門が開く
夜明け前の広場は、空だった。
鐘楼の影が石畳の上に長く伸びていた。軒先の紙の鳥が朝の風に小さく揺れていた。
広場の真ん中にヤヌスが立っていた。砂色の外套は着ていなかった。白い襟の「門」の家の衣だった。
その少し後ろにキネシス。さらに後ろに蓮とフィール。ギードは広場の端の柱の脇にいた。
昨夜のうちにヤヌスが館へ知らせてきた。夜明けに当主が広場へ来ます、と。
知らせなくても済んだことだった。黙って門をくぐって帰ることもできた。それでも、知らせてきた。
「メンタル殿は」
キネシスが低く訊いた。
「分かりません」
ヤヌスは答えた。
「迎えに行く、とだけ」
キネシスの両手は外套の下にあった。
蓮は数え始めていた。門が開いたら何人出てくるか。白い衣がいくつあるか。
東の空が白んだ。
鐘楼の下の空気に。
縦の線が、一本、引かれた。
線が、開いた。
歩み出たのは、一人だった。
背の高い男だった。濃い色の、長い衣。口元に、笑みがあった。
回復の国で、一度見た笑みだった。出てくる前から、ずっとそこに貼りついていたような笑みだった。
「やあ」
男は言った。朝の散歩の途中で知り合いに会ったような声だった。
「キネシス。朝早くに悪いね」
ゲート。
十四人の貴族の一人。世界会議の国の、当主。
蓮はその後ろを見た。門の向こうに白い衣はなかった。
一つ、息を吐いた。
「ゲート殿」
キネシスは拳を胸に当てた。
「知らせもなく」
「知らせたら、君はまた隙間のない段取りを組むだろう? メンタルがずいぶん感心していたよ」
ゲートは笑ったまま広場を見回した。軒先の鳥を見た。それからヤヌスを見た。
白い襟を。紙売りではない立ち方を。キネシスのすぐ前に立っていることを。
「おや」
眉が少し上がった。
「ばれたのかい」
「申し訳ありません」
ヤヌスは頭を下げた。
「四日目に」
「四日。思ったより、持ったね」
ゲートは声を出して笑った。腹を立てている様子はどこにもなかった。
それがかえって冷たかった。
「うちの者が世話になったね、キネシス。紙を売っていただけだろう?」
「良い紙だった」
キネシスは言った。顔は動かなかった。
「値も、良心的だった」
「それは何より」
ゲートの目がキネシスの肩越しに、蓮を見た。笑みは変わらなかった。目だけが少し細くなった。
「君が、数える人か」
蓮は拳を胸に当てた。何も言わなかった。ただの従士は貴族に問われるまで口を開かない。
「紙を折るんだって? 一つ、折ってくれないか。私にも」
蓮はキネシスを見た。キネシスが小さく頷いた。
蓮は懐から紙を出した。昨日ヤヌスにもらった紙だった。
折った。門が開いていられるのは、数十呼吸。蓮はそれを数えながら折った。
十二。
十八。
二十五で鳥ができた。
両手で差し出した。ゲートは、指先でつまみ上げた。朝の光にかざした。
「軽いね」
楽しそうに言った。
「軽くて、中に何も入っていない。それなのに都じゅうの軒先に止まっている。……面白いものを作る」
鳥は長い衣の袖の中に消えた。
「王にも、お見せしよう」
蓮の背中に冷たいものが走った。なぜ冷たいのかは自分でも分からなかった。
「そうそう。用は、もう一つあってね」
ゲートは袖から巻いた紙を出した。封蝋に蓮の見たことのない紋が押してあった。
キネシスの背がわずかに伸びた。
「王からだよ」
ゲートは紙を広げもしなかった。巻いたままキネシスの方へ差し出した。手と手が触れない長さだった。
「悪魔を討った功を、お喜びだ。ついては、『移動』に命ずる。全ての国を巡り、悪魔の出没と、各国の備えを調べて、報せよ、と」
全ての国。
蓮はその言葉を数えた。
十四。
「君の所には、外で戦うのが上手い者たちがいるそうじゃないか。あれを回らせればいい。君が自分で跳んで回っても構わない」
「門は」
「貸せないよ。数に限りがあるからね」
ゲートは肩を竦めた。
「歩いて、跳んで、回りなさい。『移動』の国なんだから」
キネシスは巻紙を受け取った。封蝋を見下ろした。
「……謹んで」
「うん。期待しているよ」
ゲートはもう背を向けかけていた。それから、思い出したように振り返った。
「下級とはいえ、一人で砂にするとはね。先代より、筋がいい」
