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砂漠の少女

 砂。


 どこまでも砂。


 北の外周の砂漠は、蓮がこの世界で初めて目を覚ましたあの日の砂漠とよく似ていた。風に波打つ砂丘の稜線。照りつける白い光。踏み出すたびにざくりと沈む足元。


「――次」


 キネシスの目が、遠い砂丘の頂の一点を見た。


 特務班の七人が青年の周りへ寄り、タイタンとテルモがその両肩に手を置く。


 跳ぶ。


 景色が切り替わり、さっきまで地平の霞の中にあった砂丘の頂に、十人が立っていた。キネシスはすぐに北を見て、目を細め、次の頂を探す。


 見える場所にしか跳べない「移動」で、頂から頂へ。跳び継ぎ、跳び継ぎ、北へ。夜明けにサナトリアを発ってから、これで五度目だった。


 蓮は頭の中で数えていた。十人をまとめて運べば、一人で跳ぶ十回分の力を食う。特務班ができてすぐの頃、キネシス自身がそう言っていた。五度なら、一人で跳ぶ五十回分。


 キネシスの額に汗が浮いていた。砂漠の日差しのせいだけではなかった。


 出発の前の晩、ギードが同行を願い出ていた。せめて私一人だけでも、当主様のお側に、と。キネシスは断った。一人増えれば、それだけ跳べる回数が減る。お前にはサナトリアの守りを頼む、と。ギードはそれ以上何も言わず、ただ黙って、フィールに回復の魔石を持たせた。


「キネシス様。少し休みませんか」


「まだいける」


「まだいける時に休むんです。悪魔の前で跳べなくなったら困ります」


 キネシスは何か言い返そうとして、口を閉じた。


「……一刻、休む」


 青年は砂丘の陰に腰を下ろした。崩れるような座り方だった。


 タイタンがにやにやしながら蓮の肩を叩いた。


「坊主の扱いがうまくなったじゃねえか、小僧」


「扱ってません」


「扱ってんだろうが」


 テルモが呆れたように息をついた。


 キネシスは聞こえないふりをして、水筒の水を一口だけ含んだ。


 砂丘の陰で水筒を回していた時だった。


 風に乗って音が届いた。


 遠い。


 だが確かに。


 獣の咆哮。


 一頭ではない。


 フィールが弾かれたように立ち上がった。


「……サンドウルフ」


 ミラが砂丘の頂へ駆け上がり、身を伏せて向こう側を覗き込んだ。その背中が、ぴたりと止まった。


 振り返ったミラの顔に、はっきりと驚きが浮かんでいた。めったに表情を変えない少女の顔に。


 ミラは指を一本立てた。


「……一人?」


 フィールが眉を寄せた。


 ミラは頷いて、砂丘の向こうを指差した。


 蓮は砂を蹴って頂へ駆け上がり、見下ろした。


 砂の窪地にサンドウルフの群れがいた。二十。いや、三十近い。


 その群れの真ん中に。


 少女が立っていた。


 小さかった。遠目にも分かるほど小さかった。サンドウルフの背丈とほとんど変わらない。長い髪を頭の両側で高く結い上げていて、二本の尾のような髪が砂漠の風に踊っていた。


 右手に細身の剣。


 左手を前に突き出していた。


 その掌の先に光が生まれていた。


 円。


 幾何学の紋様。


 魔法陣。


「――ファイアボール!!」


 甲高い声が砂漠に響いた。


 ドオンッ!!


 火球が正面のサンドウルフの顔面で弾けた。獣が悲鳴を上げて砂の上を転がる。


 その間に、背後から別の一頭が飛びかかっていた。


「見えてるってのッ!!」


 少女は振り返りもせずに剣を返した。


 逆手。


 背中越しの一閃。


 サンドウルフの喉が裂けた。


 獣が砂に落ちるより早く、少女はもう次の獣へ跳んでいた。


 速い。


 小さな体が砂を蹴るたび、ばねのように弾む。牙を紙一重で躱す。脇腹を斬り裂く。着地と同時に左手を突き出す。


 魔法陣。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


「――アイスボール!!」


 氷の礫が散った。三頭のサンドウルフの足が砂ごと凍りついた。


 蓮は息を呑んでいた。


 魔法は手を向けてから撃つまでに数秒かかる。その数秒、撃つ者は無防備になる。エスクーダでイライザに教わったことだった。この少女は、その数秒を剣で埋めていた。斬りながら陣を描き、陣が満ちるまでの間を剣で守り、満ちた瞬間に撃つ。


