おいしいご飯と冷たい部屋
「おかえりなさいませ。アキメネス様」
普段は帰っても誰もいないエントランスホール。そこに2人の少女が待っていた。
人がいるとは思っていなかったエレクティオは目を丸くした。
「珍しいね、お迎えがいるなんて」
「その前に言うことがあるんじゃねえっすか?」
「??……あ、そうか」
ミウに言われて気がつく。その下では車椅子に乗った聖女がキラキラとした瞳で待っていた。
おかえりと言われたのだ、この言葉を返してあげるべきだろう。
「……ただいま。ツユキ嬢、ミウ」
そう言ってツユキの頭を撫でる。
彼女が気持ちよさそうに目を細める様子を猫みたいだと思ったところで、自分の失態に気がついた。
「あ……す、すまない!」
エレクティオは勢いよくツユキの頭から手を離す。
ツユキがこの屋敷で療養し初めて数日経った頃、彼女は「頭を撫でられると気が落ち着く」とエレクティオに話していた。
そのため、彼は事あるごとにツユキの頭を撫でていた。
しかし、本日ネリフェラにその話をしたところ、ため息と共に「いくら彼女の気を紛らわすためとはいえ、みだりに淑女に触れるんじゃない」とお叱りを受けてしまった。
自重しようと誓ったばかりなのに、いきなりやらかしてしまった。いくら手が置きやすい高さだからと言って、なぜすぐに撫でたがるんだこの手は。
目に見えて落ち込むエレクティオに、よくわかっていないツユキは困惑し、何となく察したミウはニマニマと笑っていた。
__
使用人が極端に少ないアキメネス邸では、皆揃って夕食を食べる。今日からはそこにツユキも加わることになる。
「本日のメインメニューはキングテューナのカツレツだ。嬢ちゃんが動けるようになった祝いに少し豪勢にしてみたぜ」
ロバータが料理の説明をする。
祝い事で海魚のキングテューナを食べるのは彼の出身国であるハントイングの風習だ。海に面していないハントイングでは海魚は高級品でこういう時でないと中々食べられないのだとか。
もっとも、ハルヴェスト王国ではメジャーな魚で比較的安価なのだが。メニューをロバータに一任しているこの邸ではちょっとしたお祝いの時によく出てくるのだそうだ。
「ツユキ嬢に合わせてアルレイエス教の食事の祈りにしようかい?」
「いえ、皆様のいつも行っているものに合わせます。食事の祈りは……とにかく長いので」
「うん、ならそうしようか。ではみんな手を合わせて、いただきます」
『いただきます』
エレクティオの声に続いて復唱する。
「い、いただきます」
ツユキも復唱し、フォークとナイフを手に取る。
そのまま食べ始めるのかと思うと彼女はそのまま止まり困り果てていた。
「……あー、テーブルマナーも何もないんで、好きなように食って良いっすよ」
「うんうん。この邸にいる間は無礼講だよ」
そう言われてようやく安心したツユキはテューナカツを一口大に切り分け口に運ぶ。
サクリと小気味の良い音がし、テューナの旨味が口いっぱいに広がる。脂の乗ったテューナは魚とは思えないほどジューシーで、ソースがなくともパクパクご飯が進む。
パンが中心の食文化のハルヴェストでご飯が出てくるのは珍しいとツユキは思っていたが、なるほどこれはご飯が合う。
ツユキが頬張る姿を皆は微笑ましく見ていた。モキュモキュと口いっぱいにする姿はまるで小動物のようだが、流石は聖女、所作が崩れることはない。
結局ツユキはご飯のおかわりももらい見事に完食した。
彼女の好物にテューナカツが入った日だった。
__
「……?」
背中に熱いものを感じて後ろを振り向く。
「なんかあったっすか?」
「いえ……」
ミウに尋ねられるがツユキは首を横に振って誤魔化した。
食事が終わり、皆仕事に……戻らずゆったりとお茶をしていた。この家はのんびりとしているらしい。
「あ、あの……」
言うなら今しかない。
そう思い、おもむろに口を開く。
「どうした、ツユキ嬢?」
「__わたしをレイエスト教会に戻していただけないでしょうか」
その一言で食堂がしんと静まり返った。
「来月の初めにアルレイエス教の聖地へ巡礼しなければなりません。この巡礼が成し遂げられなかった年はこの国に不幸が訪れています。これは聖女として絶対に成し遂げなければならないことなのです。お姉様がいない今、聖女としての責務を果たせるのはわたしだけです。
教会なら治癒魔法を使える方も大勢います。ここまで動けるならばすぐに完治できるでしょう。」
誰の発言がないのをいいことにツユキは話し続ける。
自分でも驚くほどにスラスラと言葉が出た。まるで別の誰かが自分をしゃべらせているかのようで__
「ダメだ、行かせられない」
恐ろしいほどに饒舌なツユキの言葉をエレクティオが遮った。
エレクティオの髪が黒くなる。そこから覗くは金の瞳。それを見たと同時に部屋全体がエレクティオの威圧でズンと重くなった。
壁には霜が降り、窓ガラスには薄い氷が張った。湯気ごと凍り、固体となったカップの中身はもう飲めそうにもない。ツユキの体はまるで全身が凍りついたかのように動けなくなった。
それでも彼女は力を振り絞り抗議する。
「なぜですか!」
「今の君は姉聖女を殺めた容疑者だ。おちおち戻すわけにはいかないさ」
「あなたはこの国が不幸な目に遭われてもいいと言うのですか!?」
「残念ながらそこまでの信仰心は持ち合わせていなくてね。君の命の方が惜しい」
激昂するツユキにエレクティオはそっけなく返す。
「……そうですか。わかりました」
ツユキがまだ完治していない腕を振り上げる。ゆらり、と蜃気楼のように部屋が歪んだ。
「もっと理解のある方かと思っていました。“激流飛槍”」
ツユキの周りに無数の魔法陣が浮かび上がる。水でできた無数の槍がエレクティオに向かった。
しかしそれは彼の前でピタリと止まる。よく見るとその全てが凍りついていた。
「“氷結解除”」
その言葉共にツユキの周りの魔法陣が砕け散る。氷の粒と化したツユキの魔法はダイヤモンドダストのようにキラキラと部屋を舞った。
「はぁ、はぁ……」
全身がひどく痛む。両腕は血が滲み上がらない。
シランに言われた通り、この体で魔法を使うのは本当に危険なようだ。
ましてや“清潔”や“治癒”よりもはるかに魔力を使う攻撃魔法を使ったのだ。傷口が開いたのも当たり前である。
「落ち着いたかい?」
「あ、ありがとうございます……酷いこと言いました。ごめんなさい」
しかし不思議と心は晴れていた。すぐにでも教会に戻ろうとする気持ちも消え、異常なまでの罪悪感も少し軽くなった。
「こちらこそすまない、もっと早く止めるべきだった。まさかここまで意識を乗っ取れるとは思わなかった」
駆け寄ってきたエレクティオを見るとその髪は青い。瞳の色も青紫色に戻っていた。
しかし今はそれよりも気になることを言われた気がする。
「意識を、乗っ取る……?」
「ああ。背中に違和感はなかったかい?」
「……はい、ありました……。少し熱かったような……」
「ちょっとお背中失礼するっすよ、と」
ミウはツユキの背中を覗き込む。黒かったはずの蔦模様の呪印が赤く色づいていた。
「あー、何か作動してるっすね」
「やはりそうか……アイルズの危惧した通りだね。どうもその呪い、一部でしかないらしいんだ。
__今の君は、呪印に呼ばれている」




