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『孤独になった俺を、彼女は最後まで家族と呼んだ』  作者: ブヒ太郎


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第三十三話:着飾った氷の義姉と、絶対的な所有権

聖都ルメンティアの中級居住区からほど近い、落ち着いたレンガ造りの飲食店街。


その端に位置するバル・レストランの重い木扉をネロが押し開けた。


店内に漂うスパイスと肉の焼ける匂い。


奥のテーブル席から、ガタイの良い青年が大きく手を振った。


「よっ! ネロ! こっちこっち!」


同僚のマルコだ。


そのテーブルには、すでにアリア、クララ、テオの三人が腰を下ろしていた。


「お疲れ。待たせたな」


ネロが人当たりの良い笑みを浮かべて近づいていく。


「ネーロくっ……」


席を立ち上がり、嬉しそうに声をかけようとしたアリアの言葉が、途中でピタリと止まった。


彼女の視線が、ネロの斜め後ろに縫い付けられる。


「……ふむ……。ネロたちは普段こういうところで呑んでいるのか。てっきり、もっと騒がしい酒場に行くのかと思っていたぞ」


コツリ、と。ヒールの高い靴が板張りの床を鳴らす。


ネロの背後から姿を現したその人物に、テーブルの全員が息を呑んだ。


鎖骨のラインが美しく見えるVネックのブラウス。


下半身は歩くたびにしなやかなシルエットを描くタイトスカートでまとめられている。


艶やかな黒髪は普段の隙のないストレートではなく、ふわりと緩く巻かれ、大人の余裕を引き立てるような化粧が施されていた。


普段、職場の空気を凍らせている上官と同一人物とは思えない姿。


「……フィオーネ……上官……?」


クララが眼鏡の奥の目を丸くして呟く。


「なんだ、クララ。今は終業後だ。別に敬称はつけなくていいぞ」


「じょ、上官だっ!」


テオがタブレット端末から顔を上げ、信じられないものを見るように固まる。


マルコが冷や汗を拭いながら引きつった笑いを浮かべ、ネロに淡い好意を寄せるアリアに至っては、圧倒的な空気の違いを突きつけられ、小動物のように肩を縮こまらせていた。


「……フィ、フィオーネさん……。今日はいつもと、随分違うようで……」


「ん? ネロに一緒に来てくれと頼まれたのでな。流石に職場と同じダークスーツで来るのも不味かろうと思って、少し身なりを整えただけだ」


涼しい顔で、さも当然のように言い放つフィオーネ。


その足元で、スリープモードに入っていたはずの多脚機・モーディがピコピコとモノアイを点滅させた。


『ピピッ……演算完了。これは周りの蟲に対する完全な牽せ――』


「おい、ポンコツ」


絶対零度の殺気が、ブラウス越しにも物理的な重圧となって降り注ぐ。


『……僕は箱です……。ただの鈍色の箱ですぅ……』


金属の脚を震わせ、モーディは即座に機能停止のフリをした。


「……まぁまぁ、とりあえず座ろうぜ」


張り詰めた空気を誤魔化すように、ネロが苦笑しながら席を勧める。


二人がテーブルに着くと、給仕がメニューを手にしてやってきた。


「俺はエールで」


「私はバーボンをロックで貰おうか」


迷いなく言い切ったフィオーネに、給仕は恭しく一礼して下がっていく。


「……頼むものが男前すぎる……」


マルコが呆気にとられたように呟く。


「ふぃ、フィオーネさんって、お酒強いんですね……」


アリアがおずおずと尋ねると、フィオーネは悪びれる様子もなく頷いた。


「まぁ、それなりにな」


「へー、いいなぁ。あたしなんか、そんな度数の高いお酒飲んだら、歩けなくなっちゃいそうですよ」


クララが感心したように言う。


すると、フィオーネは手元のグラス敷きをいじりながら、一切の感情を交えない平坦な声で、しれっと口にした。


「まぁ、もし私が歩けなくなった時は、ネロに家まで抱えて連れて帰ってもらうから大丈夫だ」


「…………」


アリアのひきつった笑みが、ぴたりと止まった。


クララもまた、決して触れてはいけない領域を察したように、静かに視線をグラスへ落とす。


フィオーネ自身は、そんな空気の変化など意にも介していない様子で、運ばれてきたバーボンへ静かに口をつけた。


『(観測しましたぁ……これはもう完全に「この席の序列」が確定した瞬間ですねぇ……)』


沈黙する箱と化したモーディだけが、誰にも聞こえない内部回路のノイズで静かに震えていた。


「……よし、とりあえず乾杯しようか!」


女性陣の間に流れた氷のような空気を必死でかき混ぜるべく、ネロが明るくジョッキを掲げる。


* * *


時計の針が二十三時を回った頃。


店を出た一行を、夜の冷たい空気が包み込む。


だが、その程度で冷める熱気ではなかった。


「ぬぁぁぁ、フィオーネさんっ、そんなにネロっくんにべったべったくっついてていいんですかぁ?」


