一撃
翌朝の中庭で、フィールは土の壁を背にして立っていた。向かいにはヴァイスがいて、手に木剣を提げていた。
「加減は」
「しないで」
フィールは言って、左手を胸の前に上げた。唇が数を数えた。九つ。
その手の腕一本ぶん向こうに、六角の膜が浮かんだ。手のひらを二つ並べたほどの青白い光で、朝の日がその向こうに透けていた。
ヴァイスは何も言わずに踏み込んだ。木剣が、上から落ちた。
がん、と鈍い音がした。
止まっていた。木剣は膜の上で止まり、膜の真ん中には白いひびが一本走っていた。
「……止まった」
リアムが言った。
ヴァイスは木剣を引いて、もう一度振り下ろした。
硝子の割れるような音がして、膜は光の欠片になって散った。木剣はフィールの肩の手前で止まっていた。
今度は、ヴァイスの腕が止めていた。
「二撃」
蓮は言って、帳面に書いた。
「一撃目で、ひび。二撃目で、割れる」
「弱っ」
ベルが言った。
「あたしの盾なら、十回叩いても割れないわよ」
「紙ではなかった」
桶の上から、老人が言った。
「だが、板でもないな」
フィールは自分の左手を見下ろしていた。何も言わずに、もう一度編んだ。
二枚目。三枚目。ヴァイスがそのたびに二度ずつ叩いた。結果は同じだった。
四枚目。
蓮はペンを止めた。
八本の盾なら、フィールは三枚で空になる。六角の盾は、四枚目が張れた。
「……軽い」
フィールが小さく言った。
「汲む量が減る、と言うたろう」
老人は言った。
「道が六本分しか、器から汲まん。弱い分、安い」
蓮は書いた。八本の盾、三枚。六本の盾、四枚。
確かめた事実だった。
昼。第四部隊の卓にミラが座っていた。
目の前に、親指の先ほどの下級の石。その横に、昨夜壁に貼った設計図の写し。向かいでヘルガが息を詰めていた。
「入る?」
ミラは、石と紙を長い間見比べていた。
「……入る」
短く言った。
「三本ずつだから。五本より、間が広い」
鑿が、石に触れた。
外の輪。内の輪。六本の道。右上がりに三本。左上がりに三本。横に三本。
線が重なる所で、鑿の先が髪の毛一本ぶんだけ浮いた。浮いて、また降りた。一本も、くっつかなかった。
老人はミラの手だけを見ていた。
「お前、器は」
「……小さい」
ミラは手を止めずに答えた。
「風が、前髪を揺らすくらい」
「そうか」
老人は頷いた。
「刻む手に、器は要らん」
鑿が一瞬だけ止まった。それから、また動いた。さっきよりも、ほんの少しだけ速く。
刻み終えた溝に灰色の粉を詰めた。針の先で、一粒ずつ。
日が傾く頃、ミラは針を置いた。石の表面に、灰色の六角の目が浮かんでいた。
夕方の中庭で、フィールはその石を左手に載せていた。上級の盾の石は、腰の袋に入れたままだった。
「粉の石は、火が半分になった」
ヘルガが言った。誰も訊いていないのに、言った。
「盾も、たぶん半分になる。……半分の半分よ。期待しないで」
フィールは頷いた。ヴァイスが木剣を構えた。
フィールは石を握った。
一瞬だった。数を数える間もなかった。握ったその時にはもう、拳の向こうに六角の膜が浮かんでいた。朝のものより、色が薄かった。
ヴァイスが踏み込んだ。木剣が落ちた。
硝子の割れる音。
一撃だった。膜は、一撃で砕けた。
ヘルガが、目を伏せた。
だが。
「……止まってる」
ロイが言った。
木剣は、フィールの肩の上、拳一つ分の所で止まっていた。ヴァイスは、自分の腕を見ていた。
「俺は、止めていない」
ヴァイスは言った。
「振り抜いた。……割れる時に、持っていかれた」
蓮は帳面に書いた。
粉の石。六本の盾。一枚で、一撃。割れる。だが、止まる。
「悪魔の指には、紙だろうな」
老人が言った。誰も、否定しなかった。
フィールは、手のひらの石を見下ろしていた。もう一度、握った。膜が生まれた。緩めると、消えた。
数えなくても、握るだけで。
「一撃でいい」
フィールは言って、顔を上げた。
「サンドウルフの牙が、一度止まる。一度止まれば、隣の誰かが間に合う」
その目がベルを見た。蓮を見た。リアムを見た。
「九つ数えなくていい。握るだけでいい。……それなら、私でなくても張れる」
フィールはリアムの前まで歩いていって、石を差し出した。
「え、俺?」
「編むのに、十かかるんでしょう」
「十二だ」
リアムは胸を張って言った。それから石を受け取り、壁に向けて握った。
六角の膜が、リアムの前に浮かんだ。一瞬で。
リアムは、口を開けたままそれを見ていた。
「……おい」
声が、少し上ずっていた。
「俺、盾張ってるぞ」
「見りゃ分かる」
ロイが言った。
「お前の前にも張ってやるよ。ヴァイスの前にも」
リアムは石を載せた手をロイの方へ突き出した。
「線が出ねえなら、出る奴が張りゃいいだろ。パンの礼だ」
ロイは何も言わなかった。少しだけ、笑った。
ミラはもう次の石を手に取っていた。指先が灰色に汚れていた。
蓮の分。ベルの分。それから、フィールの分。
老人は桶の上からそれを見ていた。
握るだけで生まれる、六角の光。四十年、石の地肌のままだった壁の、その先にあったもの。
「わしの教えることは」
老人は誰に聞かせるでもない声で言った。
「もう、あまり残っておらんな」
蓮には、聞こえていた。




