俺くんは国際交流委員36「アロハの涙1」
夏期講習最終日。
夏休み最後の思いでに3人でまたどこかへ出かけようと相談していたのだけど、委員長は合唱部の練習が急に入ってしまったとのことで、参加できなくなった。
彼女だけ仲間外れにするとまた拗ねるから、俺とアロハは、お出かけを取り止めて素直に下校することにした。
平日の昼の車内は空いていた。
窓から涼しい風が入って来る。
今日は日差しが落ち着いている。
夏が少し後退した感じの、過ごしやすい日よりだった。
隣に座るアロハは座席に背中を凭れかけ、黙って外を眺めている。
彼女にとっては、激動の数ヶ月だったろう。
急に日本にやって来て、慣れない環境の中で過ごさなければならなかったのだから。
その疲れが出ているのかもしれない。
横を向いた顔の輪郭に沿って、艶のある栗色の長い髪が風に揺れている。
緩くカーブを描きながら濡れたような光沢を放つ。
俺はその髪に、思わず触れてみたくなった。
今日のように、物憂くけだるげな様子のアロハも、とても魅力的だ。
いつもの積極的で芯が強い彼女とは違うアロハがそこにいた。
女子って、いろんな魅力を持っている生き物だ。
だから男子はとても困る。
俺など、最近、自制心ばかりが鍛えられている。
思わず触れたくなる。
抱きしめたくなる。
そんなことを思いながらアロハをボーっと眺めていると、彼女が急に振り向いた。
突然俺の方に顔を向けたので、俺はドキッとした。
いたずらをしていた子どもが、それを見つかった時のような気持ち。
アロハが向こう向きだったので、俺は油断してアロハの横顔に思わずじっと見入ってしまっていた。
アロハ「どうしたの?」
俺「ん? 何でもないよ」(とぼけるのがとても難しい)
アロハ「今日は風が涼しいね」
アロハは風に揺れる髪に、手を添えた。
俺「そうだね。夏休みに入って急に暑くなってたから、助かる」
アロハ「日本の夏は、ジメジメする」
俺「ジメジメなんて言葉、覚えたんだ」
アロハ「アロハ、日本に来て、日本のこと、いろいろ覚えた。日本の学校、日本の花火大会、日本のともだち、委員長、俺くん」
そう言うとアロハは俺をじっと見つめた。
それは、目線を外すことを許さない目だった。
不思議な力を持ったアロハの目。
吸い込まれそうな真っ直ぐな視線。
俺のからだは自然とアロハに引き寄せられる気がした。
でも、耐えたよ、俺。
車内だから。
まだ、アロハの気持ちをちゃんと確認していないから。
弱っていつもと違う状態の人につけこむのは卑怯だから。
俺自身の気持ちも、まだ決まっていないから。
アロハは俺から目線を外し、また顔を向こうに向けて、後ろの窓に頭を凭れかけた。
今日のアロハはいつもと違う。
電車の振動に身を任せるアロハのからだは、いつの間にか俺に寄り添っていた。
☆☆☆☆☆
いつの間にか窓の外には、見慣れた家並みが続いていた。
微かに海の匂いがする。
アロハは俺の方をチラッと見た。
俺はうなずいて立ち上がった。
ドアを向いてアロハが立つ。
今日は珍しく束ねていない髪が風に吹かれ、俺の制服の袖をくすぐる。
アロハはいつも、両足を少し開いてしっかりと立つ。
重心が、彼女の体の真下にある安心を、俺はいつも感じていた。
ドアのそばの鉄棒を握って立つそのうしろ姿は、意志を持ったハワイの精のようだ。
「海に行こう」
改札を出て、そのまま帰ろうとした俺に、アロハが言った。
俺「海?」
アロハ「ダメ?」
俺「ちょっと疲れてるみたいだけど、大丈夫?」
アロハ「大丈夫」
俺はちょっと考えて「いいよ」と答えた。
俺「でも、急にどうしたの?」
アロハ「海に行きたくなった」
俺「そう?」
その時、俺には、「ハワイに帰りたくなった」と聞こえた。
駐輪場から自転車を引いてきた俺は、アロハと一緒に歩いて海に向かった。
浜辺まではそう遠くない。
海の近くにおじいちゃんと住んでいるアロハは、いつも徒歩で駅まで通っている。
アロハは、カバンから帽子を取り出して被った。
彼女は帽子が好きなようで、外を歩く時にはいつも被っている。
今日は、春の遠足の時の帽子だ。
あの時、水に濡れてしまったが、大丈夫なようだ。
帽子の裾から、長い髪がスッと伸びる。
アロハにはそれがよく似合う。
俺があまりにも見るのでアロハもそれに気づき、ちょっとはにかんだ。
「これは、俺くんとの思い出の帽子なの」
帽子に手を添えてそう言うと、アロハは少し斜め下を向いた。
少し恥ずかしがっている。
いつもと違うその様子に、俺は戸惑った。
アロハの羞じらい。
やっぱり、今日のアロハはどうかしている。
俺はなんとなくアロハの方を見ずらくなり、真っ直ぐ前を向いて自転車を引いた。
俺「今日はだいぶ涼しいけど、疲れが出たら、帰るよ」
アロハ「はい」
歩道もない細い道を、俺は車道側で自転車を引き、歩道側にアロハを置いて歩いた。
海に近づくにつれ、磯の香りがさらに強くなる。
ふたりは黙ってゆっくり歩いて行く。
涼しい平日なので、海水浴客はほとんどいなかった。
だから砂浜は、貸し切りのプライベートビーチのようだった。
土手に自転車を置き、俺たちは砂浜に降りて行った。
靴に砂が入らぬよう、慎重に歩いて行く。
波打ち際に近づくと、砂にあいた小さな穴に、急いで隠れる生き物がいる。
俺たちは、大きな流木に並んで座った。
ふたりだけのデート?は、これで2回目だ。
1回目は立ち食いそばで、今回は海。
だいぶ昇格したものだ。
はじめてアロハと出会った時は、まさかこんなに仲良くなるなんて、思ってもみなかった。(痴漢(冤罪)とその被害者)
アロハとふたりだけで砂浜にいる幸福に改めて気づき、俺は少しドキドキした。
アロハは水平線を遠い目で見ていた。風で飛ばされないように、右手で帽子を押さえている。
いま、アロハの心には、どんな景色が映っているのだろう。




