一本
朝の中庭で、蓮はギードと打ち合っていた。
カン。
ギードの木剣が蓮の一撃を受けた。
カン。カン。
二撃、三撃。ギードの足が一歩下がった。
四撃目。
ギードの木剣が蓮の一撃に押されて、大きく外へ流れた。
蓮の木剣の先が、ギードの胸の前でぴたりと止まった。
中庭が静まり返った。ロイが口を開けていた。ヴァイスが木剣を下ろしていた。
ギードは長い間、自分の胸の前の木剣の先を見下ろしていた。それから、ゆっくりと自分の木剣を下ろした。
「……一本」
低い声だった。
蓮は木剣を引いた。息が、上がっていた。
ギードに一本を取ったのは、初めてだった。稽古を始めて、ひと月と少し。
「……伸びたな」
ギードが言った。表情は変わらなかった。
「お前の剣は、見るたびに伸びている。……一度言われたことを、次の一振りで直す。体が、言われる前から、そうなりたがっている」
ギードは木剣を柱に立てかけた。
「上級の剣士の域に、手が届きかけている」
蓮は自分の木剣を見下ろした。手のひらが、じんじんと痺れていた。
この世界に来るまで、剣など握ったこともなかった。それが今、第一部隊長から一本を取っている。
体が、勝手に伸びていく。なぜなのかは、分からないまま。
その夜、宿舎の裏の井戸のそばで、蓮は一人で帳面を開いていた。
今日の数を書いた。二発。
それから、もう一行。
ギード隊長から、一本。
蓮はペンを置いて、帳面の前の方の頁をめくった。自分で書いた、ばらばらの覚え書きが並んでいた。
砂漠の窪地。回復の魔石の光が、自分の時だけ長かった。
サナトリアの夜。サナトスの手が、自分の胸にだけ長く置かれていた。サナトスは自分の手のひらを見下ろして、何も言わずに微笑んだ。
国境の集落で。砂漠で。窓のない悪魔の殻を、この手は貫いた。
メンタルの前で、三度。何も、消されなかった。
そして今朝。剣など握ったこともなかった体が、第一部隊長から一本を取った。
蓮はそれらの行を、一つずつ指でなぞった。
繋がりそうで、繋がらなかった。何と何が繋がるのか、まだ、分からなかった。
ただ。
自分の体の中に、何かがある。他の誰の体にもない、何かが。
それだけはもう、否定できなかった。
背後で、砂を踏む音がした。振り返らなくても、分かった。軽い足音。小さな歩幅。
ベルだった。
「……また、ここにいる」
ベルは蓮の隣にどすんと座って、膝を抱え、帳面を覗き込んだ。
「何書いてるの」
「数」
「レンって、ほんと数えるの好きよね」
「好きなんじゃなくて」
蓮は、帳面を閉じた。
「数えてないと、落ち着かないんだ」
ベルはしばらく黙っていたが、やがて、蓮の肩にこつんと頭を預けた。
「……何か、考えてたでしょ」
「……」
「顔に書いてある」
蓮は答えなかった。ベルも、それ以上は訊かなかった。
ただ、蓮の肩に頭を預けたまま、井戸の水面に映る月を見ていた。
「レンが何か抱えてるのは、知ってる」
しばらくして、ベルが小さく言った。
「フィールも、知ってる。……二人とも、訊かないことにしてるの」
「……二人で、決めたのか」
「決めてない。でも、たぶん、同じこと考えてる」
ベルは少しだけ顔を上げた。
「話せるようになったら、話して。……あたしと、フィールに」
蓮は井戸の水面を見ていた。月が、揺れていた。
「……うん」
ようやく、それだけ言った。
ベルはまた蓮の肩に頭を預けた。
夜風が、二人の間を吹き抜けていった。




