↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
91/176

別の陣

 朝の稽古を終えて第四部隊へ着くと、建物の前に荷馬車が一台止まっていた。


 荷台に麻袋が山と積まれていた。袋の口から灰色の石が覗いていた。魔物の核だった。

 大物の核は全部第四部隊へ回せ。キネシスがそう命じてから、外周の監視塔という監視塔から、こうして核が届くようになっていた。


 蓮はミラと並んでその荷馬車を見上げていた。後ろにフィールとベル。

 四人ともヘルガに呼ばれていた。盾の陣のことで話がある、と。


「……ねえ」


 ベルが蓮の袖を引いた。


「袋の上。何か乗ってる」


 乗っていた。

 袋の山のてっぺんに、砂色の外套にくるまった何かが丸くなっていた。外套の端から白い髭がはみ出していた。髭が規則正しく上下していた。


「……寝てる」


 ミラが言った。


 御者台から若い従士が降りてきた。げっそりした顔をしていた。


「南の外れの監視塔から、ずっとこうです」


 従士は袋の山を恨めしそうに見上げた。


「核を持っていくなら自分も持っていけ、と。核と一緒でなければ梃子でも動かん、と。……四日、袋の上から降りてくれませんでした」


「誰なの、あれ」


「知りません。塔の兵は皆、爺さんとしか」


 ベルが荷台の縁に足をかけた。


「ベル」


 フィールが止めるより早く、ベルは袋の山をよじ登って、外套の塊を指でつついた。


「おじいさん。着いたわよ」


 髭が止まった。外套の下から皺だらけの顔が出てきた。目だけが妙に澄んでいた。

 その目は、ベルの顔を見なかった。つついた指を見た。それから、手のひらを。


「……編む手だな」


 嗄れた声だった。


「指の腹が焼けておる。毎日撃たねば、そうはならん」


 ベルがぱっと手を引っ込めた。


 老人は袋の山から降りてきた。降りきるまでに百を数えるほどかかった。地面に立つと背丈はミラとほとんど変わらなかった。

 老人は腰を叩きながら、四人の前を端から歩いた。


 ミラの前で止まった。


「弓の手。……いや、鑿も握るな。刻む手だ」


 フィールの前で止まった。


「剣の手。それと、同じ所ばかり何かを握り込んでおる。石か」


 フィールの手が腰の袋に触れた。


 蓮の前で止まった。


「書く手だ。剣だこの上にペンのたこがある。妙な従士だな」


 四人とも顔は一度も見られなかった。

 蓮の頭の奥で、古い声がした。


 建物の扉が開いた。ヘルガだった。片手に鑿、もう片方の手に紙を一枚持っていた。

 その鑿が手から落ちた。


「……先生」


 老人は振り返らなかった。荷台の袋を一つ、ぽんぽんと叩いていた。


「ゼノ先生!? なんで、塔は、観測は」


「核を取り上げたのはお前だろう、ヘルガ」


 老人は言った。


「わしの飯の種を根こそぎ持っていきおって。何を始めたのか、見に来ただけだ」


「ゼノ?」


 ベルが首を傾げて、それから、目を丸くした。


「ゼノって、あのゼノ? お養父様の書庫の、陣の本の」


 老人が初めて顔を上げて、ベルの顔を見た。


「……読んだのか。あれを」


「読んだっていうか、全部覚えたけど」


 老人はしばらく黙っていた。


「十四の館に送って、四十年になる」


 ぼそりと言った。


「読んだという者に会うたのは、初めてだ」


 ベルは口を開けて、閉じた。


「……ひ、暇だったのよ」


 扉の奥から研究者たちが次々に顔を出していた。


「大魔法使いだ」


「本物か」


「生きてたのか」


「その呼び方はやめい」


 老人は顔をしかめた。


「大きな魔法など、生まれてこのかた一度も撃ったことがない」


 ヘルガが落とした鑿を拾いながら、四人に小さな声で言った。


「魔物の真似を学問にした人よ。壁の設計図の、あの並べ方を決めた人」


 女は少しだけ言葉を切った。


「私に陣を教えた人。……私がイライザに教えたことは、全部、この人から教わったこと」


 蓮は老人の背中を見た。小さな背中だった。

 あの人の剣のその先の先に、この背中があったのだ。


「で」


 老人がヘルガに手を出した。


「何を始めた」


 ヘルガは前掛けの隠しから、灰色の陣が埋まった下級の石を一つ出して、老人の手のひらに載せた。


「壁に向けて、握ってください」


 老人は長い間、石を朝の日にかざして眺めていた。それから、建物の焦げた石壁に拳を向けた。


 握った。


 ぼっ。


 小さな火が壁に当たって散った。焦げ跡が一つ増えた。

 老人は動かなかった。自分の拳を見下ろしていた。


