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第6話 「お前はどう見たって……Aだ」

 微かに甘い匂いがして、目を覚ます。


 ゆっくりと瞼を開くと、俺の腕を枕にしながら、すぅすぅと気持ち良さそうに寝息を立てている姫百合がいた。


「……ガチ寝じゃねーか」


 あれだけ渋っていたのは、なんだったのか。別に構わないのだが。


 ……こうして見ると、納得もする。


 白い肌に、長い睫毛。すっと通った鼻に、桜色の唇。


 ……なるほど、これだけ見ると確かに『姫』だ。


 しかも、試験は学年トップでスポーツもできるらしい。


「……ふ」


 まさか、こんな誰も知り合いがいない高校で姫百合みたいな奴に会うとは思わなかった。しかも、まさかこうして話すようになるとは。


 奇妙な縁もあったものだ。


 口元にかかりそうな髪を、そっと指で払ってやる。


「ほんと、気持ち良さそうに寝てんな……」


 姫百合の顔を見ていると、また眠たくなって来て、もう少し寝ようかと思案する。


 ……今何時だろうな。


 まあいいかと諦めて目を瞑ると、しばらくして姫百合の方から着信音が鳴った。


 チラッと姫百合を見るが、相変わらず気持ち良さそうに寝ている。全く聞こえていないようだ。


 それから数分、何回も着信がしてとうとう起きた。


 俺が。


「お前どんだけ深い眠りに入ってんだよ! そろそろ起きろよ!」


 身体を揺さぶって起こす。しばらくすると、ふるふると瞼が動き、ゆっくりと目を開けた。


「……やっと起きたか」

「ん……みな、と……? どうし……てっ!?」


 ガバッと勢い良く身体を起こす姫百合。


「今何時!?」

「さぁ? つーかスマホ鳴ってたぞ」


 ポケットからスマホを引っ張り出し、画面を見た瞬間、姫百合の顔が一気に青ざめる。


「どうしよう……もう二時半だわ……。まさかこんな寝るなんて……。玲奈から電話いっぱい来てるし……」

「おぉー、結構寝たな。まじでお前ぐっすりだったもんな」


 茶化すように言うと、姫百合はキッと俺を睨んできた。


 二時半か。……思ったより寝てたな。


 だいたい一時間半ってとこか。


「なんで起こさないのよ! 起きてたなら、起こしなさいよ!」

「そう言われてもな、俺も起きたのさっきだし。もう手遅れだろ」


 軽く肩をすくめる。


「それより安藤からだったんだろ、電話。掛けてやったらどうだ? この時間に掛けてくるってことは、お前のこと探してるだろ」

「はっ、そうねっ」


 スマホを操作し、耳に当てる姫百合。数回のコールで繋がったようだ。


「れっ、れれれれ、玲奈!! どうし……え? うん、今は屋上にいるわ。……うん、分かった」


 意外にもあっさりと姫百合は通話を切り、スマホをポケットにしまう。それに安藤の声を聞いたからか、多少は落ち着いたようだ。


「なんだって?」

「今からここに来るから動かないでって」

「へー……じゃあ俺はそろそろ戻ろうかね」


 俺は軽く立ち上がり、塔屋から降りようとするがその前に、ガシッと肩を掴まれた。


「んだよ」

「逃げんじゃないわよ」

「誰が逃げるだ。俺は普通に授業に戻るだけだろうが」


 姫百合が一歩詰めてくる。


「嘘おっしゃい! アンタはただ玲奈に会いたくないだけでしょうが!」

「……ちっ」


 バレてやがる。俺が安藤に苦手意識持ってること知ってやがったのか。勘の良い女だな、無駄に。


「そもそもこうなった原因はアンタにあるんだから責任持ちなさいよ!」

「はあ? なに言ってんだよ。あんなに気持ち良さそうに寝てたくせになあ!」

「ふざけたこと言わないで! こんな場所で寝れるわけないでしょ!」

「いやいや、完全に蕩けた顔でスピースピー寝てたじゃねーかよ」


 ボッと頬を赤く染めて、


「は、はあ!? そんなわけないでしょうが!」


 そう言って、俺の胸ぐらを掴み、前に後ろにと激しく揺さぶる。


