塗り替えられた記憶
翌朝、フィールが報せを持ってきた。
今夜、討伐の隊の生き残りと、作戦に関わった隊長たちを集めて、館で集まりが開かれるのだという。
「祝いの席じゃないわ」
フィールは言った。
「ムーヴ様が亡くなったんだもの」
それから、声を落とした。
「……あの戦場で何があったのかは、誰にも話すなって。もう、きつく言われてる」
蓮は黙って頷いた。
館の大広間に集まったのは、十二人だった。
作戦に加わらなかった隊長が三人。それから、あの荒れ野から生きて帰ってきた者が九人。
百人近くいた隊のうちの、九人だった。
ギードがいた。片腕を布で吊っていた。力の国と炎氷の国の護衛が、一人ずつ。名も知らない第一部隊の男たちが、何人か。
蓮は九人の顔を、一人ずつ見た。
数えたくなかった。
それでも、数えてしまった。
並んだ一同の前に、二人が現れた。
一人は、あの青年だった。
もう一人は、白い衣の女だった。袖口で、小さな銀の飾りが揺れていた。エスクーダの広場で、門から出てきた女だった。
洗脳の貴族、メンタル。
青年が口を開いた。
「――キネシスだ。移動の貴族を継いだ」
静かな声だった。
「ムーヴ様の意思を継いで、この国に尽くす。皆も、これまで通り頼む」
短い挨拶だった。
キネシスは少しだけ間を置いた。
「食堂に食事を用意した。大浴場も開けてある。今日は、ゆっくり休んでくれ」
それだけ言うと、キネシスの姿が消えた。
入れ替わるように、メンタルが一同の前に歩み出た。
「――皆、よく悪魔を討ちました」
柔らかい声だった。
「ムーヴ殿のことは、国じゅうが悲しむでしょう。正式な発表は、五日後に行います」
深い悲しみを、そっと包むような声だった。
メンタルは、そこで小さく手を上げた。
「――さて。皆、こちらを見なさい」
その一言で。
声の色が、変わった。
「此度の悪魔との戦いを、思い出しなさい」
「国境の森で、悪魔は誰の刃も受けなかった」
「エスクーダで悪魔を討ったのは、三方の貴族です」
「悪魔には、貴族の力のほか、何一つ通らない」
「皆は貴族の盾となり、多くが命を捧げた」
「キネシス様は、その夜、この街の別宅にいらした」
「ムーヴ殿は悪魔と相打ちとなり、名誉の戦死を遂げられた」
一言ずつ、静かに、優しく。
子どもに寝物語を聞かせるような声だった。
蓮はそれを、どこか遠くで聞いていた。
――何を、言ってるんだ。
国境の森で、蓮の剣は悪魔の腕を斬った。
キネシスは、あの荒れ野にいた。ムーヴの半歩後ろで走っていた。
イライザの剣は、悪魔の脇腹を斬った。
悪魔の手は、下を向いた。
全部、この目で見た。
蓮は横を見た。
息が止まった。
並んだ十一人が、皆、同じ目をしていた。
虚ろな目で、メンタルを見ていた。
瞬きをしていなかった。唇が、メンタルの言葉をなぞるように、かすかに動いている者もいた。
ギードも。
隣のフィールも。
――まずい。
理由は分からなかった。ただ、背中の毛が全部逆立った。
ここで一人だけ違う顔をしていてはいけない。
蓮はゆっくりと、目をメンタルに戻した。
肩の力を抜いた。瞬きを止めた。周りと同じ、どこも見ていない目を作った。
唇を、少しだけ動かした。
ムーヴ殿は悪魔と相打ちとなり、名誉の戦死を遂げられた。
メンタルの目が、並んだ顔の上を、端から一つずつ滑っていった。
一つ。
二つ。
蓮の顔の上を。
止まらずに、通り過ぎた。
――パンッ。
メンタルが、軽く手を叩いた。
「皆、食堂へ行って食事を取り、大浴場で疲れを取りなさい」
十一人が、ゆっくりと歩き出した。迷いのない足取りだった。
蓮もその列に紛れて歩いた。
背中を、汗が伝っていた。
食堂の卓には、いつもより豪華な料理が並んでいた。肉料理まで、惜しみなく出されていた。
蓮はフィールの隣に座った。
皿の上の肉を見た。
脂の乗った、柔らかそうな肉だった。
モーズの肉は、口の中でとろけるの。無事に終わったら、ご褒美に振る舞われるかもしれないわね。
エスクーダの北門で、イライザがそう言って笑っていた。
蓮は、肉に手をつけられなかった。
「……なあ、フィール」
蓮は匙を持ったまま言った。
「さっきの、メンタル様の話。どう思う」
「話って?」
フィールは顔を上げた。
本当に、何のことか分からない顔だった。
「変じゃないか。キネシス様は、あの戦場にいたはずだ。イライザさんの剣も、悪魔を斬ってた」
「何を言ってるの」
フィールは不思議そうに蓮を見た。
「キネシス様は、ずっとこの街の別宅にいらっしゃったわ。それに、悪魔には貴族様の攻撃しか通らない。……当たり前でしょう」
蓮は言葉を失った。
「……昨日、お前が言ったんだ。キネシス様が持ってた結界の石のおかげで、俺は助かったって」
「言ってないわ」
フィールの声には、淀みが一つもなかった。
嘘をついている顔ではなかった。
フィールも、困ったような顔をしていた。
それから。
フィールが、ふと眉を寄せた。
「……蓮。あなた、前にも、何か」
そこで、言葉が止まった。
「……ううん。何でもない」
フィールはこめかみを軽く押さえた。
それから、何事もなかったように匙を取った。
蓮は、それ以上言わなかった。
一つだけ、確かめたいことがあった。
「……フィール。手袋は」
フィールの匙が止まった。
「手袋?」
「イライザさんの」
フィールは少しの間、蓮を見ていた。
それから、外套の内側にそっと手を当てた。
「……ちゃんと、しまってあるわ」
フィールは言った。
「どうしたの、急に」
「……いや」
蓮は首を振った。
「なら、いい」
フィールは少しだけ首を傾げて、また食べ始めた。
手袋は、残っていた。
イライザが渡しそびれて、蓮が預かって、フィールに届けた手袋のことは。
消されたのは、荒れ野で起きたことだけだった。
メンタルは、洗脳の貴族だった。
あの声。あの言葉。
あれは、ただの訓示ではなかった。あの場にいた全員の頭の中に、何が起きたのかを、上から書き込んでいた。
なら、なぜ。
自分だけが、覚えているのか。
自分には、効かなかったのか。
それとも、自分だけが、何か別のものを書き込まれたのか。
分からなかった。
分からないことだけが、増えていった。
一つだけ、分かったことがあった。
このことは、誰にも知られてはいけない。
フィールにさえ、今はもう言えない。
水を生み出す力。傷を治す力。
それから、人が覚えていることを、塗り替える力。
スキルとは、何なのか。
この世界を支えているという力の正体が、蓮には急に、ひどく得体の知れないものに見えた。
皿の上のモーズの肉は、最後まで減らなかった。




