第三十二話:装甲の欠片と、自己犠牲の連絡線
薄暗く、紫煙と安酒の匂いが染み付いた酒場『錆びた碇』の奥の間。
ルッジェーロが腕を組んで待ち構えるテーブルの上へ、フィオーネは冷たい声で用件を切り出した。
「これだ。これを付けてる奴らを見つけてほしい」
フィオーネが顎でしゃくると、多脚機のモーディが器用にパワーアームを伸ばし、テーブルの中央に黒ずんだ硬質な欠片――特別尋問室で自害した巨漢・トビアから回収した『生体装甲』の一部をコトリと置いた。
「……これか……」
ルッジェーロは義眼を細め、太い指でそれを拾い上げる。
ずしりとくる密度。表面のいびつな構造。
長年、辺境で命のやり取りをしてきた裏社会のギルドマスターの顔から、獣のような笑みがスッと消え去った。
「……その辺の市場に出回るようなシロモンじゃねぇな」
「だろうな」
フィオーネは表情一つ変えずにうなずく。
ルッジェーロは装甲の欠片をテーブルに放り投げ、皮の剥げたソファーの背もたれに深く体重を預けた。
「………俺たちに死ね、とでも言いたいのか?」
「まさか。言っただろう? 『見つけてほしいだけ』だ」
「……わかった。興味本位で聞くが……こいつら見つけてどうする気だ?」
ルッジェーロの義眼が、背後に立つネロへと向けられる。
ネロは、今まで張り付けていた人当たりの良い気配を完全に消し去り、静かに口を開いた。
「……そいつらはベラを……俺の同僚を殺した奴らとの繋がりがある。それを吐かせたい」
「……こんな分厚い装甲板つけて動き回れるやつらだろ……? 普通じゃねぇぞ。あんたらは公安だ。殺し屋じゃねぇんだぜ兄ちゃん。お仲間が何人犠牲になるかわかったもんじゃねぇぞ」
それは裏社会の人間なりの、死線を見極める嗅覚からの忠告だった。
だが、ネロはルッジェーロの視線を真っ直ぐに受け止め、感情の温度を完全に消した声で告げた。
「……そいつらを始末するのは、俺の役目だ」
一瞬。
奥の間の空気が、物理的な圧力を伴って沈み込んだ。
ルッジェーロの義眼が、微かに軋む音を立てた気がした。
目の前の青年は、怒っているわけではない。
憎しみに呑まれているわけでもない。
ただ、“必ず殺す”という結論だけが、静かにそこにあった。
「………」
ルッジェーロはネロの漆黒の瞳の奥底にあるものを見て、やれやれと小さく息を吐いた。
「で? どうだ? 出来るのか」
「……あぁ、見つけるだけならなんとか出来るだろう。ただし戦わない。命がいくつあっても足りやしねぇからな」
「それでいい。むしろ組織をまとめる長としては、正しい判断だ」
フィオーネは満足げにうなずき、テーブルの上に置かれていた口止め料の筒をルッジェーロの側へ滑らせた。
「では、何かわかったらここに連絡し――」
フィオーネが内ポケットから、支給された極秘の暗号通信端末を取り出そうとした、その時。
『僕に連絡してもらっていいですかぁ〜?』
空気を読まない無邪気な電子音が、取引の重い緊張感をあっさりとぶち壊した。
「……おい、モーディ。それはどういうことだ」
『おやおやぁ? フィオーネ様ともあろうお方が、スパイの事をお忘れですかぁ? その極秘端末と言えど、それはどこのどなたが支給されたものですかぁ?』
「………」
フィオーネの手がピタリと止まる。
組織内に内通者がいる以上、通信機器の裏に何者が潜んでいるかわからない。
モーディはガシャガシャと脚を鳴らし、誇らしげにモノアイを点滅させた。
『それに対して僕は、対策局が作った最新秘密兵器っ!! ガロ総監とレイン局長以外は、僕のデータにアクセスできません!』
「……もしも、そのレインさんが繋がっていたら一巻の終わりだな」
ネロが苦い顔で指摘する。
飄々として掴みどころのない技術局トップの顔が浮かんだ。
「……そうだな。だが、それは我々の端末にしても同じことだ」
フィオーネが悔しげに自身の端末をジャケットの奥へとしまう。
『安心してくださぁい。もしも不正なアクセスを検知した時には、僕が自分で通信回路を焼き切りまーす』
「おま……そんなことしたら、下手したら……」
ネロの言葉が止まる。
モーディは、自分が何を言っているのか理解していないはずがない。
通信回路を物理的に焼き切るということは、AIであるこいつにとって“死”に等しい。
それを、この機械はまるでおやつの話でもするように軽く言ってのけたのだ。
『いいんですよぉ、マスターァ。僕たちマブダチじゃないですかぁ。それに』
「それに……?」
『マスターとの生活に何かあったら、フィオーネ様が可哀想ですしねぇ……彼女のこれまでの生い立ちからすると』
孤児として育ち、家族という温もりを持たずに生きてきた彼女。
ようやく手にした『唯一の家族』を再び奪われる恐怖を、この機械は正確に計算していたのだ。
一瞬の静寂。
「……余計な世話だ」
吐き捨てるような声だった。
フィオーネはそっぽを向き、レザージャケットの襟を乱暴に立てる。
だが、その言葉の最後だけが、かすかに弱く震えていた。
天涯孤独だった彼女の、隠し損ねた不器用な怯え。
誰にも気付かれないほどの小さな声の揺れを、ネロだけはしっかりと聞き逃さなかった。
「……」
ネロは微かに口角を上げ、己を犠牲にしてまで義姉を気遣ってくれる相棒の装甲を、靴の爪先で軽く、優しく叩いた。
「……なんとなく事情はわかったが……これ以上は帰ってからやってくんな。お役人の内部事情なんざ、あまり深入りしたくねぇ」
呆れたように溜息をつき、ルッジェーロが巨大な手で顔を覆う。
「とりあえず、今後の連絡はそこの蛸とすればいいんだな?」
『そうですよー、おじさん。でも僕は蛸という名前じゃありません。超高性能AIのモーディですぅ!』
泥臭い裏社会の酒場で交わされた、危険な密約。
こうしてネロたちは、暗闇の広がる辺境での情報集めを猟兵たちに任せ、束の間の平穏を保つ聖都ルメンティアへと一度帰還するのだった。