 しばらくギャースギャースと言い争っていると、


「……まさかこんな所にいるとはね」


 後ろから声が聞こえて来た。久しぶりに聞く声なのに、妙に覚えがある。嫌な声だ。……いや、聞きたくない声だ。


 俺は思わず、「げっ」と声に出してしまった。


「あら? ひどいなぁ。湊くん。一ヶ月ぶりにする挨拶がそれ?」


 俺は姫百合と言い争うのを辞め、後ろを振り返る。


 そこには長身で、かきあげた前髪が大人っぽい女、安藤がいる。


 その後ろには、相変わらずふわふわした雰囲気の瀬川もいる。


「……久しぶりだな」

「そんな嫌そうにこっち見なくてもいいじゃない、酷いなあ。傷ついちゃいそう」

「誰がだ」


 そんな奴じゃないだろ、お前は。


 少し接して分かったが、こいつは人を揶揄うのが好きな女だ。


 それが俺だけなのか、他の人の事も揶揄うのかは知らないが。まあ後者だろう。姫百合の事も揶揄っていたしな。


 理由を聞いたら、「だって可愛いじゃない」だそうだ。


 ちなみに俺の事を揶揄うのは、面白いかららしい。


 ふざけるなと言いたい。


「れ、玲奈ぁ! 待ってたわ!!」


 安藤の元へ駆ける姫百合。途中、邪魔だったのか、ただの嫌がらせか、ドンっと俺を突き飛ばしていった。


 ちょっとイラッとしたが、大人な俺は気にしない。気にしたら負けだ。


「よしよし。心配していたわよ、美咲」


 自分の胸に飛び込んできた姫百合の頭を撫でる安藤。その顔は、とても淑女とは思えないニヤケ顔だ。


 姫百合はされるがままになっている。


 そして、瀬川はそれをぽけーとした顔で見つめている。


「それで? どうして二人がこんな所に?」


 しばらく姫百合の頭を撫でて満足したのか、安藤は俺にも視線をやりながら、状況を聞いてきた。


 俺は肩をすくめる。


「まあ簡単に言うと、授業サボって寝てたんだ」

「美咲も?」


 少し間があって、


「……ええ、まあ」


 不服そうにしながらも、姫百合は肯定した。それを聞いた安藤は、「へぇ」と悪戯を思いついたような顔で、俺と姫百合を見る。


「玲奈? なによその顔は」

「いやー、別にぃ? ただ、いつの間にそんなに仲が良くなったのかなーって思っただけよ?」

「ちょ、ちょっと待って玲奈。なにか勘違いしてない?」


 少し語気を強めて、


「私は別に、顔だけは完璧だけど性格がクソなあの男と仲良くなった訳ではないわよ……!」

「……今、その悪口必要だった?」


 絶対言う必要無かったよな。


 こいつは俺を罵倒しなければ死ぬ病なのだろうか。


 もしそうなら、俺に対するこの毒舌も多少可愛く思えてくるのだが。


 ……いや、そう思うことにしよう。その方が精神的にも楽だしな。


 そんなくだらないことを考えていると──


 瀬川が、いつの間にか俺の隣に立っていた。


 じっと、俺と姫百合を見比べて、


「……仲良さそうだね」

「どこがだよ」


 ……まあいい。


 本題に戻る。


「これからどうするか、というのはアンタのことだ。もう決めてあるんだろう?」


 癪ではあるが、安藤玲奈という女は気が回る。この後のことも当然考えているはずだ。


「もちろん。というより、もう手は打ってあるわ。まあ、簡単な方法だけどね」


 そう言って、安藤は続ける。


「保健室で休んでた事にするの。体調が悪くてね。先生にはもう話も付けてあるわ。なぜかすごーく協力的だったわ」

「なるほどな」


 というより、その方法くらいしか思いつかない。


 だが、それが通るのは、普段から真面目にやってるからこそだろう。


 俺みたいなサボり魔が言ったところで、誰も信じないだろうな。


「ならさっさと行こうぜ。授業が終わって人が増えると面倒だろ」


 今は授業中だから、人目も少ない。もし誰かに姫百合が元気な姿を見られればその計画も没になる。


 三人を促し、屋上から校内へ戻る。


