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『孤独になった俺を、彼女は最後まで家族と呼んだ』  作者: ブヒ太郎


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第五十四話:喪失の波紋と、闇夜の熱

聖都ルメンティアの中心にそびえる中央塔。


分厚い防音ガラスで外界の音から完全に切り離された最上階の管理総監室は、鉛のような重く冷たい空気に沈み込んでいた。


巨大なマホガニーの執務机の奥。


アロンゾから事の次第の報告を受けたガロは、組んだ手の上に顎を乗せ、ひどく重たい溜息を落とした。


「……シオンが、逝ったか……」


「……彼ほどの男が後れを取るとは……私も信じられません……」


デスクの前に立つアロンゾが、神経質そうに眼鏡のブリッジを押し上げる。レンズの奥の瞳もまた、隠しきれない動揺に揺れていた。


「……アロンゾ。お前が預かる第三部隊で、今回の戦力になれそうな裏の部隊は何人いる……?」


ガロの静かな問いに、アロンゾは僅かに視線を落とす。


「……一応、戦闘に長けた者たちは何組かおりますが………」


「閣下」


そこへ、純白のスーツを着こなしたルカ・グラディが一歩前へ出る。


綺麗に整えられた金髪と、いつもの温和な笑みが顔に張り付いているが、そのバイオレットの瞳には一切の温度がない。


「恐れながら、フィオーネ調停者とネロ執行官は、アロンゾ主席が預かる第三の中では頂点の実力を持っています……。それに次ぐ戦力がいるか? と言われましても……」


「ルカ調律官……言いたいことがあるならはっきり言いたまえ……」


ガロの射抜くような眼光。


それを受け止めてもなお、ルカは背筋を伸ばし、静かに、しかし冷徹な事実を突きつけた。


「……無駄死にさせるおつもりですか? その場合、ご遺族にはなんと……?」


ルカは温和な笑みを崩さないまま、淡々と続ける。


「私以外の調律官も、同じことを進言するでしょう。……我々調律官は、彼らが裏任務で死んだ時、世間には『事故で死んだ』と発表して欺くのが仕事です。だから、死には慣れています。……ですが、我々も人です。……力なき者に死にに行けなど、言えるはずもない……」


ドンッ!!


ガロの巨大な拳が、分厚いマホガニーの机を激しく叩き据えた。


鉄血の最高権力者にしては極めて珍しい、感情を剥き出しにした重い音が広い部屋を震わせる。


「……………ッ!」


ルカが息を呑む。


痛切な沈黙の中、壁際に控えていたアロンゾが、神経質そうに眼鏡を押し上げながら静かになだめるように口を挟んだ。


「……総監……少し休まれては? このところ、働きづめです。お体に障りますよ」


「……すまない、取り乱した……報告ご苦労……」


ガロが深く、苦しげな息を吐き出すと、アロンゾは言葉を継いだ。


「……総監が、フィオーネ調停者たちを義理の娘や息子のように思うお気持ちはわかります。ですが……彼らにもそれぞれ、帰るべき家族がいるのです……早まった決断はされぬよう……」


アロンゾの忠告に、ガロは目を伏せた。


「……わかっている……わかっているさ……」


ガロはゆっくりと、窓の外へ視線を向けた。


「……だが、シオンも……」


言葉が、一瞬止まる。


「……私にとっては、義理の息子のようなものだったのだ……」


その静かな、ひどく掠れた声には、鉄血のトップとしての威厳はなく、ただ教え子を喪った一人の父親の悲哀だけが滲んでいた。


「……もういい……下がれ」


ガロは疲労の色を濃くした顔で手を払い、二人を退室させる。


窓の外には、何も知らない聖都の平和な青空が広がっていた。


* * *


冷たい潤滑油と金属の匂いが漂う、技術局の開発室。


車で到着したネロたちは、無機質な照明が並ぶ広大なラボへと案内されていた。


「レイン局長! フィオーネさんたちをお連れしました」


案内役の局員が声をかけると、部屋の奥、巨大な作業台の前に立っていた白衣姿の青年が振り返った。


「わかった、こっちへ案内して」


銀縁の眼鏡の奥から、いつものように飄々とした声を出すレイン。


だが、歩み寄るネロたちを迎えたその目元は微かに赤く、通信越しに涙を零していた直後の、隠しきれない喪失の空気をまとっていた。


「……やぁ……さっきはどうも。もう調整は終わってるよ」


レインは白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、少しだけ気まずそうに視線を逸らし、作業台の上に置かれた仰々しい鉄塊へと顎をしゃくった。


