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三百十二羽

 出発の前の日。宿舎の前に荷物が七つ並んでいた。フィールが端から順に見て回っていた。


 ヴァイスの荷は、小さかった。着替えが一組。砥石。干し肉。それだけだった。


「……これで全部?」


「足りる」


 ヴァイスは言った。フィールは頷いて次へ行った。


 ミラの荷は小さいのに重かった。フィールが片手で持ち上げようとして、持ち上がらなかった。


「何が入っているの」


「石」


 ミラは言った。


「鑿。針。粉。砥石。石」


「石が二回出たわ」


「……二種類ある」


 フィールは黙って次へ行った。


 ロイの荷は普通だった。ただ、本人が持てなかった。両腕にまだ布が巻いてあった。


「俺が持つ」


 リアムが胸を叩いた。


「パンの礼と、背中の礼だ」


「背中は、お前が守った方だろ」


「じゃあ、パンの礼だけでいい」


 フィールはそのリアムの荷の前で足を止めた。

 七つの中でいちばん大きかった。ロイの荷を持つ前から、もう一人では持てない大きさだった。


「開けて」


「いや、これは」


「開けて」


 リアムはしぶしぶ口を開いた。フィールが中のものを一つずつ出した。


 着替え。干し肉。ここまではよかった。


 木の椀が、五つ。


「なぜ五つ」


「割れた時のために」


 鍋。


「馬車に、積んであるわ」


「小さい鍋もいるだろ」


 枕。


「…………」


「宿の枕は合わねえんだよ」


 すり鉢。すりこぎも、付いていた。


「何を擂るの」


「何かは、擂るだろ」


 木彫りの人形。両手に載るほどの、髭の男の人形だった。


「これは」


「市場で、目が合った」


 額に入った絵。どこかの丘が描いてあった。


「どこに飾るの」


「馬車」


 フィールはもう何も訊かなかった。


 風車が、四本。紙の舟が、いくつか。

 それから、底の方から、布にくるんだ瓶が一本出てきた。


 フィールは栓を抜いて匂いを嗅いだ。眉がゆっくりと上がった。


「リアム」


「旅の無事を祈る水だ」


「お酒ね」


「祈りの」


「没収」


「そんなあ!!」


 瓶は、フィールの脇に抱えられた。ロイが声を出さずに肩を震わせていた。


 ベルの荷は、見た目は普通だった。フィールが持ち上げた。


 かさ、と音がした。


 もう一度、振った。かさかさ、と鳴った。


 フィールはベルを見た。ベルは空を見ていた。


「ベル」


「何も入ってないわよ」


 口を開けると、着替えの下から干し果物の袋が出てきた。一つ。二つ。三つ。四つ目は、靴下の中に詰めてあった。


「……テオから、巻き上げたの?」


「もらったのよ!! あの子、二十三個も貯めてたんだから!!」


「二十七だ」


 蓮は帳面から目を上げずに言った。


「昨日までに」


「レンは黙ってて!!」


 フィールは袋を一つだけベルに返した。残りは、馬車の食糧の箱に入れた。


「皆で食べるわ」


「あたしのなのに……」


 最後に、フィールは蓮の荷の前に立った。蓮は帳面を閉じた。


「俺のは、数えてある」


「知っているわ」


 フィールは荷を開けもしなかった。


「あなたの荷で心配なのは、中身じゃないの」


「何」


「数えている所を、見せないこと」


 リアムが噴き出した。


「隊長、それ、キネシス様に言われたやつ」


「向こうの当主様の前で、足音まで数えていたら、追い出されるわ」


「……気をつける」


 蓮は言った。それから、小さな声で付け足した。


「荷は、七つ。椀は五つ。瓶は一本。袋は四つ」


「ほら」


「今のは、数えてない。見えただけだ」


 笑い声が宿舎の前に広がった。ヴァイスまで口の端が動いていた。






 夕方、蓮は市場を一回りした。


 パン屋の老婆は店の前で待っていた。籠が足元に置いてあった。丸いパンが山になっていた。


「持っておいき」


「こんなに」


「遠くへ行くんだろう。当主様のお使いで」


 老婆はにこにこと笑っていた。