 一人で。


 三十頭を相手に。


「……何なの、あの子」


 隣に来たフィールが呆然と呟いた。


 ロイが、ヴァイスが、ユーリとリアムが、次々と頂に這い上がってきた。誰もが窪地の光景に目を奪われていた。


 タイタンが口笛を吹いた。


「やるじゃねえか、ちびっこ」


 テルモだけが目を細めていた。


「……長くはもたん」


 その言葉の通りだった。少女の動きが、わずかに鈍り始めていた。息が上がっている。剣を振る腕が少しずつ下がっている。陣が満ちるまでの時間が、一度ごとに延びている。


 サンドウルフたちはそれを見逃さなかった。


 獣たちが少女の周りをゆっくりと回り始めた。


 円を描くように。


 いや。


 蓮の眉が寄った。


 獣の輪は少女を囲んでいるのではなかった。片側だけが厚い。少しずつ、少しずつ、少女を窪地の底の方へ押している。


 なぜ、底へ。


 少女が左手を突き出した。


 陣が生まれる。


 一秒。


 二秒。


 三秒目に。


 少女の足元の砂が沈んだ。


「――え?」


 ざあああああああああああっ。


 窪地の底が抜けた。


 砂が渦を巻いて流れ落ちていく。少女の立っていた場所を中心に、すり鉢状の穴が見る間に口を開けていく。蟻地獄。それも家一軒が丸ごと呑まれるほどの。


 少女の体が流れる砂に足を取られて滑り落ちていく。


 陣が霧のように散った。


 剣が手を離れて砂の中に消えた。


「きゃ――!!」


 穴の底で砂が盛り上がった。


 黒光りする甲殻。


 人の背丈の倍はある鋏。


 高く、高く掲げられた毒針の尾。


 デザートスコーピオン。


 サナトリアの北門で見たものより遥かに大きかった。砂の下に巣を作り、獲物が落ちてくるのを待っていたのだ。サンドウルフたちはそれを知っていた。だから少女をここへ追い込んでいたのだ。


 少女は穴の底に転がり落ちていた。


 起き上がろうとした。


 腰まで砂に埋まっていた。


 動けない。


 毒針が振りかぶられた。


 少女の顔から血の気が引いていくのが見えた。


 その目が毒針を見上げていた。


 ただ、見上げていた。


 蓮は砂丘を駆け下りていた。


 考えていなかった。考えるより先に、足が砂を蹴っていた。


「蓮ッ!! 駄目、あれは――!!」


 フィールの叫びが背中を叩いた。


 聞こえていた。


 分かっていた。


 あの穴に入れば出られない。流れる砂が足を呑む。底にはあの化け物がいる。悪魔と戦う前に、こんなところで。


 それでも。


 あの顔を見てしまった。


 毒針を見上げる真っ白な顔を。


 ダインがそうだった。イライザが。クレベスが。トーレが。ネロが。オルトが。


 最後に見た顔は、いつもこうだった。


 もう見たくなかった。


 蓮は剣を放り出して跳んだ。


 穴の縁から、流れる砂の斜面へ。


 滑り落ちる。いや、落ちていく。足を取られる。転がる。天と地が入れ替わる。口の中が砂で埋まる。目に砂が入る。構わない。構わない。構わない構わない構わない――!!


 穴の底が迫る。


 毒針が振り下ろされる。


 少女の真上に。


 間に合え。


 間に合え。


 間に合え間に合え間に合え間に合えええええ――!!


 蓮の体が少女の上に覆い被さった。


 ドゴッ。


 背中に。


 衝撃が。


 毒針ではなかった。


 鋏だった。毒針よりも一瞬早く横薙ぎに振るわれた巨大な鋏が、蓮の背中を抉っていた。


「が、あ……ッ!!」


 息が止まった。


 背中の肉が裂けた。


 熱い。


 熱い熱い熱い熱い熱い熱い――!!


