数える人
馬車は目立った。
幌の縁に紙の鳥が三百十二羽。柱に風車が一本。街道沿いの村を通るたびに子どもが走って追いかけてきた。
「鳥だ!!」
「回ってる!! あれ、回ってる!!」
リアムが荷台から身を乗り出して手を振った。
ベルは最初は知らん顔をしていた。三つ目の村でとうとう我慢できなくなって、一緒に手を振り始めた。
四つ目の村では馬車を止めた。水を汲むためだった。
井戸の周りに子どもが七人集まってきた。蓮は荷から紙を出した。七枚。一羽ずつ、折ってやった。
いちばん小さい子の鳥は羽が三枚になった。直してやろうとして、蓮は手を止めた。
その子は三枚の羽の鳥を宝物のように胸に抱いていた。
そのままにした。
「数えるなよ」
馬車に戻ると、リアムが言った。
「何を」
「今、あの子らの数を数えてたろ。口が動いてた」
「……七人」
「ほら見ろ」
ロイが布を巻いた腕で膝を叩いて笑った。
フィールは御者台の横で地図を広げていた。胸の徽章が、日に光っていた。
「国境の町まで、あと五日。今夜は涸れ川の手前で野営にするわ」
「おう」
馬車がまた動き出した。からからから、と風車が回った。
野営の火は小さかった。
鍋はリアムの小さい方を使った。没収されなかったことをリアムは三度自慢した。
パン屋の老婆のパンを七つに割った。干し果物、一人に四つずつ配った。ベルは自分の袋から、こっそり五つ目を口に入れた。フィールは見て見ぬふりをした。
ヴァイスが最初の見張りに立ち、ロイとリアムはすぐに寝息を立て始めた。
蓮は火の届かない暗がりにいた。馬車の幌の下。糸に通した鳥を端から指でたどっていた。
一。二。三。
昼の間、風に吹かれ続けた鳥だった。どれかが、千切れて飛んでいないか。
百。二百。
三百十二。
減っていなかった。
足音がした。軽い足音だった。隣に誰かが腰を下ろした。
ミラだった。膝の上に革袋を載せていた。鑿と石の入った重い袋。
しばらく、何も言わなかった。蓮の指が糸の端で止まっているのを見ていた。
「……数えてる」
「うん。三百十二。一羽も飛んでない」
「そう」
ミラは幌の縁を見上げた。暗がりの中で紙の鳥が白くぼんやりと並んでいた。
「前は、私が数えてた」
小さな声だった。蓮は手を止めた。
「うん」
「北の集落で。紙に、数字を書いて」
「覚えてる」
覚えていた。
石畳に並べられた、穏やかな顔。蓮は二つ目の集落の途中で数えるのをやめた。ミラはやめなかった。細い字で最後まで書き続けていた。
「あの夜も、こうだった」
ミラは言った。
「あなたが火の届かない所に一人で座ってて。私が、隣に来て」
「うん」
「数字を書いていないと、一人ずつの顔を見てしまいそうだった。……そう、言った」
「言った」
蓮は言った。
「その後も言った。誰かが数えなければ、この人たちは最初からいなかったことになる、って」
ミラが蓮を見た。目が、少しだけ大きくなっていた。
「……覚えてるの」
「忘れない」
蓮は糸から手を離した。
「俺が数え始めたのは、あれからだ。サナトリアで、オルトがいなくなった時。ミラが城壁の上で数えてるのが見えて。……数えないと、なかったことになると思った」
八引く、一。
あの時、初めて心の中で数えた。
「だから、俺のは、ミラの真似だよ」
ミラは何も言わなかった。膝の上の革袋を両手で押さえていた。
指先が灰色に汚れていた。いくら洗っても落ちない、石と粉の色だった。
「あの夜、もう一つ言った」
ミラは指先を見ていた。
「あなたが来てくれてよかった、って。数える人が、私一人じゃなくて」
「うん」
「今は、あなたが数えてる。帳面に、全部。跳んだ数も、呼吸も、鳥も」
少しだけ、間があった。
「私は、数えなくなった」
責めている声ではなかった。自分に向けて、確かめている声だった。
「やめたつもりは、なかった。でも、気がついたら、あなたの方がずっと上手に数えてて。私の手は、鑿を握ってて」
「ミラ」
「それで、いいと思ってる」
ミラは顔を上げた。
「やめたんじゃない。……預けたの」
暗がりの中で、目がまっすぐだった。
「あなたなら、落とさないから。一つも。だから、私の手は、刻む方に使う」
蓮はしばらく黙っていた。
それから、懐から紙を出した。
出発の前の晩に、キネシスの隠し部屋から古い帳面を一度だけ出してもらって、写してきた頁だった。折りたたんだ、一枚の紙。広げた。
「これ」
ミラは覗き込んだ。
蓮の字で、数が並んでいた。
北の集落。三つ。
開拓地のモーズとトートス。百十七。
その横に、小さく書いてあった。
――ミラが数えた。
「……私の、名前」
「ミラが数えた数は、ミラの名前で書いてある」
蓮は言った。
「俺の帳面の最初の方は、半分、ミラの数だ。預かってるけど、俺のものにはしてない」
ミラは紙を見ていた。長い間。瞬きを、何度かした。
「一人で数えてるつもりは、ないよ」
蓮は紙をたたんだ。
「今も」
ミラは俯いた。前髪が顔を隠した。肩が小さく一度だけ揺れた。
泣いているのではなかった。笑ったのだ、と蓮は少し遅れて気づいた。
「……一つだけ」
ミラが言った。俯いたまま。
「今も、数えてるものがある」
「何」
「石」
革袋をぽんと叩いた。
「刻んだ数。最初の一つから、全部」
「いくつ」
「五十四」
迷わずに言った。
「粉の火が、三十一。六角の盾が、十二。砂の火が、九。砂の盾が、一。……ヘルガさんに駄目だと言われて、割ったのが、一」
蓮は新しい帳面を開いた。ペンを取って、書いた。
――石、五十四。ミラが数えた。
ミラはそれを見ていた。今度は、俯かなかった。
「数える人は、まだ二人だよ」
蓮は言った。
ミラは小さく頷いた。それから、革袋を抱えて立ち上がった。火の方へ、二歩歩いて、止まった。
振り返らずに、言った。
「……あなたが来てくれて、よかった」
あの夜と同じ言葉だった。
同じ言葉が、少しだけ違って聞こえた。
ミラは火のそばへ戻っていった。
蓮は暗がりに残った。頭の上で、三百十二羽が夜風に揺れていた。
「……何の話、してたのよ」
幌の陰から声がした。
ベルだった。毛布を頭からかぶって、顔だけ出していた。寝ていたはずだった。
「数の話」
「数」
「うん。石が、五十四」
ベルはしばらく蓮の顔を見ていた。疑うような目だった。
それから、ふん、と鼻を鳴らした。
「……つまんない話」
毛布の中に引っ込んだ。
引っ込む前の顔が、少しだけほっとしていたのを、蓮は見た。
数えなかった。
それは、数えなくてもいいものだった。
翌朝、蓮は帳面の最初の行の下に書き足した。
一日目。村、四つ。折った鳥、七。
鳥、三百十二。減らず。
石、五十四。ミラが数えた。
国境の町まで、あと四日だった。




