第9話 「お前が俺に釣り合うわけねぇだろ」
そうして迎えた日曜日。
昨日、姫百合からメッセージで指定された待ち合わせ場所まで電車で向かう。
待ち合わせの駅に着き、改札を出る。
するとスマホにメッセージが届いた。
送信元は姫百合だ。
『ちょっと、何してんの。早く来て』
そのメッセージに対して俺は『遅れるわ』とだけ返す。
待ち合わせ時刻は午後1時。現在の時刻、午後1時10分。完全なる遅刻だ。
多少遅れても大丈夫だろ、と連絡しなかったのだが、どうやらダメだったらしい。
それから5分ほどで、待ち合わせ場所に着く。辺りを見渡し、姫百合を探す。どうやらここは待ち合わせスポットの定番らしく人が結構いた。
姫百合の今日の服装はネイビーのトレンチコートに白パンツ。
しばらく探していると、腕を組み、露骨に不機嫌そうな顔をしている姫百合の姿があった。
妙に大人びて見えるのは、服のせいか、それとも元からか。
「悪いな、待たせ──」
話し掛けながら姫百合の側まで来た所で、姫百合の前に見知らぬ男が立っているのに気付いた。
「なんだ、お前?」
なるほど。そういうことか。
通りで、機嫌が悪いわけだ。
「お、ナンパ? 邪魔した?」
他の人が死角になっていて、さっきまで気付かなかった。気付いていたら話し掛けなかったのに。
「は?」
女ってそんな低い声出せるんだな。殺す気かってくらい睨んでくる。絶対に淑女がしていい顔じゃない。
俺は姫百合の肩に手をポンっと置き、一言。
「……まあ、どんまい」
バチンっとまるでハエでも叩き落とすかの如く振り解かれた。
「さっさと行くわよ」
ナンパ男を無視して、この場を去ろうとする姫百合。俺もその後に続こうとする。しかし、それよりも前にナンパ男が姫百合の腕を掴んだ。
「ちょっと待ってって。話はまだ終わってないからね」
姫百合は掴まれた腕を一度見てから、ギロリとナンパ男を見る。その視線には殺意すら宿っていそうなほど。
一瞬、空気が張り詰める。
それでも男は、気にした様子もなく口を開いた。
「連れが居たのは知らなかったけど、じゃあアイツも一緒でいいからさ、これからカラオケでも行こうよ。後悔はさせないからさ。ね、どうかな?」
「……放しなさい」
「じゃあ一緒に行ってくれるなら放すよ」
この男もなかなか肝が据わっている。あんな眼で見られてケロリとしているとは。
このままでは埒が明かないと思ったのか、姫百合はナンパ男から俺に視線を移す。
仕方ない。助け船でも出してやるか。
「俺の事は気にしなくて良いんで、どうぞ連れて行って下さい」
──男にな。
「「は?」」
姫百合もナンパ男も呆けた顔をして俺を見る。
「い、いいのか? いや俺が言うのもなんだが」
「え、なんで?」
「え?」
俺とナンパ男は見つめ合う。
「全然構わねぇけど。なんで驚くんだよ」
「だって彼女なんだろ?」
「は? コイツが俺の彼女?」
一瞬、意味が分からなかった。
遅れて、笑いが込み上げてくる。
「くくく……。いやいや、ありえねぇだろ。寝言は寝てから言えよ。人の好意を無碍にして、脅してくるような女だぞ? こっちから願い下げだって」
ここまで言った瞬間、空気が冷えた。
「──へぇ」
姫百合から凍り付くような声がした。
俺はその声を聞いても落ち着いて、「だが」と続ける。
「確かに外面だけで寄ってくるアンタじゃ、この女には相応しくないな。そういう連中は心底嫌いでね。……コイツも、俺も」
視界の端で、姫百合がわずかに目を細めた。
「なんだと?」
ナンパ男が俺に睨みを効かせてくる。俺は気にせず続ける。
「世の中には分不相応な相手ってのがあってな。悪いけど──アンタはそれだ」
一瞬、空気が止まる。
「だから──」
俺は姫百合に触れている腕を掴み、そのまま手首を捻る。
ほとんど力は入れていない。
「……放せよ」
男の顔が歪む。
それでも放さないのを見て、男を一瞥する。
「──目障りだ。失せろ」
低く、言う。
男は小さく舌打ちすると姫百合の腕を放し、足早にこの場を去っていく。
乱暴に腕を振り払われ、姫百合が体勢を崩し、俺の胸に肩が当たる。倒れないよう、そのまま受け止める。
俺は小さく息を吐いた。
「しつこい奴だったな」
「……いつまでこうしてる気よ」
「おっと」
俺はすぐに姫百合を解放する。
「……アンタさ、さっきの、どういう意味?」
「あ? あぁ、願い下げってやつか? そんな気にすんなよ。助けてやったんだから。文句あるなら次から放置するぞ」
「そうじゃなくて……いや、それもだけど」
一瞬、言葉を探す。
「とにかく! さっきの分不相応っていう話」
「それがどうした?」
「あの言い方だと、まるでアンタが私に釣り合ってるみたいじゃない」
意味が分からなかった。
「は?」
何言ってんだコイツ。勘違いもいいとこだ。
「バカかお前、あんまり調子に乗んな。お前が俺に釣り合うわけねぇだろ」
「は? ……随分言ってくれるじゃない」
姫百合の目が細くなる。
「仮に百万歩譲って釣り合うとしても、アンタが私によ」
「あ?」
「なによ?」