 それでも蓮は退かなかった。


 両腕で少女の小さな頭を抱え込んでいた。


「……な」


 腕の中で少女の声が震えた。


「なに、して……」


 答える余裕はなかった。


 頭上で毒針がもう一度振りかぶられていた。


 今度は蓮の背中へ。


 剣はない。穴の縁に放ってきた。


 だったら。


 蓮は振り向きざまに右手を伸ばした。


 振り下ろされる毒針の、その尾の付け根を。


 素手で。


 掴んだ。


「――ぐ、うううううううううッ!!」


 重い。


 化け物の力が腕を、肩を、背骨を押し潰しにくる。足が砂に沈む。針の先が蓮の顔の指三本先で震えている。針から黒い毒液が滴った。蓮の手の甲に落ちた。


 ジュウッ。


 皮膚が焼けた。


 離すな。


 離すな離すな離すな離すな――!!


「登れッ!!」


 蓮は叫んでいた。


 腕の中の少女に。


「俺の体を踏んで登れッ!! 上まで!! 早くッ!!」


「で、でも、あんた――」


「いいから行けえええええええッ!!」


 少女の体がびくりと震えた。


 それから。


 蓮の腿を小さな足が踏んだ。


 肩を。


 裂けた背中を。


 痛かった。目の前が白く弾けるほど痛かった。


 それでも蓮は動かなかった。


 少女が蓮を踏み台にして斜面へ跳んだ。這い上がる。滑る。また這い上がる。


 蓮の足が砂に呑まれていく。


 膝まで。


 腿まで。


 流れる砂が、蓮の体を化け物の足元へ引きずり込んでいく。


 毒針が震えていた。


 腕が限界だった。


 指が一本、また一本と滑っていく。


 ここまでか。


 そう思った時。


 ヒュッ。


 風切り音。


 ドスッ。


 化け物の目に矢が突き立っていた。


 ミラだった。穴の縁から身を乗り出して、もう次の矢を番えていた。


 デザートスコーピオンが甲高い悲鳴を上げて身をよじった。毒針が蓮の手からもぎ取られ、宙を薙いだ。


 ドスッ。ドスッ。


 二本目。三本目。同じ目に。


「――小僧ォッ!!」


 タイタンの声が頭上で轟いた。


 穴の縁にキネシスが現れていた。


 その目が、穴の底の、蓮の真横の一点を見た。


 消えた。


 現れた。


 流れる砂の上、蓮のすぐ隣に。


 青年の手が蓮の襟首を掴んだ。


 人を運ぶのに触れる必要はない。周りにいれば共に跳べる。それでもキネシスは掴んでいた。指が白くなるほど強く。


 跳んだ。


 次の瞬間、蓮の体は穴の外の砂の上に転がっていた。


 その直後。


「――どけどけどけええええええいッ!!」


 タイタンが穴の縁から跳んだ。


 真下へ。


 化け物の甲殻のど真ん中へ。


 拳を振りかぶって。


 ドゴオオオオオオオオオオンッ!!