 できるだけ人の少なそうな場所を通って保健室へ向かう。


 その目論見は上手くいき、誰にも見つかることなく目的地へ到着した。


「で、アンタはいつまで着いてくるつもりよ。もう保健室に着いたけど」


 保健室の扉を開く前に、俺の方に振り返り、ギロリと睨んできた。


「はあ? なんだよ、俺だけ仲間外れって? そんな固いこと言うなよ。せっかくサボりを無かったことにできるんだ、乗らない手はないだろ」


 最近サボることが増えてたからな。これ以上サボるとクラスメイトや先生に目を付けられかねない。それはあまりよろしくない。


 今の立ち位置は、目立たない普通の生徒。それが一番楽なんだ。


 だから少し授業をサボった所で、誰も気付かないし、気付いたところでクラスメイトにとってはどうでもいい。


 理想だ。俺が求めている立ち位置。


 だが、それも多すぎれば目を付けられる。だからこそここは引けない。

 

「それともお前は、俺と一緒にサボったのに自分だけ無かったことにするつもりか? 薄情な女だな。やれやれ、それなら仕方ないな。小心者だものな。俺の事は忘れてくれ」


 はぁ、とわざとらしく大きな溜息を吐き、大袈裟に首を横に振る。姫百合には、こういう煽りがよく効く。


 案の定、姫百合は俯きながら、わなわなと肩を震えさせている。


「お、どうした? もしかして泣いてるのか? ああ、お前もやっと自分の矮小さに気付いたのか。俺は嬉しいよ。もっとデカくなれ」


 わざとらしく付け加えるように、


「あ、デカくなれって胸の話じゃないぞ? 器の話な。胸の方は、まあ……頑張れよ」


 ぽん、と姫百合の肩に手を置く。


 お前は一人じゃない。応援しているからな──そんな意味も込めて。


 しかし、その思いは届かなかったらしい。


 勢いよく手を弾かれ、そのまま──


 姫百合は俺の弛んだネクタイを掴み、身体を揺さぶりながらギロリと睨んでくる。


「それは禁句でしょうがっ! 私だってこれでも結構あるんだよっ! 着痩せするタイプなの! 至って普通よ! それにまだ成長期! 卒業までにはもっと大きくなるわ!」


 俺は「姫百合」と呼びかけ、両手を肩に置く。


 わざとらしく憐れむような目で見つめて、


「お前はどう見たって……Aだ。残念だがな。現実を見ろ」

「私はっ! Cよ!!」


 瀬川が、小さく呟く。


「……そこまで言うんだ」


 だが姫百合は聞いていないのか、


 なんならここで証明してもいいわよ! とムキになってブレザーを脱ごうとした、そのとき──


 保健室の扉がガラガラと開いた。


「ちょっと〜誰? まだ授業中でしょー」


 扉の奥から顔を覗かせたのは、保健室の先生だった。流石に騒がしくし過ぎたようだ。困ったように俺たちを見る先生。


 だが、その表情もすぐに消えた。


「て、姫百合さんじゃない!」


 困り顔から一転、ぱっと顔を明るくして姫百合に近付く先生。


「元気そうで良かったわ、姫百合さん」

「その節はお世話になりました、氷上先生。改めてありがとうございました」

「いいのよ、そんなの。さ、入って。安藤さんと瀬川さんもって、あら?」


 保健室の先生、もとい氷上先生は姫百合を中に入る様促し、続けて安藤、瀬川にも視線を向けた後、その横にいた俺に気付いたようだ。


「あれ、君は……?」

「1年3組の九条湊です。俺も入っても?」

「そう。えぇ、勿論」


 氷上先生の許可も得たので、俺は保健室に入る。


 ここに来るのは実に一ヶ月ぶりだ。前に来た時は、中までは入らなかったが。


「またご迷惑お掛けしてすみません」


 姫百合は氷上先生に頭を下げて謝った。先生は首を振って、「いいのよ」と優しく答えた。


 それから、姫百合達は授業のチャイムが鳴るまで楽しそうに話していた。


 その様子を横目に、俺は一人、適当に時間を潰していた。

 

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