「悪魔を砂にしてくださる当主様だ。そのお供なら、うちのパンくらい食べさせなきゃ」


 蓮は籠を受け取った。底をちらりと見た。蔓は三つの向きに編んであった。


「……いい籠ですね」


「だろう? 丸い籠は、三方から編むんだよ」


 老婆は得意そうに言った。


 市場の裏では、荷運びの女が麻袋を積んでいた。蓮を見ると、手を止めて頭を下げた。


「弟がね。当主様が悪魔を討ってくださったって聞いて、安心したって。鳥で知らせてきたよ」


「カルに帰ったんですね」


「ああ。畑に出てるって。よく眠れるってさ」


 女は軽い手つきで袋を担いだ。


「従士さんも気をつけて」


「……はい」


 蓮は礼を言って通り過ぎた。


 よく眠れる。それは良いことだった。良いことのはずだった。

 ヨルの村に来た三体のうち、二体は、東へ逃げた。その先に何があるのかを、あの弟はもう怖がっていなかった。


 宿屋の前まで来た時だった。


「兄ちゃん!!」


 テオが裏口から飛び出してきた。両腕いっぱいに何かを抱えていた。


 糸だった。糸に紙の鳥がずらりと通してあった。


 後ろから、子どもがぞろぞろと出てきた。どの子も、同じように、鳥を通した糸を引きずっていた。

 首の曲がった鳥。尾のない鳥。足のある鳥。羽が、三枚ある鳥。


「これ、馬車につけてくれ!!」


 テオは息を切らせて言った。


「兄ちゃんが前に言ったろ。兄ちゃんのいた所じゃ、鳥をたくさん折って、遠くへ行く奴に持たせるって。無事に帰ってくるようにって」


 蓮は言った覚えがあった。鳥を教えていた裏庭で、何かのついでに、一度だけ。


「千羽、折るんだろ。……千は、無理だった」


 テオは悔しそうに唇を噛んだ。


「三日しかなかったから。三十人で、寝ないで折ったけど」


 蓮は糸を受け取った。軽かった。


 数えた。端から、一羽ずつ。

 子どもたちは黙ってそれを見ていた。数え終わるまで、誰も口をきかなかった。


「三百十二」


 蓮は言った。声が、少しかすれた。


「三百十二羽、ある」


「千じゃない」


「千じゃなくていい」


 蓮はしゃがんだ。テオと同じ目の高さになった。


「俺が数えた中で、いちばん多い」


 テオは目を丸くした。それから、鼻の下をこすった。


「……帰ってきたら、残りを折っとく」


「うん」


「だから、帰ってこいよ。数えに」


「うん」


 羽の三枚ある鳥を持っていた小さな女の子が、蓮の袖を引いた。糸の中の一羽を、指差した。

 羽は二枚だった。


 蓮はその子の頭に手を置いた。


 撫でようとして、手が止まった。


 壇の上の白い柔らかい手を、思い出した。


 それでも、撫でた。


 これは、あの手とは違う。


 そう思いたかった。






 夜明け。館の門の前に、馬車が止まっていた。

 幌の縁に糸が張り渡してあった。三百十二羽の紙の鳥が朝の風に揺れていた。


「……何だ、これ」


 ロイが言った。


「飾りか」


「お守りだ」


 蓮は言った。


「千羽には、六百八十八足りない」


「数えんなって言われたろ」


 リアムが荷台に飛び乗った。荷に入れてきた風車を一本、幌の柱に挿した。

 ベルがその隣によじ登った。ミラ。ロイ。ヴァイス。

 フィールは御者台の横に立った。外套の胸で、銀の徽章が光っていた。


 門の上の壁にキネシスが立っていた。その半歩後ろにギード。


 キネシスは何も言わなかった。右の拳を、左の胸に当てた。

 フィールが同じ礼を返した。蓮も。七人が、順番に。


 馬車が動き出した。


 からからから、と風車が回った。紙の鳥が、一斉に羽を揺らした。


 蓮は荷台の後ろから門を見ていた。壁の上の影が少しずつ小さくなっていった。拳は、まだ胸に当てられたままだった。

 角を曲がるまで、蓮は目を離さなかった。


 それから、帳面を開いた。


 一。回復。


 その横に、日数を書いた。


 四百五十五日目。


 この世界に来てから、数えてきた日の数だった。


 十三の行の、最初の一行だった。


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