↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/203

悪魔

 ホーンラビットを狩った日から数日後、小隊に次の任務が下りた。


 国境沿いの集落で、家畜が次々に殺されている。ここ十日ほどで、村人も三人いなくなった。何がやっているのかを確かめて、できるなら片付けてこい、という任務だった。


 ロイが言っていた集落だった。


「家畜は殺されて、そのまま。なのに、人だけが消えてる」


 道中、フィールが歩きながら言った。


 眉を寄せていた。


「何か、引っかかるのか」


「魔物なら、まず家畜を食べるわ。それに、傷口が綺麗すぎるの。噛みちぎったんじゃない。刃物で切ったみたいに」


 フィールはそれきり黙った。


 剣の柄に置いた手に、力が入っていた。


 小隊はこの前と同じ十五人だった。ダインもヴァイスもいた。魔法を使える者も一人いた。第四部隊で習って、火の球を撃てるのだという。


 十五人いれば大抵の魔物は何とかなる、とダインが言った。


 蓮もそう思っていた。






 集落で被害を確かめてから、その夜、小隊は森の外れに潜んだ。何かが出るのはいつもそのあたりだと、村の者が言っていた。


 十五人が、月明かりの下で息を殺した。


 誰も口をきかなかった。夜風が梢を揺らした。遠くで虫が鳴いていた。


 自分の心臓の音が、うるさかった。


 何を待っているのかも分からないまま待つのは、蠍に追われるより疲れた。


 そして。


 それは、前触れもなく現れた。


 人の形をしていた。


 人ではなかった。


 黒い肌。赤く光る目。背中から伸びた、歪な翼。


 森の外れの空き地に立って、こちらを見ていた。


 見ていた、と蓮には分かった。暗がりに潜んだ十五人を、一人ずつ。


「フィール」


「……悪魔」


 フィールの声がかすれていた。


「話でしか聞いたことがない。でも、間違いない。……国境に出るような奴なら、下級でしょうけど」


 フィールは息を吸った。


「戦っちゃ駄目。全員、今すぐ引くわよ。音を立てずに、急いで集落まで」


 迷いのない声だった。


 小隊が、踵を返そうとした。


 その瞬間。


 悪魔の姿が、消えた。


 ドッ!!


 一番端にいた隊員の体が、宙を舞った。


 ドガッ!!


 バキィッ!!


 二人目。


 三人目。


 悲鳴も上がらなかった。木の幹に叩きつけられる音。地面にめり込む音。骨の砕ける音。それだけが、立て続けに闇を裂いた。


「撃て!! 撃てぇっ!!」


 誰かが矢を放った。


 カンッ。


 弾かれた。


 魔法を使える隊員が、両手を突き出した。手の先に、赤い光の陣が浮かんだ。一つ。二つ。三つ。数えるほどの間をかけて陣が閉じ、火の球が放たれた。


 ボウッ!!


 当たった。


 炎は悪魔の肌の上で、霧のように散った。


 焦げ跡一つなかった。


 次の瞬間、その隊員の首が、あり得ない方を向いていた。


「あああああああっ!!」


 誰かが剣を振りかぶって突っ込んだ。


 ガキィンッ!!


 刃が弾かれた。岩を斬りつけたような音だった。


 矢も。


 魔法も。


 剣も。


 何一つ、効かない。


 瞬き数回の間だった。


 十五人いた小隊の、ほとんどが地に伏していた。


 立っているのは、蓮と、フィールと、ヴァイスと、もう一人。


 四人。


 蓮は数えていた。


 数えたくなかった。


 夕方、広場でフィールが一人ずつ数えた十五の顔が、浮かんだ。


 悪魔がゆっくりとこちらへ向き直った。


 笑っていた。


 爪の先から、赤黒いものが滴っていた。


「くっ……!!」


 蓮は剣を構えた。


 次の瞬間、景色が真横に流れていた。


 ザッ!!


 脇腹を何かが掠めた。


 そう分かったのは、地面に叩きつけられてからだった。焼けるような痛みが走った。息を吸うたびに、裂けた脇腹から痛みが突き上げてきた。目の端が赤く滲んだ。


 それでも、蓮は立った。


 立たなければ。


 次に狙われるのは――。


「フィール!!」


 悪魔の間合いに、フィールがいた。


 フィールが剣で受けた。


 ガキンッ!!


 剣が、紙切れのように弾き飛ばされた。


 フィールの体勢が崩れた。


 悪魔の爪が、振り上がった。


 ――駄目だ。


 頭の中が、真っ白になった。


 あれが当たれば、フィールは死ぬ。


 砂漠で、見ず知らずの自分を拾ってくれた人が。


 貴重な石を一つ使って、跳んできてくれた人が。


 今、目の前で。


 ――何とかしないと。


 ――何とか。


 ――何とか、何とか、何とかしないと!!


 考えにもなっていなかった。叫びだけが、蓮の中を駆け巡っていた。剣を握る手に力が入っているのかも分からなかった。


 助けたい。


 それだけだった。


 勝てるかどうかも、自分がどうなるかも、全部吹き飛んでいた。


 ――届いてくれ。


 ――頼むから、届いてくれ!!


 蓮は残った力を全部一振りに込めて、悪魔とフィールの間に飛び込んだ。


 その瞬間。


 パキィン。


 何かが、弾けた。


 目に見えるものではなかった。悪魔の体を包んでいた、硬い硝子のような何か。それが蓮の剣と触れた刹那、音もなく粉々に砕けた。


 蓮はそれを、手のひらで感じた。


 ザシュッ!!


 刃が、通った。


「――は?」


 声を漏らしたのは、悪魔だった。


 自分の腕を見下ろしていた。


 深い傷が一本、刻まれていた。


 矢も、火も、剣も、何一つ通らなかった体に。


「……貴様、今、何を……」


 悪魔の赤い目が、蓮を見た。


 笑っていなかった。


 しばらく、蓮を睨んだまま動かなかった。


 やがて舌打ちを一つ残すと、翼を大きく広げて、夜の闇へ消えた。


 追う力は、蓮にもフィールにも残っていなかった。






 静かだった。


 虫の声も、もう聞こえなかった。


「……蓮」


 フィールが、掠れた声で言った。


 蓮を見ていた。


 助かったという顔ではなかった。


 分からないものを見る顔だった。


 ほんの少しだけ、怖がっている顔だった。


「今の……何」


「……分からない」


 蓮は自分の右手を見下ろした。


 剣を握ったままだった。指が、柄から離れなかった。


 何かが、この手で起きた。


 それだけは確かだった。


 何が起きたのかは、分からなかった。


 手のひらに、氷が砕けるような感触だけが残っていた。


 どれだけ握り直しても、消えなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。