四つの手のひら
キネシスは四日かけて跳んだ。
一日目に「力」の国へ。二日目に「炎氷」の国へ。三日目に「回復」の国へ。一人ずつ、館へ連れて帰った。
四日目の夜、先代の執務室の奥の小さな応接の間に、四人の貴族が集まっていた。キネシス。タイタン。テルモ。サナトス。
サナトリアの保管室で、四つの手のひらを卓に並べた夜から、二月近くが経っていた。
部屋の隅に、蓮が控えていた。
扉の外には、第一部隊長が立っていた。誰も近づけるな、とキネシスに命じられて。
「……で、こいつが例の石か」
タイタンが卓の上の小さな石を摘まみ上げた。親指の先ほどの下級の魔石。表面に、灰色の陣が埋め込まれていた。
ミラが刻んで、魔物の核の粉を詰めた、ファイアボールの石。
「握るなよ」
キネシスが言った。
「握ると出る」
「出るって、何が」
「火が」
タイタンは石を摘まんだまま固まった。それから、そろりと卓に戻した。
「……オレには使えねえだろ。魔法なんて、やったことねえぞ」
「使えるかどうかは、握ってみないと分からない」
キネシスは言った。
「ただし、貴族が撃てば、自分の魔素を使う。……スキルを振るう分が、その日、減る」
タイタンは石をじっと見下ろした。
「なら、いらねえ。オレの魔素は、拳に使う」
テルモが小さく鼻を鳴らした。
卓の上に紙が一枚置かれていた。カルの村の報告だった。
悪魔は二体。捕まっていたのは二人。取り返したのは二人。連れていかれたのは、零。
サナトスがその紙を指でなぞった。
「……よく、頑張られましたね」
老人は部屋の隅の蓮を見た。
「盾の石と、火の石。窓は一つでも、皆さんで、二体を追い払った」
「追い払っただけです」
蓮は言った。
「倒せませんでした。触れられた途端に、二体とも逃げました」
「それでいい」
テルモが短く言った。
「攫われなければ、それでいい。……炎氷の国では、二つの村が、何も残さずに消えた」
テルモの声は低かった。
「私が駆けつけた時には、もう誰もいなかった」
部屋が静かになった。
「手紙に書いた件だ」
テルモがキネシスを見た。
「例の話を、こちらの従士にも伝えるべきか」
キネシスはすぐには答えずに、卓の上で手を組んだ。
「……伝えるべきだと思う」
青年は言った。
「ただし、サナトリアで決めた通りに。一人ずつ。会って、確かめて。紙ではなく、口で」
「何人にだ」
「特務班と同じくらい。七人か、八人」
キネシスが蓮を見た。蓮が一歩前に出た。
「人間は、あの方の目に入れば、消されます」
蓮は言った。
「だから、伝えた従士は、あの方の目に入らない所に置いてください。巡回の時も。世界会議の時も。……館にいてはいけません。どこか、外れの村の守りに」
「外れの村か」
テルモが呟いた。
「悪魔が来る村に、窓を知る者を置く」
「はい」
「……悪くない」
テルモは腕を組んだ。
「どうせ、悪魔と戦うのは、そいつらだ」
タイタンが頭を掻いた。
「オレんとこもか? オレは説明が下手だぞ」
「タイタン殿は、見せればいい」
サナトスが穏やかに言った。
「悪魔に組みついて、窓を開けて。従士の方々に、そこを突かせる。……体で覚えさせるのは、タイタン殿がお得意でしょう」
「……まあな」
タイタンはまんざらでもなさそうに鼻をこすった。
「石は」
テルモが言った。
「この石も、こちらに回せるか」
キネシスは首を振った。
「悪魔の砂は、もうない。魔物の核の粉なら作れるが、刻める者が二人しかいない。ヘルガと、特務班の弓兵だ。……一つ刻むのに、半日から一日」
「核を砕くのは」
