第二十話:化け物たちの休戦、そして忍び寄る影
白昼の大通りの中央。
振り上げられた無骨な戦棍の内部で、次々と魔導回路が凄まじい駆動音と共に連結されていく。
周囲の空気が極度に圧縮され、前方一帯を跡形もなく吹き飛ばす絶望的な暴威がまさに放たれようとした、その時だった。
「――そこまでだ、阿呆共」
地を這うような、それでいてどこか呆れたような声が大通りに響く。
すると、完全包囲を敷き、一斉に剣を構えていた『ヴィクセド』第二部隊の冷徹な執行官たちが、まるで目に見えない巨大な質量に押し退けられるように、音もなく左右へ道を開けていった。
現れたのは、肩に掛からない長さの灰髪を揺らし、大人の余裕を感じさせる笑みを浮かべた男――第一部隊隊長にしてネロの兄貴分であり師匠でもある、カルロ・ルディーニだった。
服の上からでもわかる岩のような筋肉の塊から、ただ歩いているだけで周囲の空気を圧迫するような凄まじい威圧感が漏れ出している。
「……カルロ……」
「カルロ先生!?」
地に這いつくばったまま憎々しげに顔を歪めるシオンと、驚きに目を見張るフィオーネ。
「よぉ、ネロ。派手にやってるじゃねぇか」
「……先生」
聞き慣れた陽気な声に安堵し、ネロは深く息を吐いた。
ウイルスの侵食によってどす黒く染まりかけていた漆黒の瞳から、不吉な『灰光』がスッと薄れていく。
極限まで引き出されていた筋肉の異常な熱が、ゆっくりと引いていった。
『………システム強制ダウン』
カルロの気配に呼応するように、無機質なシステム音声が鳴り、空気を陽炎のように歪ませていた暴力的な熱が急速に霧散する。
ネロの右手に握られていた漆黒の鉄塊が、ガチャリと複雑な金属音を立てて空中で解体され、六本の脚を折りたたんだモーディは、いつもの愛嬌のある小型の蛸型の姿となって石畳へ着地した。
『おっそいですよぉぉぉぉ、マスターったら、もうちょっとでここら一帯を更地にするとこでしたよぉ』
「はははっ! その冗談は、洒落にならねぇから笑えねぇな!」
足元で文句を垂れる機械を見て、カルロは豪快に笑い飛ばす。
一通りの挨拶を終えると、カルロは地面に伏せるシオンへと向き直り、肩をすくめた。
「さて、シオンよ。お前こそ勝手に何やってんだ」
「……私は、不穏分子を消しに来ただけだ」
ネロから生身に受けた打撃のダメージが未だに残っているのだろう。
内臓を破壊されんばかりの激痛に耐え、ぜえぜえと息を荒げながら、シオンはなんとか片膝をついて答える。
「……不穏分子……ねぇ?」
カルロがネロを見る。
戦いをやめ、フィオーネを背後で庇うように立っている青年の姿。
「こーんな、可愛い姉貴想いの弟分の、どこが不穏なんだよ。このクソ真面目なバカが」
ゴツッ! と。
カルロは容赦なく、シオンの青髪の頭を巨大な拳で殴りつけた。
「……ぐっ……! お前はそいつの危険を理解してないから、そう言えるんだ」
頭を乱され、シオンが低い声で抗議するが、カルロは全く意に介さない。
「あー、そうですか。……ほら、さっさと解散解散っ! 今日はもう仕事納めだ」
「……カルロ……貴様……! そいつが何かしでかした際には、直轄部隊のリーダーとして責任を取ってもらうからな……」
「あぁ? 大丈夫だろ? ネロには最強の『お目付け役』がついてんだ」
カルロが気楽に返すのを聞き、シオンは鼻で笑って冷ややかな視線をネロの背後のフィオーネへと向けた。
「……その女に、化け物の手綱が引けるとでも言いたいのか」
「……貴様……ネロをなんだと思っている!!」
カチンときたフィオーネが、タイトな白セーター越しに柔らかな曲線を波打たせて一歩前に出る。
大切な義弟を再び化け物呼ばわりされたことで絶対零度の殺意が再燃しかけたが、カルロはひらひらと手を振ってそれを制した。
「……大丈夫だろ。レインが作った『本物の化け物』もついてるしな」
カルロが視線を落とす。
第一部隊の隊長に「本物の化け物」と称された当の機械は、モノアイをピコピコと点滅させた。
『え? 僕ですか? 無理ですよぉ、僕一人で戦う機能なんか付いてませんからぁ』
先程まで前方一帯を吹き飛ばす殺戮兵器へと変貌していたとは思えないほどの、とぼけた電子音。
「どうだかな……。ま、とりあえず非番の二人を捕まえて、野暮なことをこれ以上続けるのは俺が許さん。ほら、行った行った」
そうして、カルロはシオンと第二部隊の面々を、手でシッシッと払うようにして大通りから完全に追い払った。
無機質な軍靴の足音が遠ざかり、通りにようやく平穏な休日の空気が戻ってくる。
「……助かったぞ、カルロ」
フィオーネが警戒を解き、静かに礼を述べる。
「気にすんな。可愛い教え子と、見違えるほど綺麗になった同僚のピンチだ。放っておけるかよ」
「ありがとうございました、カルロ先生。……あの、もし良かったら先生も一緒にこれから映画に……」
ネロがいつもの好青年の笑顔に戻って誘いをかけると、カルロはフィオーネの気合の入った私服――タイトな白セーターと、太ももを惜しげもなく晒すプリーツスカート――をまじまじと見つめた。
「……やめておくわ。フィオーネ『くん』が、そんな危なっかしい女の格好してるなんて、明日は槍でも降るんじゃねぇか? ……ま、お前のために頑張ったんだろ、お・と・う・と・君?」
「……そんなわけないだろ……! 義姉として……仕方なくだ」
顔を真っ赤にしてそっぽを向くフィオーネ。
その不器用な反応に、カルロは人の悪そうな笑みを浮かべる。
「まぁ、そう口では言ってますがね。こいつも一応は『女』なんだから、大事にしてやりな」
「……わかりました。……じゃぁ、今度会ったらゆっくりと話でも」
「おうおう、行け行け」
カルロは軽く手を振って、ネロたちを見送った。
二人の背中と、それに続く多脚機が休日の雑踏の中へと消えていく。
彼らの姿が完全に見えなくなったことを確認すると。
一人、大通りに残されたカルロは、ふと大人の余裕を感じさせていた笑顔を完全に消し去った。
冷たい風の吹く空を見上げて、独り言をつぶやく。
「……堅物のシオンを唆して、ネロの情報をリークした奴がいるな。……さて、どこのネズミだ?」
平和な空を見上げながら、都市の暗部に潜む一抹の悪意を思うカルロ。
その横顔は、もはや面倒見の良い兄貴分ではなく、冷徹に部隊を統べる執行官のそれだった。
一方で、さっきまでの血生臭い喧騒を忘れようとするように、映画館の暗闇の中でスクリーンを見つめるネロたち。
隣に座る義姉から漂う甘い香りに安堵を覚えながらも、ネロの胸の奥には、戦闘の余韻と『魔獣ウイルス』の危うい熱が、未だにくすぶり続けていた。
清浄で美しい聖都ルメンティアの裏側で、様々な思惑が確実に蔓延り始めていた。




