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作戦

 一歩前へ進み出たタイタンが、獣のような低い唸り声を上げた。


 次の瞬間、その太い腕を、天へと突き立てた。


 ゴォッ!!


 凄まじい衝撃が、広場全体を吹き荒れた。


 突風にも似たその圧力に、蓮は思わず身を屈め、目を細めた。周りの従士たちも、一様に体勢を崩しかける。


 見上げれば、あれほど厚く空を覆っていた雲が、まるで見えない巨人の手で薙ぎ払われたかのように、瞬く間に散っていく。


 ――これが、貴族の力。


 蓮は、言葉を失った。


 腕を突き上げる。ただそれだけの所作一つで、空の様相すら変えてしまう。これまで向き合ってきたどんな魔物とも、あの絶望的な悪魔とすらも、明らかに次元の違う力だった。


「――オレが、悪魔を討つ」


 タイタンの宣言は、決して声高なものではなかった。


 それでいて、その一言は、広場に集う全ての者の耳に、確かな重みを持って響き渡った。


 広場の従士たちの間から、割れんばかりの歓声が沸き起こった。


「タイタン様、万歳!!」


「我らに、勝利あれ!!」


 地鳴りのような歓声が幾重にも重なり、青く晴れ渡った空へと吸い込まれていく。その熱狂の中で、各隊の隊長格たちが、それぞれ自らの仕える貴族様のもとへ歩み寄り、報告を始めていた。


 ギードもまた、ムーヴのもとへ歩み寄り、何事かを報告している様子だった。


 蓮は貴族付き従士として、その近くに控えていた。だが二人の会話の中身は、ほとんど聞き取れなかった。声を潜めているのか、末端の従士に聞かせる話ではないという線引きがあるのか。いずれにせよ、蓮にできるのは、ただ静かに、やり取りが終わるのを待つことだけだった。




 報告が一段落すると、ギードが整列した従士たちの前に、一段と高い声で歩み出た。


「――静粛に。これより、『移動』第一部隊長ギードより、今回の作戦を伝える」


 あれほど沸き立っていた広場の熱気が、一瞬で、張り詰めた静寂に変わった。


「まず、確認された悪魔は一体のみ。これを前提に、作戦の全容を説明する」


 ギードは地面に描かれた簡易な地図を指し示しながら、淡々と、しかし一言一句を聞き漏らすなと言わんばかりの張り詰めた声で続けた。


「南門から一里足らずの五か所に、二名一組の見張りを置く。見張りは日に三度の交代。悪魔を見つけ次第、この作戦のために貸し与える上級の『移動』の魔石を使い、広場の見張り塔に灯す篝火を目印に跳んで、即座に報せよ」


 見張り、という言葉に、蓮の脳裏に、あの夜の光景がよぎった。


 突如として姿を現す悪魔と、鉢合わせになる恐ろしさ。それを身をもって知っている蓮には、見張りの役目がどれほどの重圧を伴うものか、想像するに難くなかった。


「報せを受けた待機の隊は、直ちに支度を整え、砂時計一つが落ちきる前に南門へ集まること。出陣される貴族様は、『移動』ムーヴ様、『炎氷』テルモ様、『力』タイタン様の三名」


 その名が告げられるたび、広場の空気が一段と張り詰めていく。


「なお、『門』ゲート様は、万が一に備え、この広場にゲート様の館へと直結する門を開いてくださる。ただし、非常時のこの門を使えるのは、貴族様方に限られる。従士は、いかなる状況であれ、この門を独断で使ってはならない。『洗脳』メンタル様も、ゲート様と共に、この広場にて待機される」


 蓮は、ふと疑問を覚えた。


 なぜ、非常時の逃げ道が、貴族様だけに限られるのか。


 ――悪魔の指一本、貴族様に触れさせるな。


 出発前に聞いた、ギードの言葉が蘇る。盾は、盾のまま残れということなのだろう。


 だが、その疑問を口にする余地など、この場には与えられていなかった。ギードの説明は、間を置かずに続いていく。


「南門に全隊が集まった後、従士は貴族様方を中心に、円形の陣を組む。悪魔を目で確かめ次第、直ちに波状の陣へと組み替え、弓による一斉射撃を行う。射撃は、全ての矢が一呼吸のずれもなく同時に届くよう、厳守すること」


 一呼吸のずれもなく。その求められる精度に、蓮は思わず息を呑んだ。それだけ緻密な連携が、この作戦の成否を分けるのだろう。


 矢など、悪魔には効かない。ならばこの一斉射撃は、悪魔の視界を塞ぐためのものだ。


「一斉射撃が届いた瞬間、ムーヴ様は御自らの力で、テルモ様とタイタン様は上級の『移動』の魔石で、悪魔の周囲へ即座に跳ぶ。タイタン様が悪魔を押さえ、その隙にテルモ様の『絶炎』で、一気に悪魔を焼き滅ぼす。万が一、悪魔が魔法を放つ気配を見せた場合は、ムーヴ様が即座に、テルモ様とタイタン様と一緒にその場から離れる」


 一呼吸の狂いも許されない一斉射撃。それに続く貴族様方の連携。そして、万が一の際の即時の離脱。


 この作戦一つを取っても、これまでの遠征や魔物討伐とは、まるで次元の違う周到さが凝らされていた。それだけ悪魔という存在が、この国にとって危険で、慎重を期すべき相手なのだと、改めて思い知らされる思いだった。


「――そして、万が一、奇襲が失敗に終わった場合」


 ギードの声が、一段と重くなった。


「その際は、従士は直ちに悪魔へ突撃する。乱戦に持ち込み、悪魔の目を散らし、何としても、貴族様方が仕掛ける機会を作り出すこと。これが、今回の作戦の全容だ」


 蓮の胸に、あの日の光景が、再び鮮明に蘇った。


 奇襲が失敗すれば、自分たちは、あの魔殻を纏った悪魔へ、身一つで突っ込まなければならない。それが何を意味するのか、あの夜、身をもって知った蓮にとって、想像するだけで背筋が凍る話だった。


 これもまた、「盾となれ」の延長線上にある。従士の命を代償に、貴族様が確実に悪魔を討つための機会を作る。それが、この作戦の揺るぎない大前提なのだ。


 説明を聞き終えた従士たちは、誰もが神妙な面持ちで押し黙っていた。冗談交じりの軽口も、先ほどまでの熱狂も、今はどこにもない。誰もが頭の中で、この作戦の一つ一つの動きを、繰り返しなぞっているのだろう。


 蓮もまた、自分に与えられた役割を思い巡らせていた。


 ムーヴの傍らに控える、貴族付き従士。この円形の陣の中で、自分は何をすべきなのか。


 そしてもう一つ。


 あの夜、自分の剣は、悪魔に届いた。


 もう一度、あれが起きたら。起きなかったら――




 作戦の伝達が終わると、その日はそのまま、広場の周りに手配された宿屋へ、隊ごとに分かれて泊まることになった。


 蓮は、イライザたち貴族付き従士と共に、他の従士とは別に用意された宿へと向かった。


 夕暮れに染まる石畳を歩きながら、蓮は、これから訪れる決戦の刻に思いを馳せていた。


 あと何日か。あるいは、何刻か。あの化け物と再び相まみえる時が、いつ来るのかは、まだ誰にも分からない。


 ただ確かなのは、その瞬間が訪れるまで、自分にできることを一つずつ積み重ねていくしかない、ということだけだった。


 宿屋の扉をくぐりながら、蓮は静かに、拳を握りしめた。


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