「……三つ」


 ようやく、言った。


「六十年、三つ数えてきた。編んで、三つ。どれだけ指を鍛えても、三つより先へは行けなんだ」


 拳が、開いた。石は、そのままそこにあった。


「それを、握るだけか」


 ヘルガが話した。悪魔の核の中の陣。引かれる砂。溝に詰めた粉。

 老人は一度も口を挟まなかった。聞き終えて、石の表面を親指でなぞった。


「刻んだのは」


 ミラが小さく手を上げた。


「いい線だ。迷いがない」


 ミラは何も言わなかった。ただ、自分の指先をじっと見ていた。


「先生」


 ヘルガが手に持っていた紙を広げた。シールドの陣だった。

 円が二つ。結ぶ線が八本。内側に、縦に五本、横に五本の格子。


「これが、下級の石に入らないんです。格子が詰まりすぎて、線がくっつく。減らせば盾じゃなくなる。……上級の石は、一つしかありません」


 フィールが半歩前に出ていた。


 老人は紙を見た。


「格子は縦に五本、横に五本。誰が決めた」


「誰って。……写した魔物が、そう編んでいたから」


「魔物は、石に刻むために編んでおらん」


 ヘルガが黙った。


「お前は昔から、写す目は一流だった」


 老人は紙を返した。


「読む目は、三流だ」


 研究者の誰かが吹き出しかけて口を押さえた。ヘルガは何も言い返さなかった。耳だけが赤かった。


 老人は焦げた壁へ左手を向けた。指が動いた。遅かった。ベルの半分の速さもなかった。


 外の円。内の円。交わる点と、そこから伸びる三本。それから、二つの円を結ぶ線。


 一本。


 二本。


 三本。


 指が、止まった。


 結んだ。


「あ、足りな――」


 ベルが言い終わる前に。


 ぼっ。


 火が出た。

 小さかった。蓮の粉の石の火の、さらに半分ほど。それでも、火だった。


「……嘘」


 ベルが呟いた。


「一本でも足りなかったら、陣は閉じないのに」


「六本の陣から三本抜けば、閉じん」


 老人は手を下ろした。


「だが今のは、初めから三本の陣だ。輪を等しく三つに割って置いた。釣り合っておれば、陣は閉じる」


 老人はベルの手のひらをちらりと見た。


「欠けた陣と、少ない陣は、違う」


 ベルは自分の指を見下ろしていた。書庫で覚えた何十もの陣を、頭の中でなぞり直している顔だった。


「一本でも狂えば、別の陣になる」


 老人が言った。


「そう教えたのはわしだ、ヘルガ」


「……はい」


「別の陣が、何の陣になるのか。お前は一度も訊かなんだな」


 ヘルガは手の中の盾の設計図を見下ろしていた。縦に五本。横に五本。その線を、初めて見るもののように見ていた。


「書く手」


 老人が蓮を見た。今度は、顔を。


「火の陣は、覚えておるか」


「円が二つ。線が六本。交わる点が一つ。そこから伸びる線が三本」


「数で覚えておるな」


 老人は頷いた。


「では訊く。その六本は、何をしておる線だ」


 蓮は答えられなかった。

 数えられるものは覚えられる。だが、数えただけの線は、六本とも同じ顔をしていた。

 ベルも黙っていた。フィールも。


「明日から、それを教える」


 老人は当たり前のことのように言った。


 フィールの手が腰の袋を握りしめていた。一つしかない、盾の石。その目が、ヘルガの手の中の設計図から離れなかった。


「その前に」


 老人は通りの向こうを見た。屋根の連なりの先に、「移動」の館が見えていた。


「当主様に取り次いでくれ。先代には、会うたびに頼んで、会うたびに断られた。……若い方なら、聞いてくださるやもしれん」


「何をですか」


 蓮が訊いた。


「わしの目の前で、一度、跳んでいただきたい」


 建物の前が静かになった。


「陣を編まずに出る魔法を、この目の黒いうちに、近くで見たい」


「先生!!」


 ヘルガの声が裏返った。


「貴族様のお力を、魔法だなんて」


「口が過ぎるか」


 老人は鼻を鳴らした。


「先代にも、そう言われた」


 フィールの肩が強張っていた。


 蓮は応接の間の夜を思い出していた。握るなよ、とキネシスは言った。貴族が撃てば、自分の魔素を使う。跳ぶ力を振るう分が、その日、減る。


 同じ所から、出ている。火の玉も。跳ぶ力も。

 なのに、片方には陣があって、片方には、ない。


 老人は、荷台の核の袋に手を置いていた。皺だらけの、指の腹の焼けた手だった。


「六十年」


 誰に言うでもなく、老人は言った。


「それだけが、分からん」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。