 甲殻が砕けた。


 砂が爆ぜたように舞い上がった。


 テルモが穴の縁に立った。右手を軽く払った。


 ゴウッ。


 穴の底が一瞬で炎に呑まれた。


 化け物の断末魔が炎の中で途切れた。


 その炎の真ん中で、巨漢が平然と立っていた。燃え盛る甲殻を足蹴にして、肩の砂を払っていた。


「おうテルモ!! ちっとも熱くねえぞ!!」


「加護のある者に、離れた炎が届くものか」


 穴の周りでは、残ったサンドウルフを特務班が斬り伏せていた。フィールの剣が。ロイの剣が。ヴァイスの剣が。ユーリの槍が。リアムの短剣が。


 やがて。


 静寂。


 砂煙がゆっくりと晴れていった。


 蓮は砂の上にうつ伏せに倒れていた。


 背中の服が裂け、その下の肉が鋏の形に抉れていた。右手の甲が毒液で黒く焼けていた。


「蓮!! 蓮ッ!!」


 フィールが駆け寄ってきた。腰の袋から回復の魔石を掴み出す。ギードが持たせてくれた石だった。


 淡い光が蓮の背中を包んだ。


 長かった。


 傷は塞がっていく。だが光がなかなか引かない。下級の石が何度も何度も明滅して、ようやく光が消えた時には、石はすっかり色を失っていた。


 フィールの眉が一瞬だけ寄った。唇を噛んで二つ目を取り出し、焼けた右手にかざす。


 これも、長かった。


「……馬鹿。一人で飛び込んで」


「ごめん」


「ごめんじゃない」


 フィールの声は怒っていた。だが、魔石を握るその手は震えていた。


 影が蓮の前に落ちた。顔を上げると、少女が立っていた。


 近くで見ると本当に小さかった。座り込んだ蓮とほとんど目の高さが変わらない。幼い顔立ち。大きな目。頬に砂と返り血。二本の長い髪の束が肩の後ろで揺れていた。


 少女は腕を組んで蓮を見下ろしていた。正確には、見下ろそうとしていた。砂にまみれたフード付きの外套を羽織っている。


 蓮は瞬きをした。その外套に見覚えがあった。サナトリアの館の裏門。物流隊の荷台。麻袋の陰にうずくまっていた、あの小さな人影。


「……あの時の。荷台の」


 少女の肩がぴくりと跳ねた。


「み、見てたの、あんた」


「目が合った気がした」


「気のせいよ」


「そう」


「……合ったけど」


 少女はぷいと横を向き、それから、きっと蓮を睨んだ。


「それより!! なんで飛び込んできたのよ!!」


 甲高い声だった。震えていた。


「あの穴、出られないのよ!! 砂は流れてるし、底にはあいつがいるし!! 分かってたでしょ!? 分かってて、なんで!!」


 声が裏返った。


「あんた、死ぬとこだったのよ!!」


 蓮は少し考えて、それから正直に答えた。


「死ぬとこだったのは、君の方だろ」


「そ、それは……!」


「見上げてた。毒針を。……動けなくなってた」


 少女の顔がみるみる赤くなった。


「う、動けなかったんじゃない!! 砂に埋まってただけで!!」


「うん」


「ほんとなんだから!!」


「うん。……無事でよかった」


 少女が固まった。


 口がぱくぱくと動いた。何か言い返そうとして、言葉が見つからない顔だった。


「……べ、別に。助けてなんて頼んでないし」


 少女は顔を背け、それから、ちらりと蓮の背中を見た。魔石の光がようやく引いたばかりの、まだ赤く引きつった背中を。自分が踏みつけて駆け上がった背中を。


 その目が、ほんの少しだけ揺れた。


「……痛かった?」


 小さな声だった。


「あたしが、踏んだとこ」


「ちょっと」


「ちょっとじゃないでしょ、あれ」


「ちょっとだよ」


「嘘つき」


 少女は唇を尖らせ、それから蓮の顔をじっと見た。長い間。あまりに長く見つめられて、蓮は居心地が悪くなって目を逸らした。


「……あんた、名前は」


「蓮」


「レン」


 少女はその名を口の中で転がすように繰り返した。


「……ふうん。レン」


 それからぱっと顔を上げ、腕を組み直して胸を張った。小さな体を、精一杯大きく見せるように。


「あたしはベル。『水』のアクアリスの娘よ」


 その場の全員が固まった。


 タイタンが目を丸くした。


「アクアリスの……娘ぇ?」


「養女だけどね。跡継ぎはマリン。あたしは違うから、気にしなくていい」


 ベルはあっさりと言った。