アルコールで顔を真っ赤にしたアリアが、普段の怯えを完全に消し飛ばし、フィオーネに向かって指を突きつける。


「……うわ……アリア酔い過ぎだろ……」


マルコが引きつった顔で後ずさる。


「……だいぶハイペースで呑んでたしね」


クララが呆れたように眼鏡を直した。


一方、絡まれたフィオーネはといえば。


「……うむ……なかなか悪くない店だったぞ」


「……会話が成立してない」


テオがタブレットから目を離し、虚無の表情でツッコミを入れる。


彼女の透き通るような白い頬も、普段ではあり得ないほど赤く染まっていた。


視線の焦点も微かに合っていない。


「何が『私とネロの仲は、なかなか悪くないぞ』ですかぁ~~~?!」


「言ってない言ってない……」


アリアの幻聴に、ネロが横から宥めるように手を入れる。


『ピピッ……これはラストバトル勃発の予感でしょうか!? 醜い女の闘いが今始まるっ!!』


「煽るな、ポンコツ……」


足元で実況を始めた機械を軽く小突くネロ。


だが、フィオーネはふらりとした足取りで一歩前に出ると、堂々と言い放った。


「元より私とネロの仲は、義姉弟以上恋人未満だ。……どうだ? 素晴らしいだろう」


「……そうなの?」


マルコが思わずネロを見る。


「酔っ払いの発言を真に受けるな……」


ネロは頭を抱えた。


「男ってやつはですねぇ!」


アリアが路上で大きく両手を広げる。


「本来は、私みたいな護りたくなるような小動物キャラが好きなんですよぉぉぉ! 上官みたいに男勝りでかつ男口調な女性は、『ヒロイン』になり得ないんですよぉぉぉ!」


「……なんかとんでもない事言い始めました……」


テオが再び虚無の声を漏らす。


「……俺の中のアリアちゃん像が崩れていくぅぅぅぅ」


マルコが頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「…………」


ピタリ、と。


フィオーネの動きが止まった。


うつむき、前髪で表情が見えなくなる。


「……あ、やば……フィオーネ上官、もしかして酔いが醒め……」


クララが身構えた、次の瞬間。


「そんにゃ女でも、私の事を好きでいてくれるネロが羨ましいだと? ……やめろ、さすがに照れる」


「醒めてなかったわ……」


クララが安堵と呆れの混じった溜息をつく。


フィオーネは一切表情を崩さぬ真顔のまま、見事に呂律を回し損ね、そして本当に少し照れたように耳の裏まで真っ赤にしていた。


「……ったく、仕方ねぇなぁ……」


これ以上の放置は危険と判断したネロは、呆れ半分に笑うと、ふらつくフィオーネの身体をヒョイと肩に担ぎ上げた。


「んぁ? なんだぁ? こんな恥ずかしい事をされては義姉としての威厳がぁ……」


ネロの肩の上で、フィオーネが力なく手足を動かす。


「……こんなに酔ってるフィオーネは初めて見たよ。……まぁ、それだけ楽しかったんだろうな」


ネロはふっと柔らかく笑い、暴れる義姉を落ちないようにしっかりと支える。


『(いや、絶対牽制とマウント取りでハイペースで酒に……)』


内部ログで真実を導き出したモーディだが、流石にそれを音声に出すことはしなかった。


「ま……」


「楽しめたなら……」


「良かったんじゃないかねぇ」


マルコ、クララ、テオの三人が、嵐が過ぎ去るのを見送るように温かい視線を送る。


「あぁ、じゃぁ、フィオーネ連れて帰るわ。またなっ」


「「「気を付けて〜」」」


「うぁぁ〜〜、覚えてろ〜〜」


背後でアリアの負け惜しみが響く中、ネロたちは静かな夜の街路へと歩き出した。


* * *


喧騒から離れた、薄暗い中級居住区への帰り道。


ネロの肩に担がれたフィオーネは、すっかり静かになり、スヤスヤと規則正しい寝息を立てていた。


だが、路地裏の静寂が、突如として別のものに変わる。


冷たい風。


そして、肌を刺すような明確な『殺気』。


「……」


ネロの足が止まった。


穏やかな青年の表情が、瞬時に冷徹な執行官のそれへと切り替わる。


「モーディ」


『はいっ』


ネロは肩で眠るフィオーネをそっと下ろし、展開したモーディのパワーアームへと静かに預けた。


暗い夜道の奥。


魔導照明の光が届かない死角から、一つの影がぬるりと滲み出た。


「……お前がネロか?」


ひび割れたような、深い憎悪を孕んだ声。


「……そうだが……あんたは?」


ネロが重心を落とす。


影から姿を現した男の顔には、復讐の狂気が張り付いていた。


「……トビアの仇……討たせてもらうッ!!」


男が腰から抜き放った小型の双剣が、夜の闇で冷たい光を反射する。


言葉を終えるよりも早く、男は石畳を蹴り、ネロの喉笛めがけて一直線に突進してきた。


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