至近距離で睨み合う。
どちらも、引かない。
しばらく、視線がぶつかったまま動かない。
先に逸らしたのは、姫百合だった。
「……はぁ。ほんっと、アンタってそういう奴よね」
少しだけ、張り詰めていた空気が緩んだ。
そして、視線を逸らした先で、俺の耳元に視線が止まった。
「……そのピアス」
「ん? あぁ、これか?」
姫百合にそう言われて、俺はそっと左耳のピアスに触れる。
「なによ、それ。うちの高校、ピアス禁止なんだけど?」
姫百合が、右耳のピアスに触れてきた。俺はピアスに触れるのを止め、そのまま、反射的に姫百合の腕を掴んだ。
「……なによ、なんか触ったらダメだった?」
「……いや、悪い。そういう訳じゃない」
ほとんど無意識だった。気付けば姫百合の腕を掴んでいた。
「……別に良いんだけどさ、それで? いつまでこうしてる気? 私はアンタの彼女じゃないんだけど」
わざとらしく俺に掴まれている腕を上げる姫百合。言い方は柔らかいが、要するにさっさと腕を放せということだ。
俺は姫百合の望み通り手を放す。
姫百合は「どうも」とそれだけ言うと、それ以上話さなくなった。
別に気まずいわけじゃない。だが、今後も何か言われる前に、このピアスのことは先に話しておいた方がいい気がした。
「……小学校の頃からピアスしてたもんでな。外したところで今更だ。もう穴も閉じないだろうよ。そこは大目に見てくれ」
そこまで言うと、姫百合は俺の顔を見て怪訝そうな顔をした。
「……いやもう前提がおかしいのよ。なんで小学校でピアス開けるわけ?」
「このピアスは貰い物でな、早く付けたくて穴開けたんだよ。それで付けたまま学校行ったら先生にすげー怒られたな、今すぐ外せって」
「それはそうでしょ」と姫百合は呆れたように呟く。
もちろん怒られることくらい、当時の俺でも分かっていた。それでも当時の俺はこの貰い物のピアスを1秒でも早く付けたくて仕方がなかった。
「本当は中学までは付けないでいようとしてたんだが、ムリだった。それでも俺が二歳の時に貰ったから5年以上は我慢したぞ」
「二歳って、そんな前のことよく覚えてるわね。それだけ大事な物ってことかしら。誰に貰ったの?」
「……まあ、お前になら……」
言いかけて、自分でも少しだけ驚いた。
「……湊?」
途中で俺が口を噤んだため、姫百合がどうしたのかと俺の名前を呼んだ。
──今、何を言いかけた。
姫百合になら、このピアスの事を話してもいいと思った。
関わってまだ間もない。
たいして知っているわけでもない相手だ。
それでも──なぜか、そう思った。
どうしてなのかは、自分でも分からない。
「お前になら、このピアスの事を話してもいい。だが条件がある」
「……なによ。別に無理して話して欲しいわけじゃないんだけど」
俺は答えず、真っ直ぐ姫百合の目を見る。
姫百合の表情が、わずかに止まる。
「……分かったわよ」
観念したように呟いた。
「それで? その条件って?」
「別に難しい話じゃない。ただ──お前の事を教えろ。それだけだ」
「……え?」
姫百合は呆けたように俺を見る。その後、くすっと小さく笑った。
「何笑ってんだよ」
「……そりゃあ、笑うわよ。ふふ」
……何がそんなに可笑しいんだ。
「そんな真剣な顔して何を言うのかと思えば、私のことを教えろって……。そんな条件出さなくても、いつだって教えるわよ」
そう言うとまた、「ふふ」と笑う。
「……そうかよ。それでも俺にとっては大事なことなんだよ」
姫百合は「はあー」と少し深呼吸して、笑いを抑えた。
「……で? 私のことだっけ? 何を知りたいのよ」
「……なんでもいい。お前の事なら」
「なんでもいいってアンタ……曖昧ね。じゃあ無難に家族のこととか話しましょうか?」
「あぁ、それでいい」
それから、姫百合はぽつぽつと話し始めた。
一般的な家庭で、父と母、兄がいて弟もいる。家族仲は良好でよく旅行にも行くらしい。今年の年末も旅行に行くそうだ。家族写真も見せてもらった。そこに写っている空気だけで、仲の良さは伝わってきた。
家族の話をする時、姫百合は楽しそうに終始微笑んでいた。そのときだけは、いつもの棘が嘘みたいに消えていた。
その顔が、妙に残った。
「──と、こんな感じでどうかしら?」
そう言って姫百合は話を締め括った。
「ああ、十分だ」
「そう」
姫百合は短くそれだけ返した。いつも通りのはずなのに、なぜか少しだけ柔らかく聞こえた。
「湊」
姫百合が、俺を真っ直ぐ見る。
「……さっきの」
「ん?」
「助けてくれたの」
一瞬だけ視線を逸らして。
それから、小さく言った。
「……ありがと」
「……ああ」
それ以上、言葉は続かなかった。
少し間が空いて、ぱんっと手を叩く音がした。
「はいっ、じゃあ私の話終わり! 今度はアンタの番!」
姫百合はそう言って俺の話題へと戻した。
俺は、少しだけ間を置いてから、左耳のピアスに触れる。
「──母の形見だ」
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