盾となる者たち
五日は、あっという間に過ぎた。
蓮はその間、木剣の型を繰り返した。脇腹の傷は塞がった。それでも、型を千回振っても、胸の奥の硬いものはほどけなかった。
出立の朝、街の外れの広場に討伐の隊が集まった。
まだ暗かった。篝火がいくつも焚かれていて、その明かりの中に、揃いの外套を着た男たちが並んでいた。
第一部隊の三十人。貴族付きが二人。それから、ほかの部隊から選ばれた六人。蓮もその六人の一人だった。
残りの五人は、どれも見上げるような大男だった。丸太のような腕。岩のような胸。並んでみると、蓮の頭は五人の肩にも届かなかった。
一人が蓮を見下ろして、片眉を上げた。
何も言わなかった。
隊の前に、ギードが立った。
「――任務を確かめる」
低い声が、広場に響いた。
「エスクーダの南門で、移動のムーヴ様、炎氷のテルモ様、力のタイタン様と合流する。悪魔を討つのは、三方の貴族様だ」
ギードは一度言葉を切った。
「よく聞け。悪魔に、俺たちの刃は通らん」
篝火がぱちりと鳴った。
「剣も槍も矢も、あの殻には効かん。……そして貴族様には加護がある。どんな刃も、貴族様には届かん」
ギードの声が、もう一段低くなった。
「だが、悪魔の手だけは別だ」
広場が静まり返った。
「昔から、こう言われている。悪魔の手に捕らえられた貴族様は、加護ごと命を奪われる。……遠い昔、それで亡くなられた貴族様がおられた。どうやって加護が破られたのかは、誰にも分からん」
ギードは拳を握った。
「分かっているのは一つだけだ。悪魔の手を、貴族様に届かせてはならん」
ギードは隊を見回した。
「だから俺たちは、盾になる。悪魔の指一本、貴族様に触れさせるな。腕を失おうが、足を失おうが、最後まで貴族様の前に立ち続けろ。それが従士の役目だ!!」
「盾となれ!!」
誰かが叫んだ。
「貴族様のために!!」
声が次々に上がった。地鳴りのように広場に広がった。
蓮は声を出さなかった。
隣の大男が、拳を突き上げていた。目が輝いていた。怖がっている顔ではなかった。誇らしい顔だった。
蓮はその顔を見ていた。
分かってはいた。水も、傷の手当ても、この国の暮らしは全部、貴族様の力の上にある。貴族様が一人欠ければ、国が傾く。
従士の命と貴族様の命を秤にかければ、どちらが重いか。
この広場にいる誰に訊いても、同じ答えが返ってくるだろうと思った。
蓮は自分の右手を握った。
あの夜、この手で刃が通った。
なぜ通ったのかは、まだ分からなかった。分からないまま、ここに立っていた。
――それ、生き延びてるだけだろ。
直哉の声がした。
なら、誰かの盾になって死ぬのは。
それは、生きたことになるのだろうか。
答えは出なかった。
「――あなたが、蓮ね」
隊が配置につこうと動き出した時、後ろから声がかかった。
振り返ると、女が一人立っていた。
背が高かった。艶のある黒髪を後ろで一つに束ねていた。外套の着こなし一つにも隙がなかった。篝火の明かりの中で、その人のまわりだけ空気が静かに見えた。
「イライザ。貴族付きの長よ」
女は言った。
その後ろに、男が一人黙って立っていた。もう一人の貴族付きだと、あとで知った。一言も口をきかなかった。
周りにいた大男たちが、さっと背筋を伸ばした。
蓮もつられて背筋を伸ばした。
「貴族付き……」
「ムーヴ様のお側に仕える者よ。館にいる時も、外へ出られる時も」
イライザは蓮を上から下まで見た。
品定めをする目だった。けれど、嫌な感じはしなかった。面白がっているような目だった。
「今回に限って、あなたにもムーヴ様のお側についてもらう。そう命が下っているわ」
「俺が、ですか」
「ムーヴ様直々のご指名よ」
イライザは少しだけ首を傾けた。
「理由は聞いていない。……光栄なことよ。本来なら、ね」
本来なら、と言った時、イライザの目がほんの少しだけ翳った。
それ以上は何も言わなかった。
「あなたの持ち場は、隊の最後尾。ムーヴ様の馬車のすぐ横」
イライザは広場の端を指した。
「離れないで」
馬車は一台だけ、隊の後ろに据えられていた。
黒い木に細かい彫りの入った、立派な馬車だった。窓には帳が下ろされていた。
蓮は言われた通り、その横に立った。
帳の向こうで、何かが動いた。
衣擦れの音がした。抑えた息遣いがした。
それから、紙をめくる音。
一枚。
また一枚。
規則正しく、途切れずに。
誰かが中にいる。
蓮は帳を見た。
ムーヴ様なら、と思った。
あの方は、見える所へ跳べる。謁見の間から、遠い塔のてっぺんまで一瞬で跳んだ。エスクーダまで、跳び継いでいけば半刻もかからないはずだった。
わざわざ馬車に揺られて、何日もかけて行く理由がない。
蓮はイライザのところへ歩いていった。
イライザは大男の一人の剣帯を締め直してやっていた。
「イライザさん。一つ、訊いてもいいですか」
「何かしら」
「あの馬車には、どなたが乗っているんですか」
イライザの手が、剣帯の上で一瞬だけ止まった。
すぐに動き出した。
「――普通に考えれば、ムーヴ様でしょう?」
イライザは微笑んでいた。
「それは……そうですけど」
「なら、そういうことよ」
イライザは剣帯を締め終えて、大男の背中をぽんと叩いた。
それから、蓮の方は見ずに、次の者の装備を見に歩いていった。
はぐらかされた、と蓮は思った。
普通に考えれば、とイライザは言った。
普通ではない、と言われたような気がした。
蓮は馬車へ戻った。
帳の向こうで、また紙がめくれた。
一枚。
また一枚。
角笛が鳴った。
夜明けの空に、長く響いた。
三十八人の隊が、南へ向かって歩き出した。
馬車の車輪が、ゆっくりと回り始めた。




