悪魔討伐隊
ムーヴが戻ったのは、消えてから十日近く経った日の昼だった。
戻ったという報せは、すぐに街じゅうに広まった。各部隊の隊長が、急いで館に呼び集められた。
フィールもその中にいた。
広間に入ってきたムーヴは、十日前より痩せて見えた。目の下の隈が一段と濃くなっていた。
それでも、目は鋭かった。何かをもう決めた者の目だった。
半歩後ろに、あの若い男が控えていた。
「待たせた」
ムーヴは前置きなしに言った。
「まず、悪魔について分かったことを伝える」
広間が静まり返った。
「悪魔は、現れた場所のまわりの生き物を狩り尽くしながら、生き物の多い方へ動いていく。……どこで聞いたかは言えん。だが、確かな筋だ」
フィールは息を呑んだ。
でたらめに動いているのではない。決まった癖がある。
なら、行く先を読める。
「国境の集落のまわりで、家畜と人が消えた順を辿った。それから、南へ向かって並んでいる集落の数を数えた」
ムーヴは卓の上に地図を広げた。
国境の森から、南へ。指が一本の線をなぞった。
その先で止まった。
「エスクーダだ」
「エスクーダ……」
誰かが呟いた。
南の畜産の町だった。牛も羊も、人も、この国のどこより多い。
「王のご裁定により、移動の私と、炎氷のテルモ殿、力のタイタン殿の三人で、討伐の隊を組む」
ムーヴは地図から顔を上げた。
「両殿とは、もう段取りを詰めてある。悪魔より先にエスクーダへ入り、そこで迎え撃つ」
誰も声を出さなかった。
貴族様が、自ら悪魔を討ちに出る。
この場にいる誰も、そんな話を聞いたことがなかった。
「隊の中心は第一部隊の者で組む。それと」
ムーヴは広間を一度見回した。
「第二部隊の蓮。あの者にも、同行を命じる」
フィールの顔が強張った。
「……お待ちください」
フィールは一歩前に出た。
「蓮を、ですか。理由を伺っても」
「あの者は、悪魔に傷をつけた」
ムーヴは言った。
「たまたまなのか、もう一度起こり得るのか、私にも分からん。……だが、もう一度起こるなら、あの者を置いていく理由はない」
フィールは口を開きかけた。
閉じた。
ムーヴの言う通りだった。悪魔に傷を通したかもしれない者を連れていかない理由は、どこにもなかった。
それでも。
「――なら、私も連れていってください」
気づけば、そう言っていた。
ムーヴはフィールを見た。
しばらく黙っていた。
「駄目だ」
「なぜですか」
「あの夜、あれを目の前で見たのは二人だけだ」
ムーヴは静かに言った。
「お前と、あの者だ」
フィールは黙った。
「二人とも連れていって、二人とも死ねば、あの夜に何が起きたのか、誰にも分からなくなる」
ムーヴの声は変わらなかった。
「見た者を、一人は残す。……お前は残れ」
広間の誰も、何も言わなかった。
死ねば、とムーヴは言った。貴族様が、自分の行く戦いのことを。
「それに、第二部隊は三分の一を失った」
ムーヴは続けた。
「立て直す者が要る。それは隊長の仕事だ」
フィールは唇を噛んだ。
それ以上、何も言えなかった。
「出立は五日後の夜明け。エスクーダの南門で迎え撃つ。細かい割り振りは、追って各隊長に伝える」
ムーヴは地図を畳んだ。
「以上だ」
招集は解かれた。
隊長たちが広間を出ていく中で、フィールはしばらく動けなかった。
ムーヴの後ろに控えていた若い男が、フィールの方を見ていた。
何か言いたそうな顔をしていた。
結局何も言わずに、主の後を追って出ていった。
その日の夕方、フィールは宿舎の前で蓮を待っていた。
国境の見回りから戻ってきた蓮は、フィールの顔を見て足を止めた。
「……何かあったのか」
「ムーヴ様が戻られたわ」
フィールは言った。
「エスクーダで、悪魔を迎え撃つ。貴族様が三人で。……その隊に、あなたも入れって」
蓮は黙った。
悪魔と、もう一度向き合う。
今度は、逃げる側ではなかった。
「……俺が」
「あの夜のことで。あなたが悪魔に傷をつけたことを、ムーヴ様は重く見ておられる」
フィールの声は冷静だった。
冷静にしようとしているのが、蓮には分かった。
「フィールは、一緒じゃないのか」
「行けない」
フィールは言った。
「頼んだわ。断られた」
「何て」
フィールは少しだけ黙った。
「あの夜を見たのは、私とあなたの二人だけだから。二人とも死んだら、何が起きたのか誰にも分からなくなる。だから一人は残れ、って」
蓮は何も言えなかった。
フィールは宿舎の壁に背を預けた。
「……正しいのよ。ムーヴ様の言うことは、いつも正しい」
フィールは足元を見ていた。
「でも、あなたを一人で行かせて、私だけ残って、帰ってくるのを待ってろって」
声が少しだけ揺れた。
「……それ、残る方が辛い」
蓮はフィールを見た。
いつも背筋を伸ばしている人だった。命令を出す人だった。
その人が、壁に背を預けて、足元を見ていた。
空いたままの寝台が浮かんだ。
あの夜、フィールは一人ずつ首筋に指を当てていった。ダインの前で、膝をついたまま動かなくなった。
もう、あんな思いをこの人にさせたくなかった。
「帰ってくる」
蓮は言った。
「だから、待ってて欲しい」
フィールが顔を上げた。
少しの間、蓮を見ていた。
「……それ、約束できるの」
「できない」
蓮は正直に言った。
「でも、帰ってくる」
フィールは小さく笑った。
笑ってから、目元を手の甲で一度だけ拭った。
「五日後の夜明けよ」
フィールは壁から背を離した。
「それまでに、その脇腹、ちゃんと治しておきなさい」
それだけ言って、フィールは自分の宿舎の方へ歩いていった。
今度は、一度だけ振り返った。