「……これは……」


ネロは息を呑み、無言でその巨大な金属の塊――重魔核兵装『ヘビー・プレッシャー』を見下ろした。


人の頭ほどもある、いびつで重厚な二つの鉄塊。


ゆっくりとそれを手に取り、両腕へと嵌め込む。


ガシャン、と重たい金属音が噛み合い、強固なロックが掛かった。


両腕合わせて四十キロの死の質量。


「……軽いな……」


ネロが軽くステップを踏み、虚空へ向けて右のジャブを放つ。


シュガッ、と空気が圧縮され、鋭い風切り音がラボの冷たい空気を切り裂いた。


それを見て、レインがいつもの調子を取り戻し、呆れたように息を吐く。


「それを軽いと言えるのは、全人類で君だけだと思うよ……」


足元では、多脚機のモーディもガシャガシャと金属の脚を鳴らして相槌を打つ。


『まるで僕の事が重かったみたいな言い方じゃないですかぁっ!』


「説明書は……?」


「気に入ってもらえたようでよかったよ……はい、これ……」


レインは肩をすくめ、分厚いマニュアルをネロに手渡す。


ネロがそれに目を通し始めた横で、私服姿のフィオーネが一歩前へ出た。


「……一応聞いておくが、モーディの前身という事なら、モーディほど馬鹿げた出力は出ないのだろうな?」


義弟の身体の崩壊を案じる、切実な問い。


だが、レインは銀縁の眼鏡を押し上げて事もなげに答えた。


「そりゃぁ、出るに決まってるでしょ。モーディだって、ネロくんの相談相手になるために疑似人格作って植えこんだけど、本来は兵器としての運用が正しいんだから……」


それを聞き、フィオーネは心配そうにネロの腕の装甲へと視線を向ける。


「……無茶だけはしないようにな……」


「大丈夫だよ……心配性だなぁ……」


ネロが笑って返すと、モーディが無邪気な電子音を響かせた。


『そうですよぉ、もうマスターなんか半分人間辞めちゃってるんですから大丈夫ですよぉ』


「……おいポンコツ……お前自分の主が人間辞めてるなどとよく言えるな」


フィオーネから放たれた氷のような視線に、モーディは金属の脚を震わせた。


『ひぇ!? 褒め言葉ですぅぅぅぅ』


慌ててレインの後ろに隠れるモーディ。


そのやり取りを見て、レインは柔らかく微笑んだ。


「あはは……ほんと変わらないねぇ……キミらは……」


レインの穏やかな声に触れ、フィオーネは冷徹な表情を僅かに和らげ、ふっと息を漏らすように笑った。


「……そうだな……こういうのが……ずっと続けばいいと……もう何も無くならなければいいと……そう強く思うよ……」


静かにこぼれ落ちた、祈るような本音。


レインはその横顔を見て悟り、深く頷いた。


「……そうですね……もう誰かが欠けるなんて、よしてくださいよ……」


「……あぁ」


フィオーネの短くも力強い肯定が、冷たいラボの空気に温かな余韻を残した。


* * *


その日の夜。中級居住区のアトラス家。


ネロとフィオーネは普段通りに一緒に夕食を摂り、先に風呂から上がったネロは、ソファに深く腰を下ろして壁掛けのテレビを眺めていた。


『――対策局の迅速な対応により、事態は早々に収束しています――』


画面越しにキャスターの無機質な声が流れる。


ニュースが報じているのは、聖都の壁の外で対策局と大型魔獣が交戦し、撃退したという内容だった。


真実は違う。


シオンとその第二部隊が、セリアと彼女に付き従う魔獣たちと混戦し、全滅したのだ。


だが、その凄惨な事実は一般市民のパニックを防ぐため、調律官のルカたちによって完全に隠蔽され、ただの「防衛成功の美談」へと書き換えられている。


ネロは濡れた黒髪をタオルで拭きながら、漆黒の瞳に苦々しい色を浮かべて画面を見つめていた。


「モーディ、もっと明るい番組に変えてく……」


ネロが声をかけた、その瞬間だった。


プツン、と。


部屋の照明が落ち、テレビの電源も切れ、リビングが完全な暗闇に沈んだ。


(敵の強襲か……!?)


ネロの筋肉が瞬時に硬直し、低い姿勢をとる。


「索敵になんか引っ掛かってないか!?」


『いえ、特には。なんら怪しい熱源もありませんー。ただの停電ですかね?』


外の街灯の青白い光だけが窓から差し込む不自然な状況。


そんな中、ネロの背後の廊下から、ひどく静かで、震える声が響いた。


「……電気を消したのは私だ」


聞き慣れた義姉の声。


ネロは肩の力を抜き、安堵の息を吐き出した。


「……はぁ……なんだよ、びっくりでもさせたかっ……」


そう言いながら振り返ったネロは、息を呑んで完全に硬直した。


窓から差し込む淡い光に照らされた暗がりの中。


そこには、風呂上がりで何も身につけていない、透き通るような素肌のフィオーネが立っていた。


濡れた黒髪から水滴が滴り、女性らしい曲線美が一切の遮蔽物なく晒されている。


「……お願いを聞いてくれないか? ネロ」


「と、とりあえず服着ろって……おい、モーディ持ってきてやれよ」


顔から火が出るほどの動揺を見せ、ネロは咄嗟に視線を逸らそうとする。


『あいあいさ~』


モーディが金属の脚を動かそうとするが、フィオーネはかすかに震える声でそれを制止した。


「いや……この格好には意味があるんだ……ネロ……」


彼女は一歩、ネロへと歩み寄る。


夜の冷気の中、彼女の肌から放たれる熱と、かすかに甘い香りがネロの鼻腔をくすぐった。


「今夜、私を義姉としてではなく……一人の……女として抱いてくれないか……?」


静寂に包まれたリビング。


氷の調停者としての退路を断った、彼女の悲壮なほどの決意と体温だけが、暗闇の中で静かにネロへと迫っていた。

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