↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
120/230

四つの名前

 サナトリアの城壁が見えたのは、三日後の昼過ぎだった。

 白い壁だった。一年前、あの壁の北の門で蓮たちは悪魔を待った。南の門から入るのは初めてだった。


 通りの両脇に簡素な寝台が並んでいた。あの頃と同じだった。数は少し減っていた。

 一日に三人。白い髭の老人は、今日もその三度を誰かに使っているはずだった。


 馬車が通りの真ん中で止まった。フィールが手綱を引かせていた。


「館は、この先だぞ」


 ロイが言った。


「知っているわ」


 フィールは通りの先を見ていなかった。街の外れの方を見ていた。家並みの向こうに小さな丘があった。


「先に、あそこへ行く」


 誰も、理由を訊かなかった。馬車は向きを変えた。






 丘の上は草が伸びていた。一年分の草だった。

 その中に木の墓標が四つ並んで立っていた。誰かが周りの草だけを刈っていた。墓標の根元に乾いた花が置いてあった。


 七人は馬車を丘の下に置いて歩いて上った。誰も口をきかなかった。風が草を揺らしていた。


 トーレ。


 ネロ。


 オルト。


 ユーリ。


 蓮は四つの名を左から順に読んだ。文字は少し薄くなっていた。それでも、読めた。


 トーレとネロの下には何もない。二人の体は北の丘に置いてきたままだった。オルトの下には、焦げた槍の穂先が一本。

 ユーリだけがここに眠っていた。リアムが砂漠の窪地から背負って帰ってきたからだ。


 そのリアムが最初に動いた。


 背中の荷を下ろした。口を開けて中から何かを出した。

 風車だった。三本。

 それから、丘を下りていった。馬車の幌の柱からもう一本を抜いて戻ってきた。


 四本。


 出発の前の日、フィールに荷を開けられた時、底の方に入っていた四本だった。

 蓮はあの時、なぜ四本なのかを考えなかった。数えただけだった。


 リアムは一本ずつ、墓標の根元に挿していった。トーレ。ネロ。オルト。

 ユーリの前で、少し長くしゃがんでいた。


「……よう」


 リアムは言った。いつもの声より、ずっと小さかった。


「遅くなった。一年だ。悪い」


 風が吹いた。四本の風車がからからと回り始めた。


「俺な、盾、張れるようになったぞ」


 リアムは墓標に向かって、拳を握ってみせた。


「握るだけで出るやつだ。お前が見たら、笑うだろうな。十二も数えてた俺がよ」


 誰も、何も言わなかった。


「ロイの背中にも、張ってやった。……お前の背中には、間に合わなかったけどな」


 声がそこで詰まった。リアムは鼻をすすった。乱暴に袖で顔を拭いた。


「槍、ちゃんと持ってるか。向こうでも、手放してねえだろうな」


 立ち上がろうとして、立ち上がれずにいた。


 その肩の横に瓶が一本差し出された。


 布にくるんだあの瓶だった。フィールが持っていた。


 リアムは瓶を見た。フィールを見た。


「……没収、したろ」


「したわ」


 フィールは言った。


「旅の無事を祈る水、だったわね」


「……」


「ここまで、無事に着いたわ。祈る相手はここにいるでしょう」


 リアムの口が開いた。何も出てこなかった。

 瓶を受け取った。手が震えていた。


「……知ってたのかよ」


「風車が四本。椀が五つ。お酒が一本」


 フィールは小さく息を吐いた。


「数えるのは、蓮だけじゃないわ」


 椀が五つ。


 蓮はそこで初めて気づいた。


 ――割れた時のために。


 リアムはそう言った。


 一つは、自分の分。


 四つは。


 リアムは荷から椀を出した。四つ、墓標の前に並べた。栓を抜いた。一つずつ、注いでいった。

 ユーリの椀にだけ、なみなみと。


「こいつ、酒だけは強かったんだ」


 リアムは泣きながら笑っていた。


「槍と酒だけは、誰にも負けなかった」


 五つ目の椀に残りを注いだ。ユーリの椀に、こつん、と当てた。

 一息に飲み干した。


 ロイが黙って隣にしゃがんだ。リアムの背中に手を置いた。治ったばかりの手だった。


