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大きな魔法

「塔へ帰る」


 ゼノがそう言ったのは、朝飯の席だった。


「見るものは見た。教えることも、もうない。わしの核は、南の砂漠にまだ山ほど転がっておる」


 ヘルガは何か言いかけて、やめた。代わりに、第四部隊の前に荷馬車を回した。

 来た時と同じ荷馬車だった。袋は、空になっていた。


 老人は、空の袋の山によじ登った。やはり、百を数えるほどかかった。


「先生」


 ヘルガが荷台を見上げた。


「次は、十年も空けないでください」


「お前の読む目は三流だと言うたな」


 老人は袋の上であぐらをかいた。


「二流にしておく」


 ヘルガは笑おうとして、うまく笑えなかった。


 ミラが荷台に小さな包みを差し出した。老人が開けた。灰色の六角の目が浮かんだ、下級の石だった。


「……三つ、数えなくていい」


 ミラはそれだけ言った。


 老人は石を長い間見ていた。それから、外套の内側にしまった。胸のいちばん近い所に。






 キネシスの命令は短かった。

 南の街道にサンドウルフの群れが出ている。一番砦まで半日、特務班が荷馬車を送れ。日暮れまでに戻れ。


 街道は砂の中をまっすぐ南へ伸びていた。荷馬車の周りを七人が囲んで歩いた。


 日が頭の真上に来た頃、涸れた川の跡を渡っていた時だった。ミラが足を止めた。


「……来る」


 川筋の向こうの砂丘に砂煙が立っていた。一つではなかった。

 蓮は数えた。砂色の背中が、稜線を越えて次々に現れた。十。十二。


 十四。


「サンドウルフ、十四!!」


「荷馬車を背に!!」


 フィールの声が飛んだ。


「ロイ、ヴァイス、前!! 蓮は右、リアムは左!! ベルは私の横!! ミラは荷台、ゼノさんから離れないで!!」


「おう!!」


 剣が抜かれた。弦が鳴った。

 老人は袋の上から動かなかった。あぐらをかいたまま砂煙を見ていた。


 来た。


 先頭の三頭が、砂を蹴って跳んだ。


 速かった。


 牙が、日の光に白く光った。


「リアム!!」


「おうよおッ!!」


 リアムが、左の拳を突き出した。


 握った。


 一瞬だった。


 拳の先、跳んできた狼の鼻先に、六角の光が浮かんでいた。


 ガシャァンッ!!


 割れた。


 一撃で、砕けた。


 だが、止まった。


 牙は、空中で止まっていた。


 その喉を、ロイの剣が下から貫いた。


 一頭。


 二頭目が、ヴァイスの右から来た。


 蓮は一歩寄って、懐の石を握った。


 六角の光。


 ガシャァンッ!!


 割れた。止まった。


 ヴァイスの剣が、振り向きざまに首を落とした。


 二頭。


 三頭目は、ベルの火が正面から吹き飛ばした。


 ドンッ!!


 三頭。


 止まる。


 割れる。


 斬る。


 フィールが言った通りだった。


 一枚で、一撃。


 一撃止まれば、隣の誰かが間に合う。


「次、五頭!! 左右に割れる!!」


 群れが、二つに分かれた。


 右から三頭。左から二頭。


 荷馬車を、挟みに来ていた。


「蓮!!」


「見えてる!!」


 右の先頭が跳んだ。


 蓮は握った。


 ガシャァンッ!!


 止まった狼の腹を、蓮は自分の剣で薙いだ。


 手応えがあった。


 四頭。


 次が来た。


 握る間がなかった。


 剣で受けた。牙が刃を噛んだ。重い。押される。


 その狼の横腹に、矢が立った。


 ヒュッ、ドスッ。


 荷台の上で、ミラがもう次の矢をつがえていた。


 五頭。


 左で、リアムが吠えていた。


「張る!! 張る!! まだ張れる!!」


 ガシャァンッ!!


 止まった一頭の喉を、ロイの剣が突いた。


 六頭。


 残る一頭は、ロイの剣を横へ跳んでかわした。


 もう一度、来た。


 ガシャァンッ!!


 また、かわした。また、来た。


 ガシャァンッ!!


 三枚目で、ロイの剣が届いた。


 七頭。


「ロイ、後ろ!!」


 ロイの背中に、一頭が跳んでいた。


 ロイは振り向けなかった。


 剣は、前の狼の体に埋まっていた。


「言ったろ!!」


 リアムがロイの背中へ跳びついた。


 拳を、突き出した。


「お前の前にも、張ってやるって!!」


 握った。


 ロイの背中と牙の間に、六角の光が生まれた。


 ガシャァンッ!!


