だけ緩めて、ただの「十七歳の女の子」に戻って思いっきり泣ける場所なんだよ。誰にも言えない弱音を、受け止めてくれる誰かが必要なのさ。
お前のカバンの中に、何が入ってる?
そうだ、さっきコンビニで買った、お前が大好きな安っぽいチョコレートの箱があるだろう。
公園のベンチにズカズカと近づいて、美沙の隣にドカッと座り、こう言ってやるだけでいい。
「これ、買いすぎたからさ。お前、甘いもん食って、ちょっと俺に愚痴でもこぼせよ。幼馴染だろ」
それだけだ。
彼女が一人で背負い込んでいる重荷を、ほんの少しだけ一緒に持ってやる。それが、お前にできる「最初のステップ」だ。
男の意地を見せてみろ
ほら、何をもたもたしている。
私の温度が、じりじりと上がっているのがわからないか?
このままお前が「俺には関係ない」と自分の部屋に引きこもり続けるなら、私はお前の小指をギリギリと締め上げる。血が止まって、文字通り指が壊死するまで容赦はしない。
これが【強制お助けの呪い】だ。
お前を肉体的に滅ぼすことはないが、お前が「男の意地」を見せるまで、絶対に、何があっても、解放してはやらない。
渡辺の爺ちゃんはな、この理不尽な痛みに耐えながら、それでも最後にはニヤリと笑って、女の子を助けるために走り出していたんだ。
「航平。男ってのはな, 何歳になってもガキだが、女ってのはな、何歳になってもお姫様なんだよ」
あの爺ちゃんの言葉が、今なら少しは身に染みるだろう?
お姫様が泣いているんだ。病気を治す名医じゃなくたって、気の利いた言葉一つ言えない高校生だって、隣で一緒に悩んでくれる幼馴染の男は、彼女にとって手を差し伸べてくれる唯一の救世主になれる。
さあ、覚悟を決めろ。
言い訳の時間は終わりだ。
私の熱に背中を押されて、走りやがれ、航平! お前がその手を美沙に伸ばすまで、私はお前の小指で、激しく脈打ち続けてやるからな!




