第二十七話:更地と化す狂気
巨漢の男――トビアが、腹に大穴を開けたまま獣のような雄叫びを上げた。
声というより、それは空気を殴りつけるような衝撃波だった。物理的な震動が廃村の空気を震わせ、焼け落ちた家屋の残骸がビリビリと悲鳴を上げる。
「……おいっ、トビアッ! ……チッ、ダメか。完全に力に呑まれやがったな……」
犬のように四つん這いになっていた女――カルラが舌打ちをする。
その隙を突き、フィオーネが純白のコートを翻し、赤熱する剣をカルラの首元へ突き放つ。
だが、カルラは獣のようなバックステップで音もなく距離を取り、ニヤリと笑った。
「……お前たち、自分たちが何と戦ってるか分かってるみたいだな。……なら、この場から生きて逃がすと思うなよ……!」
「……アハハッ! 何を言い出すかと思えば……」
カルラが地面をトントンとリズミカルに叩く。
すると、その足先の筋肉が、ズズッと異様な音を立てて風船のように膨れ上がっていった。
「……逃がす気がないのは、こっちも同じだよ。目撃者は全員始末しろってのが、ボスの方針だからねぇ」
カルラの瞳に不吉な『灰光』が宿った瞬間。
パンッ! と。
踏み込んだ足元の石畳がすり鉢状に粉砕され、巨大な砂煙が爆発的に舞い上がった。
「……っ!」
空間がブレた。
視界から完全に消えたカルラが、死角からフィオーネの喉笛めがけて突っ込んでくる。
フィオーネは間一髪で熱剣を盾にし、硬い鉤爪の直撃を弾き返した。超高温の火花と蒸気が散る。
「……!?」
反応されると思っていなかったのだろう。カルラは驚きに見開いた目を、すぐに歪な三日月型に細めた。
「……へぇ……。男の後ろに隠れてるか弱いただの女かと思ってたけど、意外にやるじゃん……!」
「……舐めるな」
冷や汗を流しながらも、フィオーネは剣を構え直す。相手は人の形をしたバケモノだ。少しでも集中を切らせば、次の瞬間には肉を裂かれる。
一方、ネロは雄叫びを上げるトビアを冷たく睨み据えていた。
先程放ったパイルバンカーの殺人的な反動。
それを強引に抑え込むため、ネロは体内に眠るウイルスの力を限界まで引き出していた。両腕の皮膚の下で黒い血管のようなものが蠢き、自分の肉体ではないような錯覚に陥る。
(もう一発撃つのが限界だろうな。だが、それであのデカブツを仕留めたとしても、まだ後ろに二匹……)
絶望的な状況。
だが。
(フィオーネだけは絶対に生きて帰らせる。セリア姉さんみたいな事には、絶対させない……ッ)
ネロは深く息を吸い込み、ウイルスのリミッターをさらに一段階引き剥がした。
漆黒の瞳が、爛々と輝く『灰光』に完全に支配される。両腕の筋肉が先程とは比べ物にならないほどに膨れ上がり、黒シャツの袖がはち切れんばかりに軋んだ。
「オォォォォォォォッ!!」
理性を失ったトビアが、絶叫と共に突っ込んでくる。
圧倒的な重さを伴う右ストレート。ネロはそれを最小限の動きで躱し、トビアの懐へと潜り込んだ。
「……悪いが、お前と遊んでる暇はねぇんだよッ!」
漆黒の戦棍を、トビアの腹部へ渾身の力で叩き込む。
硬い打撃音が響き、トビアの巨体が「く」の字に折れ曲がる。だが、狂気を宿した瞳の光はまだ死んでいない。
ネロは戦棍を振り回した勢いを殺さず、自らの身体を独楽のように回転させた。
『──撃発機構、再起動──』
遠心力を乗せた戦棍の先端が、再びトビアの装甲に突き立てられる。
「……ッ!!!」
ドンッ――。
二度目のパイルバンカーが空気を打ち砕いた。
トビアの巨体は完全に宙に浮き、後方の瓦礫の山へと弾き飛ばされ、今度こそ完全に動かなくなった。
