第二十六話:灰に潜む獣たち
巨漢の男が、積もった灰を爆発的に蹴り上げてネロの顔面めがけて突っ込んできた。
分厚い装甲を纏ったその巨大な体は、さながら意思を持った重戦車だ。
「……ッ!」
ネロは右手に握りしめた漆黒の鉄塊――『対装甲戦棍』を大きく振りかぶり、男の頭上めがけて渾身の力で叩き下ろした。
空気がひしゃげ、重たい風切り音が遅れて追従する。
必殺の質量が激突した。
だが。
ゴァァンッ!!
鐘ではない。
巨大な建造物そのものを殴りつけたような衝突音が響き渡る。
「……嘘だろっ!?」
致死の軌道に対し、男は無造作に左手を突き出していた。
ネロの放った超質量の打ち下ろしが、その分厚い装甲板に覆われた「片手」によって完全に停止している。
(冗談キツいぜ……人が片手で受け止めていい重量と速度じゃねぇぞ……ッ!)
ネロが空中で膠着した戦棍を引こうとした、その時。
背後の灰が爆ぜた。
四つん這いで獣のように低い姿勢を保っていたもう一人――犬女が、ネロの完全に開いた死角へと突っ込んでくる。
「チィッ、そっちか!」
ネロが防御の体勢を取ろうとした瞬間、犬女は不自然なほど鋭角に軌道を変え、後方に立つ純白のコートの女――フィオーネへと標的を切り替えた。
「フィオーネッ!」
振り返ろうとした隙を、巨漢の男が見逃すはずもない。
戦棍を掴んだまま、空いた丸太のような右腕がネロの側頭部を粉砕すべく放たれる。
「邪魔だ、退いてろッ!!」
ネロは戦棍から片手を離し、迫る巨腕をスレスレで躱しながら男の腹部へと潜り込んだ。
黒シャツの下、右脚の筋肉が繊維を破らんばかりに隆起する。
漆黒の瞳の奥に薄暗い『灰光』が走る。
己の中に眠る理外の力を引き出した、殺意の蹴り。
メキィッ――。
装甲が耐える音ではない。
壊れる順番を間違えた金属が悲鳴を上げた。
一拍遅れて、強烈な衝撃波が周囲の灰を放射状に吹き飛ばす。
巨漢の男は巨大な岩が転がるように、後方へ十メートル近くも弾き飛ばされた。
「フィオーネッ! 無事か!」
ネロが即座に背後を振り返る。
そこには、獣のように伸びた硬質な爪を、赤熱化した『魔核熱剣』でギリギリと受け止めているフィオーネの姿があった。
超高温の刀身と爪が激突し、激しい火花と蒸気が散る。
「よそ見をするなネロ! 自分の身くらい、自分で守れる。……それより、お前はそのデカブツをどうにかしろ!」
背中越しに義弟へ言い放つフィオーネ。
鍔迫り合いの最中、犬女が獣のように鼻を鳴らして嘲笑った。
「……キャハハッ! へぇ、人間にしては結構やるじゃん、おばさん!」
「…………あ?」
瞬間、フィオーネの周囲の空気が物理的な氷点下まで完全に凍りついた。
人を寄せ付けない氷の調停者の仮面が剥がれ落ちる。
完全なる鬼の形相へと変貌した彼女は、熱剣で爪を強引に弾き返し、純白のコートの裾を翻して犬女の腹部へ鋭い前蹴りを叩き込んだ。
「ぐっ!?」
犬女の身体が宙に浮く。
だが、空中で猫のように身を捻ると、音もなく灰の積もる地面へ着地した。
「……はっ! 軽い軽い! そんな蹴りじゃ、ハエも殺せないねぇ!」
挑発的な笑みを浮かべ、犬女は再び四つん這いの姿勢で飛びかかる体勢を取る。
一方、蹴り飛ばした巨漢の男に視線を戻すと、男はすでにゆっくりと身を起こしていた。
腹部の分厚い装甲には亀裂が走っている。
だが、その巨体の挙動にダメージの兆候は微塵も見られない。
「……お前……ただの人間か?」
野太く、感情の読めない声で大男が問う。
「……言ってろ! このデクの坊がッ!」
ネロの罵倒にも大男は一切の挑発に乗らず、無言で腰を落として再び戦闘態勢を取った。
重心の低い構えには一切の隙がなく、異常なまでの実戦経験を感じさせる。
(……早くこいつを片付けないと、後ろで気配を消して突っ立っているもう一人も動き出す……。それに、フィオーネの剣じゃあいつらのあの異常な装甲は斬り裂けない……ッ!)
