約束
木々の揺れる音が心地よい。木漏れ日が暖かい。
1人孤児院を抜け出した少女は雑木林の中を歩いていた。
今日は教会は奉仕活動として聖女が来る日。
__聖女は、嫌い。
奉仕活動をする自分に酔いしれたいだけの存在。自分達のような孤児なんて同じ人とも思っていないような存在。
教会の神父もシスターも聖女をもてなすために高いお菓子やお茶を準備する。掃除も念入りにさせられ、少しでも埃が残っているといつも以上に怒られる。
それでも子供達は聖女の来訪を喜ぶ。普段は食べられないおいしいお菓子がもらえるから。見栄を張る神父達のおかげで少し食事が豪華になるから。
__そんな神父もシスターも、嫌い。食事が変わるだけで喜び聖女を崇める現金な子供達も、嫌い。
少女は獣道をずんずんと歩いていく。
今頃神父達は聖女の相手で忙しいだろう。1人くらい子供がいなくなっても気づきもしない。
束の間の自由だ。落ちていた枝を指揮棒代わりに、上手いか下手かもわからない歌を歌い始める。どうせ誰も聞いていない、好きなように歌ったっていいじゃないか。
と思ったその時、少女の耳に子供の泣き声が聞こえてきた。少女はぴたりと歌うのをやめ、注意深く耳をそばだてる。
自分以外にもあの場所から逃げた子がいたのか。いや、そんなことはどうでもいい。それよりも自分の歌を聞かれたことのほうが少女にとっては問題だった。
恥ずかしさを押し殺し泣き声の方へ向かう。声に近づけば近づくほど、辺りが静かになっていった。相対的に大きく聞こえる泣き声に辿り着くと、そこには少女よりも一回り大きな少年が泣いていた。
少年の顔は見えない。でも確かに泣き声は彼から聞こえる。
少女は屈んで、少年に手を差し出した。
「大丈夫__?」
突然尋ねられた声に、少年はビクッと肩を震わせる。
「……誰?」
「あなたこそ誰?こんなところに1人でいるなんて怪しさ満点だよ」
「それは…君も同じじゃないか?」
「……ほんとだね」
しばらくの沈黙の後、2人の笑い声が木々を揺らした。
「ま、誰でもいいや。ねえあなた、一緒にこない?」
少女はうずくまる少年に手を伸ばす。少年は少し顔を上げたが、すぐにその顔を下げた。
しばらくの後、覚悟を決めた様子の少年が口を開く。
「いいの?」
その少年が顔を上げる。黒髪が覆う中に金色の目が光った。
「こんな姿でも?」
それは古の魔王と同じ色。この色のせいで家族に疎まれ、どこに行っても忌み嫌われた。きっと、目の前の少女も気持ち悪いと避けるだろう。
だが、少女はきょとんとした顔で言った。
「それがどうしたの?」
「え?」
今までにない言葉が返ってきて少年は目を丸くする。少女はそんな彼の手を引いた。
「行こ!いいところ教えてあげる!」
掴まれた手を振り払うこともできず、引かれるがままやってきたのは洞窟だった。明かりもなく真っ暗な中に少女はズンズンと入っていく。
「怖いよ……」
「大丈夫大丈夫、すぐに明るくなるよ」
その言葉の通り、突然目の前が明るくなる。そこにあったのは大きな地底湖だった。
少し崩れた天井から差し込む光が鏡のような水面に反射し、辺りを幻想的な青に包んでいた。
「きれい……」
「すごいでしょ!お気に入りの場所なんだよ!!」
息を呑む少年に少女は自慢げだ。
「湖を覗き込むとすごいんだよ」
そう言われ、少年は湖の中を覗き込む。底の見えないほどの深い藍色は、まるで星の無い夜空のようだった。
少女の言う通り、こちらもすごい。
そう思いながら湖を眺めていると、隣から視線を感じる。見ると、少女がこちらの瞳をじっと見つめていた。
「あなたの瞳は満月みたいだね。とってもきれい」
「え……」
少女が突然そんなことを言うものだから少年の顔が真っ赤になる。
「ど、どうしたのいきなり!!?」
「んー?思ったことを言っただけだよ?」
なんでもないといった様子で言う少女に、少年は頭を抱える。
「もしかして照れちゃった?」
「照れるに決まってる…君みたいなかわいい子にそんなこと言われたんだから」
「かわ……っ!?」
かわいいなどというあまり言われたことがないことを言われ、今度は少女の顔が赤くなった。
しどろもどろになってしまった2人は、しばらく顔も合わせられず、無言で湖を眺めた。
「__そろそろ、戻らないとね」
日が傾き洞窟の中が暗くなってきた頃、少年がポツリと呟く。
「えー、帰りたくないなあ。怒られるもん」
「そうは言っても帰らないと。それに、怒られるようなことをしているのは事実だし」
「だよねえ」
ため息をついて立ち上がった少女だが、その表情は不満げだ。
「もっとあなたと一緒にいたかった」
「どこの誰かもわからないのに?」
「誰かはわかるよ」
少女は少年に向き直り笑顔で答えた。
「ここに連れてきた、初めての友だち」
「友だち……」
その言葉に、不思議と心が躍る。
友だち。
少女にとっても、少年にとっても、それは初めての存在だった。
1時間ぐらい一緒に湖を眺めただけの関係だ。
それでも、少女にとって彼は間違いなく友だちだった。
「ぼくはきみの友だち……そっか、もう友だちなんだ」
少年は喜びを噛み締める。
忌み嫌われる黒髪金眼の自分を友だちだと、そう呼んでくれる人がいるなんて思ってもみなかった。こんなに嬉しいことはない。
だからこそ、その言葉が出たのだろう。
「約束しよう。また2人でここに来るって」
少年は右手の小指を差し出した。少女はそれを見ると、キラキラとした表情ですぐに小指を重ねた。
「いいね、それ!約束する!!ぜーったいまたここに来ようね!」
その様子に少年も笑みがこぼれ、2人は笑顔で指切りをした。
わかってる。こんな約束、守られるはずがない。
今日初めて会った、名前すらも知らない存在なのだ。また会えたとしたら、それは奇跡である。
それでも2人は約束をした。今日の景色を、初めての友だちを、忘れないために。
いつか、また会えることを信じて。
__
「……あんなに大事な約束、どうして忘れてたんだろう」
見慣れた天井にツユキはポツリと呟いた。
懐かしい夢の続きを思い出した。あの少年も、あの約束も。
あの日の記憶を蓋していた霞が、ようやく晴れたようだ。
ツユキはゆっくりと起き上がる。顔を上げると大きくなった少年が椅子に座り眠っていることに気がついた。
自分が起きるまで、ここにいてくれたのだろうか。
「…エレク様」
「……っ!!ツユキっ!」
その声に飛び起きたエレクティオは、ツユキの姿を見て涙ぐむ。
「……もう、目覚めないと思った」
弱々しいその話し方に懐かしさを覚える。
どんなに成長しても、この人は何も変わらない。こんなに近くにいたのに、なんで気がつかなかったのだろうか。
エレクティオの頭に手を置く。いつもと逆の光景に顔を上げた彼に、ツユキは笑いかけた。
「眠ってなどいられませんよ。約束、まだ果たしてないですから」