そのすさまじい破壊劇を横目で見て、カルラはフィオーネから素早く距離を取った。
「……アハハハッ!! よくやったな、トビアッ!! これであの男は、もう反動で暫く動けねぇ!! あとはこの目の前の女を始末すれば、仕事は終わりだっ!!」
「ハァッ……ハァッ……」
フィオーネの肩が激しく上下している。
対人戦に特化した彼女にとって、獣の反応速度を持つカルラの猛攻を凌ぎ切るのは、とうに身体の限界を超えていた。純白のコートの内側から、多量の汗が噴き出している。
「……ネロ……逃げるんだ……」
振り絞るように告げ、ネロの方へ視線を向ける。
そこには、漆黒の戦棍を杖代わりにして、かろうじて地に立っている義弟の姿があった。
その時、後方の廃屋の陰に隠れていた三人目の男――マルコが声を上げた。
「カルラッ!! 麻痺ガスの調合が終わったぜ! そいつら縛って本部に持っていくか?」
カルラは邪悪な笑みを浮かべ、舌なめずりをした。
「……そうだな……。男の方はいい実験体になるぜ……リクト様に褒めてもらえる……。女の方は……男どもの良い玩具になりそうだな……」
「……いいなぁ。なぁカルラ、その女、最初は俺に味見させてくれよ」
「……あぁ? ふざけてんのかマルコ。テメェが最初に味見するなら、その分きっちり『仕事』出してもらうからな?」
下劣な会話を交わす二人。
だが、その余裕は、冷徹なシステム音声によって完全に凍りついた。
『広域空間制圧プロトコル、スタンバイ』
感情の温度を一切持たない機械音声が、空間の熱を奪い去った。
ネロの握る戦棍から異常な高熱の蒸気が吹き出し、周囲の空気が陽炎のように歪み始める。
『魔導回路01~06、多重並列連結を確立』
「……なんだよ……それ……」
マルコの足が、ガタガタと震え出した。
殺気ではない。暴力的な威圧感でもない。
ただ、“世界そのものが自分たちを敵に回したような”、理解不能な絶対的恐怖。
『エネルギー分配パターン:拡散。──当該座標における物理的構造の固定を解除。地形維持プロトコルを強制遮断します』
死の気配を肌で感じ取ったカルラは、本能のままにマルコの元へ走った。
「一旦引くぞ、マルコッ!!」
「ヒッ!? 引いたら処刑だろっ!?」
「じゃぁ、テメェ一人で死ね!!」
カルラはマルコの首根っこを掴み、逃走の体勢に入る。
だが、その逃走経路の眼前に。
先回りしたネロが、音もなく立ち塞がっていた。
「!?」
後方で立ち尽くすフィオーネは、息を呑んだ。
空気が――止まっている。
風も、音も、熱も。世界を構成するすべてのものが、ネロの握る漆黒の戦棍の一点へと吸い寄せられていく。
(ネロ……?)
理解が追いつかない。
だが、彼女の研ぎ澄まされた本能が激しく警鐘を鳴らしていた。
あれは、“人が使っていい力ではない”、と。
『対象エリアの全事象を”不要な凹凸”と再定義。衝撃波による物理的均一化を開始──』
「……逃がすかよ……」
背後からのフィオーネの悲痛な視線も、声も、もはや彼には届いていない。
愛する者を護るため、自ら進んで『人間』の境界線を踏み越えた背中。
輝く灰光の瞳は、目の前の命を、ただの排除すべき「障害物」としてしか認識していなかった。
「ま、待て!? 殺すな! あたしも一応ニンゲ――」
足がすくんで動かないカルラの命乞いが、終わるより早く。
『完全更地化、起動』
音が、光が、世界が真っ白に塗り潰される。
爆心地から前方十五メートル。
命乞いをする声も、崩れかけた廃屋の残骸も、足元の石畳すらも。
圧倒的な暴力が通過したその場所には、一切の痕跡を残さない、何もない土の地面だけが残されていた。




