第二十一話:暗闇の特等席と、義姉の歪な独占欲
聖都ルメンティアの喧騒を分厚い防音壁で遮断した、薄暗い映画館の中。
巨大なスクリーンでは、派手な爆発と銃撃戦が交錯している。
青や赤の激しい閃光が、横並びに座る一人と一体、そして一人の顔を断続的に照らし出していた。
座席の並びは、左から多脚機のモーディ、中央にネロ、右にフィオーネ。
『いけ! そこだ! やっておしまい!!』
スクリーンで敵の拠点が吹き飛んだ瞬間。
ポップコーンを掴むためのパワーアームを振り上げ、モーディが高い電子音を響かせた。
拡声モードは絞られているものの、興奮で機体が小刻みに震えている。
「…お前、こういうの好きなのかよ…」
高度なAIが娯楽のアクション映画に熱狂するという意外な嗜好に、ネロは呆れたように小さく息を吐いた。
対して、右隣の席からは微かな吐息が漏れた。
視線を向けると、フィオーネは座席の肘掛けに左肘を突き、片頬を手で押さえるようにしてスクリーンを見つめている。
だが、その表情は映画を楽しんでいるというより、難解な暗号を睨みつけるように酷く険しかった。
「…あー…女性にはこういう映画、合わなかった?」
ネロは申し訳なさに眉を下げた。
初めての映画という名目の誤魔化しに、よりによって血生臭いアクションを選んでしまったことを、今更ながらに後悔し始める。
だが、フィオーネは視線をスクリーンに向けたまま、静かに口を開いた。
「…ん? ああ、映画はだいぶ良いと思うぞ」
「…そう? さっきから結構渋い顔してるけど…」
「…いや、少し気になることがあってな」
気遣うネロの声に、フィオーネはようやく頬杖を解き、暗闇の中で顔を向けた。
スクリーンの淡い光が、彼女の艶やかな黒髪と、透き通るように白い横顔を照らし出す。
「気になること? さっきのシオンって奴の事か?」
大通りで自分たちを強引に包囲してきた、青髪の執行官。
その緊迫した空気を思い出し、ネロが尋ねる。
「…あのバカは昔からあんなだから気にするな。御大層な正義の味方を気取りおってからに…」
不快な虫でも振り払うように、冷たく言い捨てるフィオーネ。
「…じゃあ、気になることって…?」
ますます理由がわからなくなり、ネロが聞き返す。
すると、フィオーネの極めて真剣な眼差しが、ネロの漆黒の瞳を真っ直ぐに射抜いた。
「…『俺のモノに何してくれようと』…だったか?」
「…!?」
先程、シオンの凶刃から彼女を庇った際、ネロが咄嗟に口走ってしまった言葉。
不意打ちでそれを掘り起こされ、ネロの心臓が大きく跳ねた。
フィオーネはスクリーンの淡い光を浴びながら、その透き通るように白い頬を微かに緩ませた。
普段の氷のような彼女からは想像もつかない、隠しきれない優越感と甘い喜びを滲ませた声で告げる。
「まさかお前のモノ扱いされるとは、と思ってな」
「…いや、あれは言葉のあやと言いますか…その…」
義姉の嬉しそうな反応に顔から火が出そうになりながら、ネロはしどろもどろに言い訳を捻り出そうとする。
そんな主人の動揺を察知し、左の座席からモーディがピコピコとモノアイを明滅させて割り込んできた。
『ピピッ…フィオーネ様の好感度が今、最大値を振り切ろうとしてますよ! やりますね! ネロくん!!』
空気を読まない茶化し。
ネロは内心で頭を抱え、いつもの『おいポンコツ、破壊するぞ』という殺意のこもった威圧が右から飛んでくるものと身構えた。
「………」
だが、待てど暮らせど、右隣の席からは微塵の冷気も放たれない。
『…あれ?』
いつものお約束が来ないことに、からかったモーディ自身が一番驚き、間の抜けた音を漏らす。
フィオーネは照れる様子を一切見せず、スクリーンの光を正面から浴びながら、さも当然の事実を述べるような平坦な声で言い放った。
「…別に私のネロに対する好感度は、下がるも上がるもない。元より最大値だ」
しれっと、一片の淀みなく放たれた重すぎる言葉。
「…ま、まぁ変な誤解せずにいてくれて良かったよ…」
ネロは額に浮かんだ冷や汗を拭いながら、なんとか会話の軌道を安全な方向へ修正しようと試みる。
だが、氷の分析官の仮面の下に隠された彼女の真意は、そんな甘いものではなかった。
「そうだな。これでお前に女が出来る心配しなくていい。そう分かっただけでも収穫だ」
「はいっ!?」
『…さっすがフィオーネ様…肝が据わってるというか、常識がないというか…』
耳を疑うような飛躍した結論に、ネロの裏返った声とモーディの呆れた電子音が見事に重なった。
そんな二人の反応を気にする素振りも見せず、フィオーネはスクリーンを見つめたまま、ポツリと本音をこぼした。
「…私はな、家族を持つという事にずっと憧れていたんだ。それがこの四年間、叶い続けている。そして、これがずっと続けばいいと……そう思ってるんだ」
静かで、痛切なまでの執着。
天涯孤独だった彼女が、自身の身を守る壁を取り払い、初めて手にした絶対的な居場所への切実な想い。
「…フィオーネ…」
その不器用に隠された脆さに触れ、ネロの胸の奥が締め付けられる。
だが、続く彼女の言葉は、そのしんみりとした空気を綺麗に吹き飛ばすほどの暴威を秘めていた。
「…だから、お前に彼女が出来なければ良いと思っている。そうすれば私の元から離れていかないから、都合がいい」
スクリーンの光すら反射しない、ハイライトの消え失せた漆黒の瞳。
一切の冗談を許さない、瞬きすら忘れたような完全に「据わった目」でネロを真っ直ぐに見つめ返す。
「…おいこら…フィオ姉」
『なんという歪んだ思想…』
これ以上ないほど利己的で、重すぎる愛情。
あまりの暴論と、本気すぎる彼女の危うい目つきに、ネロは思わず素のトーンで突っ込みを入れ、モーディさえもが身も蓋もない評価を下す。
「…ふふ…まぁ、彼女が欲しくなったら相談しろ。その時は、姉とは別の役割を全うしてやろう」
暗闇の中。
フィオーネはスクリーンから微かに視線を外し、ほんのわずかに口角を上げて、ネロへ艶やかな笑みを向けた。
タイトな私服姿の柔らかな輪郭と、ほのかに漂う甘い香り。
その言葉に込められた「別の役割」の意味を想像させられ、ネロは再び顔を一気に熱くさせた。
「………………考えておくよ」
圧倒的な義姉のペースに完全に呑み込まれ、ネロは深く溜息をつきながらスクリーンへと向き直った。
だが、その後のスパイ映画のド派手なアクションも劇的な結末も、彼の頭には一切入ってこないのであった。