 ヴァイスは墓標の後ろに回っていた。伸びた草を素手で抜いていた。一本ずつ。根から。誰かが刈った所のもう一回り外まで。

 一度も顔を上げなかった。


 ミラは四つの墓標の前に順番に立った。一つの前で指を一本折った。次の前でもう一本。

 四本。

 声には出さなかった。唇だけが動いていた。


 ベルはユーリの墓標の前にいた。

 他の三人をベルは知らなかった。ユーリのこともほとんど知らなかった。砂漠で会って、いくらも経たないうちに、その人はベルの前に立って、動かなくなった。


 ベルは墓標を睨んでいた。怒っているような顔だった。怒っていなければ、立っていられない顔だった。


「……あたし、まだ生きてるわよ」


 小さな声で言った。


「あんたが、庇ったから」


 拳が体の横で握られていた。


「だから、返す。あんたには返せないから、他の誰かに。……今度は、あたしが前に立つ番だから」


 それだけ言って、ぷいと横を向いた。頬が、濡れていた。

 誰も、見ないふりをした。


 蓮は紙を四枚出して、折った。四羽。一羽ずつ、風車の根元に置いた。


 それから、古い帳面の写しを開いた。折りたたんだ紙に、四つの名前と、日付と、場所が書いてあった。

 北の外壁沿い。北の丘。サナトリアの北門。北の外周の砂漠。


 ――あの人たちが何をしたか。何人いたか。俺が忘れたら、誰も覚えてない。


 ヤヌスにそう言った。


 あれは半分だけ違っていた。


 ここにいる七人は、誰も忘れていなかった。


 フィールが四つの墓標の前に立った。


 一年前、この丘で、フィールは口を開いて、閉じて、何も言えなかった。言葉の代わりに土をすくった。

 今日は土をすくわなかった。


 背筋を伸ばした。胸の徽章に、右の拳を当てた。


「トーレ」


 まっすぐな声だった。


「ネロ」


 一人ずつ。


「オルト」


 間を置いて。


「ユーリ」


 号令をかける時と同じ声だった。違うのは、誰も答えないことだけだった。


「報告します」


 フィールは言った。


「特務班は七人になりました。あなたたちの後に、欠けた者はいません」


 風車が、回っていた。


「ヨルの村で悪魔を一体、討ちました。攫われた者は、零です。死んだ者も、零です」


 声が、少しだけ揺れた。揺れたまま続けた。


「あなたたちが盾になって開けた窓を、私たちは今も使っています。石ができました。握るだけで、火と盾が出ます。あの時にあれば、と、毎晩思います」


 フィールは、目を閉じた。


 開けた。


「号令は、今もかけています。二度とかけないと、ここで言いました。……嘘をつきました。ごめんなさい」


 ロイが俯いた。ミラの唇が、止まっていた。


「これから、十三の国を回ります。あなたたちの名前は、私が持っていきます。数は、蓮とミラが持っていきます」


 拳が徽章の上で、強く握られた。


「帰りに、また寄ります。その時も、七人で」


 それで、終わりだった。


 フィールは拳を下ろした。誰も動かなかった。

 草の音と、風車の音だけがしていた。からから、からから、と。四つとも、同じ速さで回っていた。


 日が、傾き始めていた。


 丘の下の道に人影が二つ、見えた。ゆっくりと上ってきた。


 白い長衣の小柄な老人だった。白い髭が風に揺れていた。その隣で、少女が老人の肘を支えていた。腕に花を抱えていた。

 墓標の根元にあった乾いた花と同じ花だった。


 草を刈っていたのが誰だったのか、蓮には分かった。


 老人は丘の上の七人を見た。回っている四本の風車を見た。皺の深い顔がゆっくりとほころんだ。


「お帰りなさい」


 サナトスは言った。ようこそ、とは言わなかった。


「皆様、よくお戻りになりました」


 フィールが拳を胸に当てた。皆がそれに続いた。

 老人の後ろで、少女の目が、もう赤くなっていた。


 丘の上に、五本目の風車はなかった。


 蓮はそれを数えた。


 これから先も、ずっと四本のままにする。


 そのために、十三の国を回るのだと思った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。