「乳鉢で、半日」
タイタンが目を丸くした。
「半日? 石ころ一つ砕くのにか?」
キネシスは部屋の隅に置いてあった布袋を卓の上に置いて、中から灰色の石を一つ取り出した。握り拳ほどの、サンドワームの核。
「試してみるか」
タイタンはその核を受け取った。手のひらに載せて、しげしげと眺めた。
それから、指を軽く閉じた。
ぱきっ。
核が、砕けた。
タイタンの指の間から、灰色の粉が、さらさらとこぼれ落ちた。卓の上に、小さな山ができた。一つの塊も、残っていなかった。
部屋の中が、しんとなった。
「……こんなもんか?」
タイタンが、手のひらを払いながら言った。
蓮は卓の上の粉の山を見ていた。
第四部隊の研究者が三人がかりで、半日叩き続けて作る粉。それが指を閉じただけで。
「……タイタン様」
「おう」
「その袋の中、全部、お願いしてもいいですか」
タイタンが布袋を覗き込むと、核が十ほど入っていた。
「全部か」
「全部です」
「……しょうがねえな」
ぱきっ。ぱきっ。ぱきっ。
十の核が、十の粉の山になるまで、百を数えるほどもかからなかった。
テルモが呆れたように息を吐いた。
「……四百五十年生きて、初めて見た。お前が役に立つところを」
「何だとコラ」
サナトスがくすくすと笑った。蓮も少しだけ笑った。
話は、夜更けまで続いた。
悪魔が触れられた途端に逃げるようになったこと。アスモデウスの時は、悪魔の方から手合わせを望んできた。
だが、東の砂漠から来る悪魔たちは、窓を開けられることを嫌っている。
「知っているのだ」
テルモが言った。
「貴族に触れられれば、殻が消えることを。……アスモデウスが討たれたことも、おそらく」
「アスモデウス様の分も、か」
キネシスがニナの言葉を呟いた。
「なら、いつか、逃げずに来る」
タイタンが言った。拳を、卓の上で握りしめていた。
「一体ずつ攫いに来るんじゃなくて、まとめて。……オレが悪魔なら、そうする」
誰も、否定しなかった。
夜半を過ぎた頃、四人は、最後に卓の上に手を並べた。手のひらを、上に向けて。
キネシスの、若い手。
タイタンの、墨の残る大きな手。
テルモの、右の手首に古い痕のある手。
サナトスの、皺だらけの、薄く火傷の痕が残る手。
互いに、握らなかった。触れ合えば、加護が消える。だから、並べるだけ。
「……皆、帳面は書いているか」
キネシスが訊いた。
「書いている」
テルモが言った。
「毎晩」
「私も」
サナトスが言った。
「タイタン殿の分も」
「……爺さんに毎晩、今日何があったか訊かれるのは、なかなか恥ずかしいぞ」
タイタンがぼやいた。
サナトスは穏やかに微笑んでいた。
「次に、こうして集まれるのは、いつになるか分からない」
キネシスは言った。
「巡回が近づいている。あの方は、四人のうち誰かのところへ、必ず来る。……その時は」
「数える」
テルモが言った。
「二呼吸で、離れる」
「一人で、会わない」
サナトスが言った。
「翌朝、帳面を読み返す」
タイタンが言った。
四人は、しばらく卓の上の自分たちの手を見ていた。それから、一人ずつ手を引いた。
キネシスが扉の方を見た。
「ギード。もういい」
扉が開いた。ギードが、右の拳を左の胸に当てて、頭を下げた。
「お客様方を、客間へご案内します」
タイタンが立ち上がりながら、ギードの肩を叩いた。
「おう、ご苦労。夜通し立たせて悪かったな」
「いえ」
ギードは頭を下げたまま言った。
「当主様のお客様をお守りするのが、第一部隊の務めです」
蓮は部屋の隅から、その背中を見ていた。