ネロはギリッと奥歯を噛み鳴らし、右手に握る漆黒の戦棍に向かって叫んだ。
「……モーディ! 今の異常な生体反応、記録したな! こいつらの中身はもう人間じゃねぇ! 俺と同じ『バケモノ』だ! ……言ってる意味はわかるなッ!」
それは、この先に起こる事態から己の理性を守るための、ネロ自身の自己暗示でもあった。
目の前にいるのは人ではない。
だから、殺しても構わないのだと。
『──了解。対象を非生命体と再定義します』
殺戮兵装と化した内蔵AIの冷徹な機械音声が、戦場の熱を急速に冷却する。
『対単体・極大貫通プロトコル、ロード。魔導回路01〜03、直列連結確立』
戦棍の内部で三本の魔導回路が直結される。
凄まじい高周波の共鳴音が鳴り響いた。
『マナ・プレッシャー、規定値を突破。安全リミッターを強制遮断します。……マスター、衝撃に備えてください』
『──対象の装甲組成を、”不要物”と再定義。撃発機構を起動──』
「おおおおおっ!!」
ネロは踏み込んだ足元の石畳を粉砕し、一瞬で巨漢の男の懐へと潜り込んだ。
男が防御の腕を振るうよりも速く、戦棍の先端を、ヒビの入った腹部装甲にピタリと押し当てる。
「そのまま、吹っ飛べェェッ!!」
ドンッ――。
音が消えた。
音速を超えて打ち出された極大の鋼鉄の杭が、男の腹部装甲を深々と穿つ。
肉と硬直物が同時に爆ぜる痛ましい轟音が、一拍遅れて大気を震わせた。
圧縮された空間が弾け飛ぶ。
巨漢の男は胸を大きく反らせたまま、遥か後方の廃屋の壁を次々と突き破り、瓦礫の彼方へと消し飛んだ。
その凄絶な破壊力を前に、犬女の動きがピタリと止まる。
「……マジかよっ! あいつ、まさかアッシュ・クイーンが言っていた『適合者』か!?」
「……アッシュ・クイーン……?」
フィオーネが耳慣れない単語に眉をひそめる。
(こいつらは人じゃねぇ……人じゃねぇ……ッ!!!)
両腕にこびりつく生々しい感触を振り払うように、ネロは荒い息を吐きながら戦棍を構え直した。
腹部にパイルバンカーを直撃させたのだ。
どんな生物であろうと、肉片すら残らず即死している。
そう信じなければならない。
だが。
『──魔導回路、再連結開始。次弾装填します──』
冷徹なシステム音声が、戦棍の内部機構をガチャリと回転させる。
「……!?」
『先程の敵性人物の生体反応継続を確認。戦闘態勢の継続を推奨』
「……マジかよ……」
ネロは目を見開き、奥の廃墟から立ち上る土煙を凝視した。
崩れた瓦礫を押し除け、巨漢の男がゆっくりと立ち上がる。
腹部の装甲は完全に粉砕され、ぽっかりと大穴が空いている。
だが、そこから血の一滴すら流れていない。
土煙が晴れた奥。
男の無機質な瞳が、今のネロと全く同じ、異常な『灰光』を爛々と輝かせていた。




