第六十二話:灰の終幕と、帰るべき場所
むき出しの岩肌とコンクリートに囲まれた広大な地下空間。
ネロの両腕の装甲から、空間を引き裂くような爆音が立て続けに鳴り響く。
ゼロ距離で放たれる二本の巨大な鋼鉄の杭――『二重衝撃』。
それを限界を超えて連続で撃ち出しながら、ネロはダルセの脇腹へと重い連撃を叩き込んでいた。
「……ッ!!」
ダルセの顔に、わずかに苦しげな色が浮かぶ。
だが、化け物じみたその巨体は、一歩も後ろへ下がらない。
彼は自身の脇腹の肉が砕けるのも構わず、空いた右の拳でネロの顔面を真っ直ぐに殴りつけた。
視界が激しく揺れ、ネロの口から赤い血が吹き出す。
だが、彼の漆黒の瞳の奥で燃える光は、微塵も弱まっていなかった。
「こんなんで、引けるかよぉ!!!」
ネロは体内に眠るウイルスのストッパーを、自らの意志で完全に引き剥がした。
彼の全身から、血液が蒸発したかのような異常な高熱の白煙が激しく噴き出す。
黒シャツの下で筋肉が限界を超えて膨れ上がり、その圧倒的な力をそのまま拳に乗せて、ダルセの胸板を容赦なく打ち据える。
ダルセの鼻から血が噴き出す。
それでも彼は、金色の瞳に狂気的な熱を宿して吠えた。
「私は、こんなところで終わるつもりはない!!」
巨体から放たれた渾身の右アッパーが、ネロの顎を激しくカチ上げる。
脳が揺れ、意識が真っ暗になりそうになる極限状態。
それでもネロは倒れることを拒絶し、打ち上げられた勢いを殺さずに、自らの額をダルセの額へと力任せに叩きつけた。
ゴッ! と、硬い骨と骨がぶつかり合う、恐ろしい音。
両者の額から血が流れ落ち、二人の視線が至近距離で激突する。
「俺は……フィオーネを独りぼっちにする気はねぇんだよ!! ここで死ぬわけにはいかねぇんだ!!」
その叫びと同時。
ネロの両腕に装着された巨大な装甲が、これまでとは全く違う、空間がパチパチと弾けるような異常な駆動音を響かせた。
『対単体・究極穿孔プロトコル、ロード。魔導回路01~10、全段階連結を開始』
内部の回路が怒涛の勢いで繋がり、分厚い装甲全体が眩しいほどの白熱した光を放ち始める。
「……ッ!! ぬかせ、小僧ッ!!」
危機を察知したダルセが、横薙ぎに凄まじい速度の蹴りを放つ。
ネロはそれを左腕の装甲で強引に受け止めた。
骨が軋み、ヒビが入るような激痛が全身を貫く。
だが、彼は一歩も退かない。
「ああ見えてあいつは、寂しがり屋なんだよ!! 俺がいねぇと!!」
『全回路、強制同期を確認。マナ・プレッシャー、計測限界を突破。……エネルギー分配パターン:一点極大収束』
強烈な共鳴音が地下空間を圧迫する中、ネロは両腕の装甲をダルセの腹部へと力任せにめり込ませ、さらに深く突き上げた。
「ぐっ!!?」
耐えきれず、ダルセの巨体が「く」の字に折れ曲がる。
『対象の物理的構造、ならびに生存定義を、”排除すべきノイズ”と再定義。衝撃中和を完全破棄。回路焼損、ならびにユーザーの肉体損壊を許容します』
「誰があいつを、支えてやるってんだ!!!」
死の宣告にも似たシステム音声が鳴り響く。
ダルセは大きく目を見開き、自身の終わりを悟った。
『警告。これより全魔導杭を同時撃発……対象を完全に粉砕します。──全機構、一斉撃発──』
ガシィィィィンッ! という重厚な金属音と共に、左右の装甲がネロの両腕を決して逃がさないように完全にロックされる。
蹴りを受け止めてひび割れ、限界の悲鳴を上げているはずの左腕すらも、ネロは躊躇いなく殺戮の機構へと直結させた。
「終わりだっ!! ベラとシオンに、あの世で詫び入れてこいッ!!」
ネロのウイルスの力で極限まで強化された剛腕と、両腕の装甲が放つ最終奥義の怒涛の乱打が、ダルセの巨体を容赦なく打ち据えた。
地下空間のすべてを揺るがす、凄まじい打撃音と爆発の嵐が巻き起こる。
* * *
爆発の余波が収まり、土煙が晴れた後。
限界を超えたネロは、力なくその場に膝をついた。
荒い息を吐きながら見上げると、数十メートル先で倒れたダルセが、静かに笑っていた。
彼の半身は、もはや人の形を保てず、サラサラとした白い灰となって崩れ落ちようとしている。
「……思い残すことは……あるが……それなりに……楽し……」
最後まで言葉を紡ぐこともできず、テロ組織を率いた強大な男は、そのまま崩れ落ちて完全に灰へと変わった。
「……最後まで……気に喰わねぇ野郎……だ……」
張り詰めていた糸が切れ、ネロはそのまま冷たい石の床へと倒れ込んだ。
視界が暗く沈んでいく。
どれほどの時間が経ったのか。
遠くから、必死に自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「ネロ!! ネロ……ッ!!!」
重い目蓋をゆっくりと押し上げると、そこには、純白のコートを泥と灰に汚したフィオーネの姿があった。
彼女の透き通るような白い頬から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちている。
「~~~~っ……!!」
声にならない泣き声を上げる義姉を見て、ネロはふっと安堵の笑みを浮かべ、震える手を伸ばして彼女の頬を優しく撫でた。
「……何泣いてんだよ……フィオーネらしくねぇぞ……」
「……っっ……!! モーディがっ!!」
フィオーネは、震える両手で大切に抱えていたものをネロへと差し出した。
完全に光を失い、黒く焼け焦げてひび割れた、モーディの魔導回路の核。
「……そうか……」
ネロは静かに目を伏せ、その冷たい核にそっと触れた。
「……ごめん……ごめん……私を守るために、モーディがッ!!」
自分が弱いばかりに相棒を失わせてしまった。
そう自分を責めて泣き崩れるフィオーネ。
だが、ネロは静かに首を横に振った。
「……誇ってくれよ。……あいつは、『家族』を護れたんだ……」
「~~~~~っ!!!」
フィオーネはネロの胸に顔を埋め、子供のように声を上げて泣いた。
ネロは彼女の背中を優しく撫でながら、光を失った核を見つめる。
「……よく守ってくれたな……モーディ。……今まで、ありがとうな……」
彼の漆黒の瞳からも、静かに一粒の涙がこぼれ落ち、冷たい石の床に小さな染みを作った。
やがて、涙を拭ったフィオーネが、ネロの身体を支えるようにしてゆっくりと立ち上がる。
「………帰ろう、ネロ」
「……ああ……そうだな……帰ろうか、我が家へ……」
二人は互いの肩をしっかりと支え合い、長く暗い地下空間から、光の差す地上へと向かって歩き出した。
凄惨な死闘の爪痕を置き去りにして。
血と灰に塗れた過去との決着をつけ、彼らは再び、確かな体温のある日常へと帰還を果たす。
こうして、聖都を揺るがした『沈黙の灰』事変は、静かに幕を閉じたのだった。




