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第四部隊

 特務班が戻ってきたのは、メンタルが去って八日後の夕方だった。


 館の門の前に馬車が止まり、最初に飛び降りてきたのはベルだった。


「レン!!」


 駆け寄ってきて、蓮の目の前でぴたりと止まる。腕を組んで、顎を上げた。


「あたしの名前は」


「ベル」


「あたしの剣、誰が研いだ」


「ユーリ」


「あたしが砂漠で最初に撃った魔法」


「ファイアボール」


 ベルはしばらく蓮の顔をじっと見ていたが、やがて、ふんと鼻を鳴らした。


「……合格」


 そう言って、ぷいと横を向いた。耳が赤かった。


 その後ろから、フィールが降りてきて、蓮の前に立った。何も訊かなかった。ただ、蓮の顔を見ていた。


「……一呼吸半」


 蓮は言った。


「キネシス様の肩に。二呼吸目に入る前に、離れた」


 フィールの肩から、すっと力が抜けた。


「ちゃんと、数えたのね」


「数えた」


「一つも、多く数えなかった?」


「数えなかった」


 フィールは少しだけ笑った。今度は、ちゃんと笑えていた。


「ニナは、親類の家に預けてきたわ」


 フィールは馬車の方を振り返った。


「おばあさんがいてね。ニナを見るなり、泣き出して。……ベルが、別れ際に大泣きして」


「泣いてない!!」


 ベルが叫んだ。


「泣いてないわよ!! 砂が目に入っただけ!!」


 ロイとリアムが、馬車の陰で肩を震わせていた。






 その夜、キネシスの執務室で、フィールはメンタルの来訪の話を聞いた。

 手首の口実。左手の嘘。肩への一呼吸半。囁かれた言葉。タイタンの墨の手を、サナトスの痛む手を、メンタルが知っていたこと。

 そして、蓮の名前を訊かれたこと。


 フィールは最後まで黙って聞いていた。聞き終えて、ようやく口を開いた。


「……あの方は、蓮を見ていたんですね」


「見ていた」


 キネシスが頷いた。


「サナトリアの集会の時も。……二度目だ」


 フィールは蓮を見た。蓮は、目を伏せた。


 なぜ自分だけが消されないのか。

 なぜ、あの女の目が自分の上で止まるのか。

 答えは、どこにもなかった。


「だから、急ぐ」


 キネシスが机の引き出しを開け、白い布の包みを机の上に置いた。


「明日、これを第四部隊へ持っていく。……特務班も、来てくれ」






 「移動」の第四部隊は、館から少し離れた街の外れにあった。石造りの、細長い建物だった。


 壁のあちこちが黒く焦げていた。窓が一つ、板で塞がれていた。

 屋根の一角が、最近直したばかりのように新しい色をしていた。


「……ここ、燃えたことあるの?」


 ベルが壁の焦げ跡を見上げて言った。


「しょっちゅう燃えている」


 キネシスが答えた。


「魔法を研究しているのだから、仕方がない」


 扉を開けた途端、焦げた匂いと、薬草の匂いと、何か甘いような金属のような匂いが、一度に鼻を突いた。


 中は、広い一部屋だった。長い卓がいくつも並び、その上に、見たこともない道具が所狭しと置かれていた。

 魔物の骨。角。牙。乾いた皮。色とりどりの石。紙の束。インクの壺。


 壁一面に、円と線の図が描かれた紙が貼られていた。

 魔法陣だった。何十枚も。何百枚も。


 部屋の奥で、誰かが卓に突っ伏して寝ていた。

 その隣で、若い男がサンドウルフの頭蓋骨を覗き込みながら、何かを書きつけていた。


 別の卓では、女が二人、小さな石を挟んで言い争っていた。


「だから、起点は口じゃなくて喉の奥だって――」


「喉の奥に手のひらはないでしょう!!」


「手のひらの話はしてないの!!」


 誰も、入ってきた一行に気づいていなかった。


 キネシスが咳払いをした。誰も気づかなかった。もう一度、咳払いをした。


 部屋の奥から、声がした。


「今いいとこなの。用があるなら、そこで待ってて」


 卓の陰から、一人の女が立ち上がった。四十がらみの、背の高い女だった。

 短く刈り込んだ灰色の髪。袖をまくり上げた腕に、細かい火傷の痕がいくつも走っていた。眉の片方が、焦げて半分なかった。


 女は手に持っていた石を卓に置いて、こちらを振り返った。キネシスの顔を見て、一瞬、固まった。


「……キネシス様」


「ヘルガ」


「先触れくらい出してくださいよ。片づけてません」


「片づいていたことがあったか」


「ありませんね」


 女はまったく悪びれずに言って、部屋の中に向かって手を叩いた。


