第六十一話:安堵の果てと、穴の底へ向かう白百合
むき出しの岩肌とコンクリートで囲まれた広大な地下空間。
空気を粉砕するような凄まじい爆音が、連続して響き渡っていた。
ネロの両腕に装着された分厚い装甲――『ヘビー・プレッシャー』から、異常な高熱の蒸気が激しく吹き出している。
常に巨大な鋼鉄の杭を撃ち出せる「常時解放モード」を維持している代償として、彼の黒シャツから覗く両腕の筋肉は、内側から破裂しそうなほどに赤黒く腫れ上がっていた。
対するダルセは、あれほどの猛攻を受けてなお、息一つ乱していない。
だが、彼の冷え切った金色の瞳が、不意に何かに気づいたようにわずかに揺れた。
巨体の動きが、ほんの一瞬だけピタリと止まる。
「!! 何ぼーっとしてやがるっ!」
そのコンマ数秒の隙を、ネロは見逃さなかった。
踏み込んだ足が石の床を深く抉る。
『魔導杭、圧縮臨界。……撃発』
空気が弾け、ゼロ距離で打ち出されたパイルバンカーが、ダルセの顔面を真っ直ぐに捉えた。
「っ!」
強烈な衝撃波が地下空間を揺らす。
今までどんな攻撃を受けても微動だにしなかったダルセの巨体が、初めて大きく後ろへと弾き飛ばされた。
ゆっくりと顔を上げたダルセの頬から、一筋の赤い血が流れ落ちていた。
0.1%の壁を越えた新人類の異常な再生能力。
それを、ネロの純粋な破壊力がほんのわずかに上回った証拠だった。
「……よく粘るな、半端者……」
ダルセは手の甲で頬の血を無造作に拭き取り、冷たくネロを見下ろした。
「……てめぇが、頑丈すぎんだよ……ッ!」
両腕に激痛を抱えながら、ネロは荒く息を吐いて構えを解かない。
そんな彼を見て、ダルセは感情のない声でぽつりと告げた。
「……アッシュ・クイーンが逝ったようだ……」
「……」
その言葉を聞いた瞬間。
ネロの両腕にこもっていた異常な力が、ふっと抜けた。
絶望や悲しみではない。
彼の顔に浮かんだのは、張り詰めていた糸が切れたような、静かな「安堵」だった。
「……なんだ、その顔は……?」
ダルセが不思議そうに眉を寄せる。
ネロは深く息を吸い込み、ゆっくりと顔を上げた。
「……姉さんは、昔からちと変わったところがあったけど……本当に優しい人でな……」
漆黒の瞳の奥でチロチロと揺れていた暗い灰色の光が、静かに沈んでいく。
「今の姉さんは、俺が知ってる姉さんじゃない。……ただの狂気と殺意に塗れた……化け物だ。……だから、俺はそれを止めてやりたかったのさ……」
あの村で自分の手を引いてくれた、たった一人の家族。
狂ってしまった彼女を、これ以上罪を重ねる前に終わらせてやること。
それが、弟としての最後の愛情だった。
ダルセは黙ってネロの言葉を聞き、やがて小さく息を吐いた。
「……そうか。……最後にもう一度聞いておこうか。ネロ、こちら側に来るつもりはないか?」
世間話でもするような自然な動作で、ダルセが両の拳をスッと構える。
ネロもまた、ボロボロになった両腕の装甲を正面に突き出した。
「さっきも言ったろ……! 俺のいる場所は、フィオーネの隣だってなッ!!」
「……わかった。……では、死ね」
ダルセの巨体が、視界から完全に消えた。
音すら置き去りにするほどの異常な速度で間合いを詰め、死の重さを伴う右拳がネロの眼前に迫る。
だが、ネロは一歩も引かなかった。
死の拳が届くよりも早く、地を蹴ってダルセの懐深くへと一気に潜り込む。
そして極限まで熱を帯びた左右の装甲を、その分厚い腹部へとピタリと押し当てた。
重厚な金属から、不協和音のような重たい充填音がゼロ距離で鳴り響く。
『──二重衝撃、実行──』
空間そのものを引き裂くような最大の爆音と共に、二本の巨大な鋼鉄の杭が、ダルセの巨体を真っ向から穿つべく、至近距離で容赦なく撃ち込まれた。
* * *
すべてが白く塗りつぶされた、城塞の最上階。
王座の間。
煙が晴れた静寂の空間で、純白のコートを泥と灰に汚したフィオーネが、ゆっくりと膝をついた。
彼女の目の前には、完全に光を失い、ひび割れたモーディの『魔導回路の核』が転がっている。
「……このっ……ポンコツッ……!」
震える手でその黒く焦げたコアを拾い上げ、フィオーネは胸に強く抱きしめた。
不器用な自分をいつも無邪気にからかい、最後まで「家族」を守り抜いてくれた大切な友の死。
いつも被っていた冷たい仮面は完全に崩れ去り、彼女の瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちて、透き通るような白い頬を濡らしていく。
静寂の中、入り口の方から重たい足音が聞こえた。
「……そんな……アッシュ・クイーン……」
ボロボロに崩れた扉の前に立っていたのは、ビジネススーツをきっちりと着こなした男――回収部隊の幹部、エンツォだった。
粉々に砕け散ったセリアの残骸を見て、彼の中で何かが完全に壊れたようだった。
「……セリアとダルセ以外にも、まだ幹部がいたか。……おい、お前」
フィオーネは涙を手の甲で乱暴に拭い、ゆっくりと立ち上がった。
手には、赤い熱を失った魔核熱剣が握られている。
「……アッシュ・クイーン……私はこれから、どうすれば……」
うつろな目で呟くエンツォに、フィオーネは冷たい上官の顔を取り戻し、鋭く言い放った。
「おい、お前!! 大人しく投降しろ!! さもなくば!!」
「………さもなくば……どうするって……?」
エンツォが、焦点の合わない目をぎょろりとフィオーネに向けた。
彼の手が腰へと伸び、鈍く光る大型ナイフが引き抜かれる。
「このアバズレがぁぁぁぁぁああああ!!!!」
理性を完全に失ったエンツォが、人間とは思えない異常なスピードで突っ込んでくる。
だが、フィオーネの瞳に怯えはない。
「……悪いが、ここで死ぬ気はないんだっ!!」
向かってくるエンツォの軌道を冷静に見極め、フィオーネは極限まで低い姿勢に沈み込み、そこから一歩鋭く踏み込んだ。
すれ違う一瞬。
彼女の握る剣が、エンツォの胸のど真ん中を深く貫いていた。
「……ッ!! ……セリ……ア……」
血を吐き出しながら、エンツォは力なく崩れ落ちた。
胸から剣を引き抜き、フィオーネは冷たい視線でその亡骸を見下ろした。
「……お前らは本当に嫌いだ。自分たちの仲間には優しくて……それ以外には……」
ぽつりと呟き、剣の血を払う。
そして、彼女の視線は、王座の間の中央にぽっかりと開いた巨大な暗い大穴へと向けられた。
ネロが落とされた場所。
底の見えない闇が広がっている。
「……セリアの事だ。あの罠で、ネロが死ぬようなものを仕掛けたりはしないだろう。……恐らく、この先にいるのは……」
フィオーネは短く息を吸い込み、純白のコートの裾を強く握りしめた。
弟の無事を信じ、彼女は一切の迷いなく、その深く暗い穴の底へと飛び込んだ。




