剣を交え、名を刻む
試験の前の晩、蓮は眠れずに天井を見ていた。
受かれば従士になれる。身分がもらえて、部隊と一緒に国の外へも出られる。
落ちれば、次の試験は半年後だった。
半年あれば、ロイとミラは先に従士になって、どこかの部隊へ散っていく。食堂の隅の席に、また一人で座ることになる。
蓮は寝返りを打った。
三人で受かる。十日前にそう決めた。
決めたことを、もう一度だけ頭の中で繰り返して、目を閉じた。
眠れたのは、窓の外が白み始めてからだった。
試験の朝、養成所の広場に受験者が並んだ。四十人ほどいた。
朝靄の中で、ガレンが前に立った。
「学科、それから実技」
ガレンは言った。
「学科で足りない者は、実技を受けずに帰れ。両方受かった者だけが、従士だ」
それだけだった。
隣のロイは、いつもより口数が少なかった。反対隣のミラはいつも通りの顔をしていたが、握った拳がわずかに震えていた。
学科は石造りの講堂だった。配られた紙には、算術の問題と、地理の問い、それから貴族の国の法規についての問いがびっしり並んでいた。
算術は、蓮には難しくなかった。伝票の数字を毎日突き合わせていた頃と、やることは変わらなかった。地理と法規は、夜ごとフィールに詰め込まれたことを思い出しながら書いた。
顔を上げると、斜め前の席でロイが頭を抱えていた。何度も書いては消していた。それでも十日前よりは、ずっと手が動いていた。
ミラは算術をさっさと終えて、法規の欄で手が止まっていた。法の中身は知っている。知っていることを長い文で書くのが苦手なのだった。ミラは眉を寄せたまま、短い文を一つずつ、ゆっくりと書き足していった。
講堂を出た時、蓮は学科で落ちることはないと思った。
あとは、実技だった。
午後、養成所の中庭に木の柵で囲った試し場が組まれた。
受験者は一人ずつ呼ばれて、教官補と打ち合う。勝ち負けではない。ガレンが柵の外から見て、従士として使えるかどうかを決める。
蓮の名が呼ばれた。
柵の中で木剣を下げて待っていたのは、ゲイルだった。
見上げるような大男だった。半月前、蓮の肋を二本まとめて折った相手だった。
「お前か」
ゲイルは口の端を上げた。
「あの日以来だな。少しはましになったか。それとも、まだ木偶のままか」
蓮は何も答えなかった。
木剣を構えた。
ガレンに一本ずつ巻きつけさせられた指で、柄を握った。
「――始め!!」
ゲイルが踏み込んできた。
速い。
だが、見える。
あの日は影も追えなかった一撃が、今ははっきり見えた。
ガッ!!
振り下ろされた木剣を、ぎりぎりで受け流す。腕が痺れる。重い。
それでも、弾かれなかった。
ガッ! ガガッ!! ガッ!!
左。
右。
下段。
また上段。
息をつく間もなかった。木剣と木剣がぶつかる乾いた音が、途切れずに中庭に響いた。
受ける。
流す。
下がる。
また受ける。
一歩も前に出られなかった。
「それだけか!! それじゃ従士は務まらねえぞ!!」
ゲイルが吠えた。
渾身の一撃が、蓮の木剣を弾き上げた。
ドゴッ!!
肩を、打たれた。
骨まで響いた。
目の前が白く霞んだ。
片膝が地面を打った。
――まずい。
――ここで、倒れたら。
噴水の縁が浮かんだ。
水盤に落ちて、串だけ掲げていたロイ。腹を抱えて笑っていたミラ。口元を押さえていたフィール。
三人で受かる、と決めた。
蓮は膝をついたまま、木剣を握り直した。
ゲイルが踏み込んでくる。
とどめの一撃だった。
大きく、振りかぶった。
その一瞬。
見えた。
右足に乗り切った重心。
振りかぶった腕の下に、わずかに開いた脇腹。
半月前、蓮の肋を折った時と同じ構えだった。
全部、見ていた。
この一月半、地面に転がされながら、ずっと見ていた。
紙一重で、振り下ろされる木剣をかわした。
崩れたゲイルの懐へ、潜り込んだ。
そして――。
バシィッ!!
蓮の木剣が、ゲイルの脇腹に叩き込まれた。
ゲイルの巨体がよろめいた。
片膝をついた。
しん、と。
中庭が静まり返った。
「――そこまで!!」
柵の外から声が飛んだ。
ゲイルはしばらく肩で息をしていた。
やがて片膝をついたまま、蓮を見上げた。
「……脇は、借りを返したってわけか」
ゲイルは薄く笑った。
「一月半で、よくここまで来たな」
蓮の膝から力が抜けた。その場にへたり込みそうになるのを、どうにか堪えた。
柵の外に、ガレンが腕を組んで立っていた。
何も言わなかった。
ただ、手元の板に何かを一行書きつけた。
夕方、養成所の掲示板に合格者の名が張り出された。
受験者が掲示板の前に押し寄せた。蓮は人の肩の間から、上から順に名を追った。
――蓮。
見つけた瞬間、膝が笑った。
そのまま、目を下へ動かした。
――ロイ。
――ミラ。
「……あった」
蓮の声は少しかすれていた。
隣でロイが両拳を空に突き上げた。
「やったぞおおおお!! 三人揃って合格だ!!」
周りの受験者が何人も振り返った。ロイは構わずに、蓮とミラの肩を両腕でまとめて抱え込んだ。
ミラは頬を赤くしていた。
ロイの腕の中で、小さく笑っていた。
その夜、フィールも加わった四人で、街外れの小さな酒場に入った。
木のジョッキが四つ、卓に並んだ。
「乾杯だ!! 俺たち三人の、輝かしい門出に!!」
「大袈裟ね」
フィールが呆れたように言った。
言いながら、自分のジョッキを持ち上げていた。
ジョッキがぶつかる乾いた音が、卓の上で鳴った。
その音を聞いた瞬間、蓮の胸の奥が小さく鳴った。
週末の、騒がしい飲み屋。ジョッキを掲げて笑う直哉。
――じゃあ余計に、俺らがいるじゃん。
あの夜と、同じ音がした。
「しっかし、お前が一番危なかったよな、蓮。ゲイルの肩の一発、もろに食らってたろ」
「……否定はしない」
「あそこで負けてたら、今夜のお酒がまずくなるところだった」
ミラがぼそりと言った。
ロイがジョッキを持ったまま固まった。
「お、ミラが冗談言った!!」
「言ってない」
「言った!! 今の冗談だろ!!」
卓の上で笑いが弾けた。フィールは溜息をつきながら、ミラの空いたジョッキにそっと水を注いでいた。
「で、次は配属ね」
フィールが言った。
「部隊は第一から第四まであるわ。どこへ行くかは、まだ分からない」
「そりゃフィールの部隊一択だろ。ここまで一緒にやってきたんだ」
ロイがすぐに身を乗り出した。
「気が早いわね。決めるのは私じゃなくて、ムーヴ様よ」
「分かってるって。でも、言うだけならただだろ」
ロイとフィールが言い合うのを聞きながら、蓮はジョッキを傾けた。
先のことは分からなかった。
それでも今夜は、それでよかった。
「なあ、二人とも」
蓮が言うと、ロイとミラが同時にこっちを向いた。
「これからも、よろしく頼む」
ロイが片眉を上げた。
「なんだよ今さら。当たり前だろうが」
ミラは何も言わなかった。
ただ目元を緩めて、小さく頷いた。
酒場の窓の外で、知らない星が瞬いていた。