キネシスの目が一瞬だけ凍った。蓮の位置からそれが見えた。拳が外套の下で握られていた。
「先代に、及ぶものではない」
「謙遜を」
ゲートはヤヌスの肩に手を置いた。親しげな手つきだった。
「さて。帰って聞かせてもらおうか。四日分、全部」
「……はい」
ヤヌスは歩き出した。
門の手前でゲートの目がヤヌスの衣の胸元に落ちた。
襟の合わせ目が少しだけ膨らんでいた。
「それは?」
ヤヌスの足が、止まった。
一呼吸。
蓮には、長い一呼吸に見えた。
「紙です」
ヤヌスは言った。
振り返らなかった。
「売れ残りの」
「ふうん」
ゲートはそれ以上訊かなかった。笑ったまま先に門をくぐった。
ヤヌスが続いた。
門の縁で、一度だけ、肩越しに振り返った。
蓮を見た。
何も、言わなかった。
胸元の膨らみに、手を当てた。
それだけだった。
線が、閉じた。
広場に朝の光が差していた。鐘楼の影が少し短くなっていた。
蓮は帳面を開いた。五頁目。
上に、嘘が五つ。下に、嘘でないものが五つ。
――六つ目は、つきたくありません。
そう言った男が、今、六つ目をついた。相手は蓮ではなかった。
蓮はペンを持ったまま、少し迷った。上の欄か。下の欄か。
迷って、線の下に書いた。
――六つ目。当主に、風車を隠した。
「乗る」
キネシスは言った。
執務室の机の上に、巻紙が広げてあった。フィールが、それを見下ろしていた。
「罠では、ありませんか」
「罠だろう」
キネシスはあっさりと言った。
「あの方は、私たちを国の外へ出したい。端から端まで歩かせたい。なぜかは分からない。見張りたいのか、散らしたいのか、疲れさせたいのか」
指が巻紙の封蝋を叩いた。
「だが、王命だ。断る道はない。なら、こちらの用で回る」
「こちらの、用」
「石だ」
キネシスは蓮を見た。
「ヘルガは昨夜から寝ていない。悪魔の砂が戻った。粉の石ではない石が、また刻める。それを同盟の三家に届ける。届けるだけではない。使い方を、向こうの従士に教える」
蓮は頷いた。
「それから、各国の外れの村を見る。篝火の決まりを同じにする。火が三つなら三体。あれを、国を越えて通じるようにする」
「はい」
「もう一つ」
キネシスの声が少し低くなった。
「国の、端だ」
蓮は息を止めた。
「十四の国はどれも外周の砂漠に面している。どの国の端にも同じものがあるのか。お前の目で見てこい。……私の目では、確かめられない」
フィールが蓮を見た。何の話か分からない顔だった。
蓮はフィールを見返せなかった。
「分かりました」
「段取りはお前が組め。順番。道のり。水。どの国で、誰に会うか」
キネシスは巻紙を巻き直した。
「あの方は、歩かせたつもりでいる。歩いた分だけ、こちらが数えて帰る」
その日の昼、水路の縁で蓮は六人に話した。
「全部の国!?」
リアムが跳ね起きた。
「十四、全部か!?」
「この国を除いて、十三」
「どっちでも同じだろ!!」
ロイが布を巻いた腕を見下ろした。
「治る頃には、どこにいるんだ。俺」
「一つ目は、回復の国にする」
蓮は言った。
「腕は、そこで診てもらえる」
「……段取りがいいな、お前は」
ミラは何も言わなかった。もう、鑿と石を革袋に詰め始めていた。ヴァイスは剣の柄を布で拭いていた。
ベルだけが膝を抱えて唇を尖らせていた。
「水の国も、行くの」
「行く」
「……お養父様に、会うの?」
「会うことになると思う」
「やだなあ」
ベルは水路に小石を蹴り込んだ。
「絶対、怒られる。荷台に隠れて出てきたんだもの」
「一緒に、怒られるよ」
蓮は言った。
ベルはちらりと蓮を見た。耳が少し赤くなった。
「……それなら、いい」
フィールが立ち上がった。皆を見回した。
「出発は、三日後。それまでに、石と、水と、足を整えて」
「おう」
「はい」
返事がばらばらに上がった。
蓮は新しい帳面の、新しい頁を開いた。
いちばん上に、一、と書いた。その下に、二。三。十三まで、数字だけを並べた。数字の横は、まだ空いていた。
水路の石の上に、削った枝が四本残っていた。十二本のうち、使わなかった四本だった。
誰が削ったのかは、数えなくても分かった。
四本とも、同じ太さだった。




