二度目の鐘
二度目の鐘は、ヨルの村から二十日後の夜に鳴った。
カン。カン。カン。
三つ打って、間を置いて、また三つ。東の狼煙。
蓮は寝台から跳ね起きて、枕元の小さな革袋を掴んだ。
中に石が一つ入っていた。ミラが刻んで、魔物の核の粉を詰めたファイアボールの石。
特務班の使える者にはヘルガが一つずつ持たせていた。
フィールには悪魔の砂の盾の石。ベルには悪魔の砂の火の石。リアムと蓮には粉の火の石。
ロイとヴァイスとミラには何もなかった。
中庭にキネシスが立っていた。東の空を見ていた。地平の際に、赤い点が一つ。
「カルの村だ」
キネシスが言った。
「ヨルの村より、一つ南。ヨルより近い。……二度で村を見下ろす丘に出る。三度目で、村の中だ」
「全員、寄れ」
フィールの声。
特務班の七人が、キネシスの周りに寄った。
跳んだ。見張り塔の上。
跳んだ。丘の上。
眼下に、カルの村が見えた。家が十五ほどの、小さな村だった。村の入り口で、篝火が燃えていた。
その明かりの中を、黒い影が横切った。
二つ。
「二体」
フィールが言った。
蓮は丘の上から村を見下ろして、数えた。
一体目は、村の真ん中の井戸の脇に立っていた。両腕に、人を抱えていた。右腕に、老婆。左腕に、男の子。二人とも、動いていた。生きている。
二体目は、村の東の端の家の前にいた。家の扉を、叩き割ろうとしていた。両手は、空いていた。
扉の内側から、子どもの泣き声が漏れていた。中に、まだ人がいる。
捕まっているのは、井戸の脇の一体の腕に、二人。東の家の中に、まだ何人か。
悪魔は二体。窓を開けられる貴族は、キネシス一人。窓は、一度に一つしか開けられない。
ヨルの村と同じだった。
だが。
ヨルの村と違うものが、一つだけあった。フィールの袋の中の、盾の石。
フィールは丘の上で一呼吸だけ目を閉じて、それから、目を開けた。
「キネシス様、井戸の一体。二人を抱えてる方」
フィールの声は静かだった。
「両腕が塞がってる。窓を開けたら、二人を抱えたまま爪は振れない。放すしかない」
キネシスが、頷いた。
「ロイ、ヴァイス、キネシス様と一緒に井戸へ。放された二人を受け止めて。……悪魔が爪を振ったら、窓が開いてる所を突いて」
「おう」
「ミラは、丘の上から井戸の一体を。窓が開いたら、射て」
ミラが弓を引いた。
「ベル、キネシス様の後ろに。悪魔が手を伸ばしたら、盾を」
「分かった」
「蓮、リアム。私と東の家へ」
フィールは腰の袋から盾の石を取り出した。まだ、握らずに。
「東の一体は、両手が空いてる。窓は開けられない。剣も、魔法も届かない。……だから、足止めだけする」
フィールは石を見下ろした。
「扉の前に、盾を張る。悪魔が盾を叩き割る間に、家の中の人を裏から逃がす」
「盾は、どれくらい持つ」
蓮が訊いた。
「アスモデウスの指なら、ひと呼吸」
フィールは言った。
「下級の悪魔なら、もう少し。……でも、何度も叩かれたら割れる。割れたら、また張る。私の魔素で張れるのは、今日は三枚」
三枚。
石は、何度でも使える。だが、張れる数は、フィールの器で決まる。
「リアム。粉の石で、悪魔の目の前に撃って。届かなくてもいい。光ればいい。……悪魔の目を、こっちに向けさせて」
「おう」
リアムが懐の石を叩いた。
「蓮も。二発、撃てるわね」
「撃てる」
「一発は、悪魔の目に。もう一発は、取っておいて」
蓮は頷いた。
フィールは皆を見渡して、短く、息を吸った。
「――行く」
キネシスの目が、井戸の脇の一点を見た。
跳んだ。
キネシスとベルとロイとヴァイスが、井戸の脇に現れた。
同じ瞬間、丘の上から、フィールと蓮とリアムが走り出していた。斜面を駆け下りる。村の東の端へ。
キネシスは、もう悪魔の背中に触れていた。
窓が、開いていく。
悪魔が振り返った。両腕に、老婆と男の子を抱えたまま。赤い目が、キネシスを見た。
腕が、塞がっていた。爪を振るには、どちらかを放すしかなかった。
悪魔が、一瞬、迷った。
その一瞬に。
ヒュッ。
丘の上から、ミラの矢が飛んだ。
窓は、キネシスが触れた背中から、肩まで回っていた。
ドスッ。
矢が悪魔の右の肩に突き立った。
悪魔が咆哮した。右腕の力が、抜けた。
老婆の体が腕から滑り落ちた。ロイが飛び込んで受け止めた。
一人。
悪魔の左腕にはまだ男の子がいた。
蓮は斜面を駆け下りながら、それを見ていた。だが、足は止めなかった。
東の家。
扉の前の悪魔が拳を振り上げていた。扉はもう半分割れていた。中から、泣き声。
フィールが扉の脇へ走り込んだ。悪魔の拳と扉の間へ、盾の石を握った腕を突き出して。
握った。
その瞬間、拳の前に、光の膜が生まれていた。
一瞬で。
ガァンッ!!
悪魔の拳が、光の膜を叩いた。膜が、震えた。
割れなかった。
悪魔の赤い目が、すぐ脇のフィールと、走ってくる二人を見た。人間を。加護のない、ただの人間を。
その目が細められた。悪魔の体が、扉から離れてフィールの方へ向いた。
「――リアム!!」
フィールが叫んだ。
「おうよおッ!!」
リアムが懐から粉の石を掴み出して、悪魔の顔へ拳を突き出した。
握った。
ぼっ。
小さな火の玉が悪魔の顔の前で、ぱっと弾けた。届かなかった。殻に、触れる前に、散った。
だが、夜の闇の中で、それは目を焼くほどに明るかった。
悪魔の頭がほんのわずかに、のけぞった。
その一呼吸に。
蓮はもう、悪魔の横を駆け抜けていた。家の裏へ。裏口の戸を、肩でぶち破った。
中に人がいた。女が一人。子どもが二人。小さな体が、部屋の隅で、母親にしがみついていた。
「裏から!! 丘の方へ、走って!!」
蓮は叫んだ。
女が、子どもを抱えて、裏口へ走った。
家の表で、悪魔が咆哮した。また、拳が盾を叩く音がした。
ガァンッ!!
ピシッ。
盾にひびが入る音。
ガァンッ!!
ピシピシッ。
蓮は家の中から、表の扉の割れ目越しにそれを見ていた。
フィールが盾の向こうに立っていた。石を握った拳を、突き出したまま。
悪魔の拳がまた振り上げられた。
盾が、もう一度叩かれれば、割れる。割れたら、悪魔とフィールの間には、何もない。
フィールが今日張れる盾は、あと二枚。
悪魔の拳が。
振り下ろされた。