 キネシスが砂丘の上から降りてきた。顔が引きつっていた。


「……アクアリス殿が養女を迎えたとは、聞いたことがある」


 青年はこめかみを押さえた。


「その『水』の家の者が、なぜこんな北の果てに一人でいる。『水』の国は南だぞ」


「悪魔退治」


 ベルは胸を張ったまま言った。


「北に悪魔が出たって、物流隊の人たちが荷台で話してたの。だから倒しに来た。荷馬車に潜り込んで、サナトリアから開拓地まで乗ってきて、そっから歩いて」


「一人で」


「一人で」


「……アクアリス殿はご存じなのか」


 ベルはふいと目を逸らした。


「……置き手紙は、してきた」


 キネシスが額を押さえた。


 テルモが深い深い溜息をついた。


 タイタンが腹を抱えて笑い出した。


「がははははは!! 家出か!! 家出して悪魔退治か!! いいねえ、ちびっこ!!」


「ちびっこって言うなッ!!」


 ベルがタイタンに噛みつくように叫んだ。「力」の当主に向かって、遠慮も何もなく。


 ロイが青ざめた。ヴァイスが目を剥いた。リアムが口笛を吹きかけて、ユーリに肘で小突かれた。


 だがタイタンはますます愉快そうに笑うだけだった。


「……とにかく」


 キネシスがこめかみを押さえたまま言った。


「ここから先は危険だ。君は――」


「決めた」


 ベルがキネシスの言葉を遮った。その目はキネシスではなく、蓮を見ていた。


「あたし、あんたに付いてく」


 蓮は瞬きをした。


「……え?」


「あんたたちも悪魔を倒しに行くんでしょ。だったらあたしも行く。あんたの隣で戦う」


「いや、危ないし」


「危ないのはあんたの方でしょ!!」


 ベルが蓮の背中を指差した。


「あんな穴に自分から飛び込んで、素手で毒針なんか掴んで!! あたしが見張ってなかったら、あんた次は本当に死ぬわよ!!」


「さっきは俺がいなかったら――」


「うるさいうるさいうるさいッ!!」


 ベルは顔を真っ赤にして叫び、それから、ぴたりと口を閉じた。蓮の顔を、もう一度見る。頬が赤かった。砂漠の日差しのせいではなく。


「……だって」


 小さな声だった。さっきまでの甲高さが、嘘のように。


「自分が死ぬかもしれないのに、あたしのために飛び込んでくる人なんて……今まで、一人もいなかったもん」


 砂漠に風が吹いた。


 二本の髪の束がふわりと揺れた。


 蓮は何も言えなかった。


 隣で、フィールが魔石を握ったまま黙っていた。何も言わなかった。


 キネシスが空を仰ぎ、深く深く息を吐いた。


「……日が落ちる前に、北の監視塔へ一度寄る。そこの鳥舎から、アクアリス殿へ伝書鳥を飛ばす」


 その声は疲れ切っていた。


「返事が来るまでは同行を許す。ただし勝手な真似は一切認めない。一つでもすれば、その場で監視塔に置いていく」


「やった!!」


 ベルが両手を突き上げて跳びはね、それから蓮の方を向いて、びしっと指を差した。


「よろしくね、レン!! あたしのことはベルって呼び捨てでいいから!! 『様』なんてつけたら承知しないんだから!!」


 蓮は口を開きかけて、閉じて、また開いた。


「……よろしく、ベル」


 ベルは満面の笑みを浮かべた。花が咲いたような笑顔だった。


 サンドウルフの死骸の真ん中で。焼け焦げた蟻地獄のすぐ脇で。その笑顔だけが、場違いなほど明るかった。


「おう、ちびっこ」


 穴の縁から、煤だらけのタイタンが這い上がってきた。片手に細身の剣を一本ぶら下げていた。


「お前のだろ。底に埋まってたぞ」


 放られた剣を、ベルは両手で受け止めた。刃にこびりついた煤を、外套の裾で丁寧に拭う。


「……ありがと。でも、ちびっこって言うな」


「がははは!!」


 フィールが黙って魔石を袋にしまい、立ち上がった。蓮の方は見なかった。


「……行きましょう、キネシス様。日が傾く前に」


 その声はいつもと同じだった。


 いつもと、同じだった。


 ミラだけがフィールの横顔をちらりと見上げ、それから黙って、矢筒の残りの矢を数え始めた。


 北の地平線の向こうで、砂丘が陽炎に揺れていた。


 その奥の奥に。

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