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お帰りなさい

 決めたのは宴の後だった。

 通りの卓が片づけられて、灯りが一つずつ消えていく中で、フィールは六人を集めた。


「北の丘の二人を、どうするか」


 誰もすぐには答えなかった。


「エミルは、一年、石を積み直してくれた。あそこに残しても、あの人は守ってくれる」


 フィールは一人ずつ顔を見た。


「でも、サナトリアの丘には、二人の名前の標がある。下には、何もない。……私は、連れて帰りたい。皆は」


 リアムが最初に口を開いた。


「連れて帰る」


 迷いのない声だった。


「ユーリの横が、空いてんだ。あいつ、一年、一人で寝てる。オルトのは穂先だけだしよ」


 ロイが頷いた。ヴァイスも。

 ベルは何も言わなかった。知らない二人のことに、口を出していいのかどうか分からない顔だった。それでも、小さく頷いた。


 ミラは俯いていた。膝の上で、灰色の指先を握っていた。


「……ミラ」


 フィールが言った。


「あなたが決めて。トーレは、あなたの前に出たのだから」


 ミラは長い間黙っていた。


「あの丘は」


 やがて、言った。


「風が、強い。壁の上を越えてくる。砂が、すぐに積もる」


 顔を上げた。


「サナトリアの丘は、草が生えてる。花も、ある」


 それが、答えだった。






 夜明けに発った。七人で馬を走らせた。

 昼前に北の外壁が見えた。


 エミルは北の丘のふもとで待っていた。鳥で先に知らせてあった。

 足元に、鋤が四本。白い布が二枚。二つの土の縁の石は、もう外して脇に積んであった。ミラの刻んだ二つの石だけが、杭の根元に残っていた。


「決められたのですね」


 エミルは言った。笑おうとして、うまく笑えていなかった。


「一年、守ってくれた所から、連れていくわ」


 フィールは馬を下りた。エミルの前に立った。


「ごめんなさい」


「いえ」


 エミルは首を振った。


「初めから、お預かりしていただけです。お名前も知らずに。……お返しできる日が来てよかった」


 それから、鋤を一本差し出した。


「ただ、掘るのは私にも手伝わせてください。最後まで」


 リアムが馬から飛び降りていた。二つの土の前で足が止まった。


 リアムはあの夜から一度もここへ来ていなかった。

 月明かりの街道で、二人が倒れるのを見た。見て、石の光の中へ飛び込んだ。街道の真ん中に残された二人を、振り返ることもできなかった。


「……ここか」


 かすれた声だった。


「こんな所に、一年」


 右の土の前にしゃがんだ。杭の根元の石を見た。

 トーレ。

 深く刻まれた字を、指でなぞった。


「ミラの前に出たんだってな」


 リアムは土に向かって言った。


「お前らしいよ。口より先に足が出る奴だった」


 鼻をすすった。


「俺とユーリが斥候に出てる間、ミラの隣はいつもお前だった。……最後まで隣にいたんだな」


 ミラが少し離れた所でそれを聞いていた。何も言わなかった。前髪の下で唇が震えていた。


 掘るのは男たちがやった。エミル。リアム。ロイ。ヴァイス。蓮も鋤を取った。

 誰も、口をきかなかった。鋤が土に入る音だけがしていた。


 深くはなかった。一人で掘った穴だった。一年前、荷車の一台も回せなかった朝に。


 土の下から白い布が見えた。


 エミルが鋤を置いた。膝をついて手で土を払った。

 布は黄ばんでいた。それでも、破れてはいなかった。人の形に巻いてあった。丁寧に。端から端まで。


「腕の布をほどいて使いました」


 エミルは言った。


「手元にそれしかなくて。……警備隊の者の分を、集めて」


 蓮はその布を見た。

 剣を抜く前に、まず傷を見よ。その印の布が傷を塞げなかった二人を一年包んでいた。


 リアムが手を伸ばした。


 止まった。


 触れていいのかどうか、分からない手だった。


「……軽いのか」


「軽いです」


 エミルは静かに言った。


「一年、経ちましたので」


 リアムは唇を噛んだ。それから、両腕を差し入れた。そっと抱え上げた。

 ユーリを背負って砂漠を歩いた時と、同じ腕だった。あの時よりずっと軽いものを抱えて、リアムの膝が震えていた。

 ロイが黙って隣に来た。二人で、新しい白い布の上に下ろした。包み直した。