 止まった。


 ヴァイスが横から斬り捨てた。


 八頭。


 ロイは背中越しに一度だけリアムを見た。


 何も言わなかった。


 剣を引き抜いて、前を向いた。


 残り、六。


 蓮は数えていた。狼の数と、もう一つ。

 リアムの盾は今ので五枚目だった。リアムの顔から血の気が引いていた。膝が揺れていた。


「……悪い。もう、出ねえ」


 リアムは石を握ったまま言った。握っても、何も出なかった。空だった。


 蓮の器も底が見えていた。あと一枚。張れるかどうか。


 その時。


 残りの六頭が、動いた。


 回り込むのを、やめていた。


 正面に集まっていた。


 一番大きな一頭が、先頭にいた。


 他より頭一つ大きい、片耳の欠けた狼だった。


 群れの頭だった。


 六頭が、肩を寄せて、ひと塊になった。


 砂を掻いた。


 一斉に、来る。


 六頭まとめて、ロイとヴァイスの二人に。


「ベル!!」


「三つ!! 三つ待って!!」


 ベルの指が動いていた。


 一つ。


 狼が、走り出した。


 二つ。


 間に合わない。


 火が一発出ても、止まるのは一頭。


 盾を一枚張っても、止まるのは一頭。


 六頭が、六つの牙が、一度に来る。


 蓮は石を握りかけた。


 一枚では、足りなかった。


 その時。


 フィールが前に出た。


 ロイとヴァイスの間を、抜けた。


 左手が、腰の袋の石を握っていた。


 上級の石。


 五本ずつの格子の、本物の盾の石。


 フィールはその拳を前に向けなかった。


 下に向けた。


 走ってくる狼たちの、足元へ。


 握った。


 砂の上、足首の高さに。


 青白い光の盾が、横一文字に寝ていた。


 六頭は、止まれなかった。


 先頭の前脚が、盾にかかった。


 つんのめった。


 後ろの狼が、それに突っ込んだ。


 その後ろも。


 その後ろも。


 六頭が砂煙を上げて、頭から転がった。


 団子になって、ロイとヴァイスの足元まで滑ってきた。


 腹を見せて。


 喉を見せて。


「――今!!」


 ロイが斬った。


 ヴァイスが斬った。


 蓮が走った。斬った。


 ミラの矢が、二本続けて飛んだ。


 ドンッ!!


 ベルの火が、三つ数え終えて、起き上がりかけた一頭を吹き飛ばした。


 九。十。十一。十二。十三。


 片耳の欠けた頭だけが、砂を蹴って跳ね起きた。


 フィールへ跳んだ。


 フィールは拳を上げた。


 握った。


 今度は、正面に。


 牙が、盾を叩いた。


 割れなかった。


 止まった狼の胸を、フィールの右手の剣が、まっすぐに貫いた。


 十四。


 砂煙が、ゆっくりと晴れていった。立っている狼は、いなかった。


 蓮は仲間を数えた。

 ロイ。ヴァイス。リアム。ミラ。ベル。フィール。六人。自分を入れて、七人。荷台の上に、一人。

 誰も、欠けていなかった。


「……ねえ」


 ベルが肩で息をしながら言った。フィールを指差していた。


「今の。あたしを転ばせたやつじゃないの」


「そうよ」


 フィールは剣の血を払った。


「見て、覚えたの」


「怒ってたくせに!!」


「怒ってたわ」


 フィールは少しだけ笑った。


「でも、使えると思った」


 リアムが砂の上に大の字に倒れていた。空を見て、笑っていた。


「俺の発明だぞ……」


 ロイがその横に腰を下ろした。しばらく、黙っていた。


「……助かった」


 それだけ言った。


 リアムは空を見たまま拳を上げた。ロイがそれに自分の拳を当てた。






 一番砦は川筋の先に見えていた。門の前に、南の塔の兵が迎えに出ていた。


 荷馬車が止まった。老人は袋の上から七人を見下ろした。顔ではなく、手を見ていた。一人ずつ。


 リアムのまだ震えている手。

 ロイとヴァイスの、血のついた手。

 ミラの弦の跡のついた指。

 ベルの指の腹の焼けた手。

 フィールの石を握ったままの左手。

 蓮の剣だことペンのたこのある手。



「大魔法使い、と呼ぶなと言うたろう」


 老人は言った。


「大きな魔法など、わしは一度も撃ったことがない。六十年、小さな火と、小さな氷だけだ」


 老人は川筋の方を振り返った。砂の上に、十四の影が転がっていた。


「一枚で一撃の盾。半分の火。風しか出ん手。線の出ん手」


 目が、七人の上に戻った。


「どれも、小さい。……だが今日、わしは初めて見た」


 老人は鼻を鳴らした。


「あれは、大きな魔法だった」


 誰も、何も言えなかった。ベルだけが顔を背けて鼻をすすっていた。


「隊長」


 老人はフィールを見た。


「壁の空きは、あと十六ある。埋めたら、隅に名を書け」


「……はい」


「書く手」


 蓮を見た。外套の下から木の枠と小さな袋を出した。白い紙を張った枠と灰色の粉の袋だった。それを蓮の手に押しつけた。


「分からんことが出たら、撒いてみろ。粉は、嘘をつかん」


 蓮はそれを受け取った。軽かった。


「分かったら、塔へ知らせろ。線のない書き方の話だ。……わしの目の黒いうちにな」


「知らせます」


 蓮は言った。


 老人は頷いた。御者が手綱を鳴らした。荷馬車が、砦の門へ動き出した。

 老人は振り返らなかった。空の袋の上で外套にくるまって、もう丸くなっていた。白い髭が、外套の端からはみ出していた。


 七人は荷馬車が門の中へ消えるまで、そこに立っていた。






 帰り道。蓮は、歩きながら帳面を開いた。


 サンドウルフ、十四。

 怪我、零。


 その下に、もう一行書いた。


 一枚で、一撃。

 一撃で、足りた。


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