「皆、起きて。当主様よ」


 卓に突っ伏していた男が、跳ね起きた。言い争っていた女二人が、慌てて背筋を伸ばした。

 頭蓋骨を覗き込んでいた若い男が、頭蓋骨を落としかけて、抱きとめた。


 ヘルガは、一行の顔を一人ずつ見ていった。キネシス。フィール。ロイ。ヴァイス。ミラ。リアム。ベル。そして、蓮。


「特務班ね。……アスモデウスを倒した」


 部屋の中の空気が、変わった。研究者たちが、一斉にこちらを見た。


「第四部隊長のヘルガです」


 女は、右の拳を左の胸に当てて、軽く頭を下げた。


「イライザは、私の教え子でした。あの子に魔法を教えたのは、私です」


 蓮の胸が、小さく跳ねた。


 ――まず、手を見ること。


 イライザの声が、耳の奥で蘇った。あの人の魔法は、ここから来ていたのだ。


「それで」


 ヘルガがキネシスに向き直った。


「何を持ってきてくださったんです」


 キネシスは白い布の包みを卓の上に置いて、解いた。

 ひび割れた黒い石が焦げた卓の上に転がった。


 部屋の中が、しんと静まり返った。ヘルガは、しばらく黙ってそれを見下ろしていた。

 手を伸ばしかけて、止めた。


「……触っても?」


「構わない。砂漠から運ぶ間、誰が触れても何も起きなかった」


 ヘルガは黒い石を手に取った。重さを確かめるように手のひらの上で転がし、ひびの一本一本を、目を細めて覗き込んだ。


「アスモデウスの、ですか」


「胸の奥にあった。蓮の剣先が、これに当たった」


 ヘルガの目が、蓮に向いた。


「割った時、どうなりました」


「……悪魔の体が、崩れ始めました」


 蓮は答えた。


「指先から、翼の先から。黒い砂になって。……最後に、これと、白い布だけが残りました」


 ヘルガは石に目を戻した。


「魔物の核に、似てますね」


 女は、卓の端に置いてあった石を一つ取り上げて、黒い石の隣に並べた。握り拳の半分ほどの、灰色の石だった。


「サンドワームの核です。この間、外周の調査で、ようやく一つ」


 大きさが違った。色も違った。だが、二つの石を並べると、どこか似ていた。形ではない。何か、もっと奥の方が。


「大物の魔物の核には、貴族様の力を込められます」


 ヘルガは言った。


「魔石と同じように。……キネシス様、試していただけますか」


 キネシスは頷いて、黒い石に手をかざした。目を閉じて、「移動」の力を石に込めようとする。

 上級の魔石に力を込める時と、同じように。


 しばらく、誰も動かなかった。


 キネシスが目を開けた。眉を寄せていた。


「……入らない」


「入らない?」


「器がない」


 青年は、自分の手のひらを見下ろした。


「魔石なら、力を注ぐと、どこかに溜まっていく感じがする。底のある器に、水を注ぐような。……これには、底がない。いや、そもそも、入り口がない」


 ヘルガは黙っていたが、やがてサンドワームの核を手に取って、キネシスに差し出した。


「こっちは」


 キネシスが、もう一度手をかざした。すぐに、目を開けた。


「入る。……少しだけなら」


 ヘルガは二つの石を見比べた。


「似ているのに、違う」


 小さく呟いた。


「魔物の核は、器。でも、これは……」


 女はもう一度、黒い石を光にかざして、ひびの奥を覗き込んだ。その目が、細められた。


「……誰か、灯りを」


 若い男が燭台を持って駆け寄った。


 ヘルガは燭台の火に、黒い石を近づけた。ひびの奥に、光が差し込んだ。


 蓮は身を乗り出していた。


 ひびの、ずっと奥に、何かが見えた。

 細い線だった。石の中に、髪の毛よりも細い、白い線が走っていた。


 一本ではない。


 何本も。


 何本も、何本も。


 曲がり、交わり、円を描いて。


 ヘルガの息が、止まっていた。部屋の研究者たちが、いつの間にか卓の周りに集まっていた。

 誰も、何も言わなかった。


 壁一面に貼られた、何百枚もの紙と。


 同じ形をしていた。


「……魔法陣」


 ヘルガが、かすれた声で言った。


「石の中に、魔法陣が刻まれてる」


 蓮は、その白い線を見つめていた。円が円を呼び、線が線を呼んで、どこまでも細かく広がっていく。


 見覚えがあった。


 砂漠の窪地で、悪魔の足元の砂の上に広がっていった、あの紋様。


 ユーリを奪った、あの光の紋様と。


 同じ形をしていた。


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