 左の土からは、ヴァイスとエミルが抱え上げた。


 ネロだった。


 ヴァイスはネロを知っていた。

 特務班ができた朝、最初に軽口を叩いてきたのがネロだった。ヴァイスは一言も返さなかった。ネロはそれでも毎朝話しかけてきた。


 ヴァイスは布を包み直す手を一度も止めなかった。

 包み終えてから布の上に手のひらを置いた。短い間。それだけだった。


 ミラが二つの石を拾い上げた。胸に抱いた。

 ベルがその隣で風車を二本、杭の脇から抜いた。リアムに託された、あの二本だった。砂をかぶって羽が少し傾いていた。

 ベルはふっと息を吹いて砂を飛ばした。羽を指で直した。


「……これも、一緒に行くのよね」


「ああ」


 蓮は言った。


 空になった二つの穴をエミルは埋め戻した。土を平らにならした。

 それから、脇に積んであった石をもう一度縁に並べ始めた。


「エミルさん」


 蓮は言った。


「もう、誰もいません」


「存じております」


 エミルは手を止めなかった。


「ですが、一年、お二人がおられた場所です。……石は積み直します。どちらになっても、と申し上げましたので」


 フィールがエミルの隣にしゃがんだ。石を一つ取った。並べた。

 リアムが続いた。ロイ。ヴァイス。ミラ。ベル。蓮も一つ置いた。

 誰もいない二つの土の周りに、石の縁が元の通りに戻った。


 エミルは立ち上がった。右の拳を左の胸に当てた。

 腕の白い布が壁を越えてくる風にはためいていた。






 サナトリアの丘に着いたのは、日が落ちる少し前だった。

 草が夕日に光っていた。四つの墓標。四本の風車が、まだ回っていた。


 丘の上に先に人がいた。サナトスとレミエルだった。

 二つの墓標の前に、穴が掘ってあった。トーレと、ネロの標の前に。

 館の兵が掘ったのだと、レミエルが言った。グスタフも鋤を持ったのだと。


「まだ重いものは持つなと、申し上げたのですが」


 レミエルは困ったように笑った。


「門の上から見ていた者の務めだ、と仰って」


 リアムとロイがトーレを下ろした。ヴァイスとエミルがネロを。

 エミルはここまでついてきていた。最後まで、と言った通りに。


 土を、かけた。七人と、一人で。


 一年前、ここで土をかけた時、その下には何もなかった。それでも、かけずにはいられなかった。


 今日は、いた。


 ミラが二つの石を標の根元に置いた。

 トーレ。

 ネロ。

 木の標の薄くなった字の下に、消えない字が並んだ。


 ベルが風車を二本挿した。六本になった。


 リアムはユーリの標の前に立っていた。


「来たぞ」


 小さく、言った。


「隣、連れてきた。うるさいのと、口より足が先の奴だ。……お前、静かなのが好きだったのに、悪いな」


 笑った。泣いていた。


 フィールは四つの標の前に立った。背筋を伸ばした。胸の徽章に拳を当てた。


 名は、呼ばなかった。報告もしなかった。それは、もう済ませていた。


 ただ、一言だけ言った。


「お帰りなさい」


 サナトスがあの日、この丘で言った言葉だった。ようこそ、ではなく。


 風が吹いた。


 六本の風車が、からからと回った。


 同じ速さではなかった。


 砂をかぶっていた二本だけが少し遅れて回り始めた。


 それでも、回った。


 蓮は帳面の写しを開いた。

 トーレ。ネロ。場所の欄。北の丘のふもと。街道の脇。

 その下に書いた。


 ――サナトリアの丘へ移した。ユーリの隣。


 それから、数えた。

 標は、四つ。下に誰もいない標は、三つから一つになった。

 オルトの標の下には、今も、焦げた穂先が一本だけだった。それは、変えられなかった。

 変えられないものを、変えられないと書いておくのも、帳面の役目だった。


 サナトスが丘の上の八人に深く頭を下げた。


「明日、発たれるのですね」


「はい」


 フィールが答えた。


「この丘は私とレミエルが見ております。石も、花も。どうか、案じずに」


 サナトスは四つの標を見た。それから、七人を。


「次にお戻りになる時も、標は四つのままで」


 この丘に戻った日に、蓮が思ったことと同じだった。


 日が落ちた。


 六本の風車は、暗くなっても、回り続けていた。


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