季節はめぐる、道半ば
試食会は大いに盛り上がり、終了時刻は当初の予定を大きく超えた。帰り道はすっかり暗く、片付けを手伝ってくれた綾瀬家、衣縫家一同は少しだけ疲れた顔でその中を歩いていた。
常連さんたちを含め、語れることはもう語り尽くした。今はただその余韻に浸りながら、見慣れた田舎町を歩くだけ。蝉の声が止み蛙の声がそれに代わる中、僕らはさっきまでの賑やかさがまるで嘘のように、ぽつぽつと会話にもならない話をするばかり。
僕は沙織と手を繋ぎ、あやはぐるみと手を繋ぎ。
「結局一番泣いたの、ぬいだったなー」
「だってぇ」
からかうようなあやの声に、ぐるみは恥ずかしそうに身を捩る。けれど繋いだ手を離そうとはせず、甘えるような声は昔のように「妹」を感じさせた。
そんな二人の様子を微笑ましく見守る沙織。繋いだ手の指先が小さく動くと、なんとはなしにそこに力を込めてみる。
「綾人もよく泣いたねー。思わず抱きしめちゃったよ」
「ちょっと恥ずかしいけど、まぁ、ありがとう」
「ああいうのが母性っていうのかなー。好きな人の弱いとこ見ると、っていうの漫画でよくあるけど、実感したね」
「それは……なんとも、コメントに困るけど」
かく言う僕も、今となっては彼女に頭が上がらない。泣いたところを慰められると、泣き止んだ後にどうにもバツの悪い気持ちになるのは、大人も子ども変わらないんだろうなぁ、なんて思う。
あやが泣いている時から、ぐるみももう泣いていたようだった。それから残りのハヤシライスをあやの隣で食べている間、ずっとぐずぐずになるまで泣き続けていて――僕は、僕らは、そんなぐるみが大好きなんだなぁ、なんて改めて認識してみたり。
とにもかくにも、いいイベントだった。最高の試食会だった。参加してくれた誰も彼もが「昔」を懐かしみ、「上巾紡季」に思いを寄せる。大人たちの中にさえ、涙を隠せない人もいたくらいだ。
義母さんの涙を見たのは、いつ以来だろう。僕にとってのお母さんは彼女にとっての妹で、家族を亡くした悲しみに小さいも大きいもないということをつくづく感じた。
今もって拭い切れないものではあるけれど、それでも僕はこうして昔を懐かしんで涙を流せることを、嬉しく思う。
「でもなんかスッキリしたわ。ありがとな、りょーも、沙織も」
「僕も。あやと一緒に食べられてよかった」
「そして私はそれを見たかっただけだしねー。写真も撮った」
「……いつの間に」
「僕も気付かなかった……」
撮りたいとは言ってたけど、実際カメラを構えてるところを見ていなかったものだから。
けれどそれで沙織が喜んでくれるなら是非もなし。今この場にいられるのも、彼女の尽力なくしてはあり得なかったことなのだから。……あり得ない、は言い過ぎにしても、あと何年かかったかわからないのは確かだ。
彼女から受けた恩は返しきれないほど大きいけれど、それを気負わずにいられるのも彼女の魅力。やることなすこと前のめりで、自身がそれを望んでいると見てわかる。
「じゃあ僕、沙織送ってくから」
「おー、気ぃつけて帰れよ」
「またねぇ」
「ばいばーい」
空いた手を振って、僕らは「家族」と違う道を歩き始めた。
僕らの夏は、忙しく忙しなく過ぎていった。
当然ながら時間の大部分は「練習」と「勉強」に費やされた。沙織はテニスの、僕は喫茶店の。それに付随して色々と手広くやっていくと、もはやどこから手を付けていいかわからないほどで。
糸生コーチや店長を始めとして、「何事にも先達はあらまほしき事なり」なんて言葉が身に染みる。
恋人になったばかりの僕らは、それでもそれだけじゃ満足できるはずもなくて、たくさんのイベントをこなしていった。
夏祭り。小さな町の小さな縁日で、僕は去年まで現地に行くことすらなかった。それが今年は、浴衣姿の恋人と一緒にあれを食べてこれで遊んで、人生で一番楽しんだんじゃないかってくらいに楽しんだ。……なんて言ったら、あやとぐるみに悪いか。
今時はおしゃれな屋台もあったりして、わかりやすくテンションを上げる沙織は、動きづらそうな浴衣をひらひらと舞わせながら飛び切りの笑顔を浮かべて。いつもより大人っぽくバレッタで髪をアップにした艶めいたその見た目とのギャップに、僕はすっかりやられてしまった。
テンションの上がった僕らは、神社の裏手の林の中、木陰に隠れて唇を重ねた。汗ばんだ彼女の肌に、なんとはなしに「予感」を見たりして――
もちろんキャンプにも行った。互いの両親の了解の元、同じサイト内の別テントで。前回より少しだけ凝った料理をたらふく食べて、たき火を眺めて。夜になるとやっぱり沙織は僕のテントに潜り込んできて、一晩中語り明かした。いつも以上にくっつきながら、「暑いねー」なんて言いながらお互いまったく離れようとしないまま。
それから少し遠出しては水族館や納涼船なんてものも。
いつもと同じ笑顔、いつもと違うシチュエーション。色んな沙織の表情を見るたびに、もっともっとと好きになっていく。手を繋いで腕を組んで、頬を合わせて唇を重ねて、僕らは少しずつ触れ合うことに慣れていく。慣れていくのに、少しだってその刺激は鈍くならないまま――
関係に少しずつ変化が訪れても、それでもやるべきことを疎かにしない。
暑さが少しずつ和らいでも、いやだからこそ沙織の練習はより熱を帯びていく。夏の炎天下よりも汗の量が増えるくらい、息も絶え絶えになるくらい。ノートやテキストに向かっては、成績優秀な彼女が眉根を寄せるくらい。
聞けば、スポーツ科学なんてものに手を伸ばしているのだとか。テニスに必要な身体機能、様々なプレイスタイルにあった合理的な動き、たくさんの研究を調べ頭に叩き込む。
沙織の、本当の夢を聞いた。
「私ね、プロを育てるようなコーチになりたいの」
一緒に聞いていたあやもぐるみも、そこまで驚いている様子はないようだった。かく言う僕も、「そっか」と、むしろ自分の反応に驚くくらいにあっさりと受け入れていた。彼女は、それが少し不満だったみたいだけど。
「綾人が言ってくれたでしょ? 教えるのうまいねって。本当、うれしかった」
きっかけとしては、「本気になったあや」を見た頃から、というのが本当。
葛木町に来てから、部員たちの面倒を見ることが多くなった。それはそれでと喜んでやっていたものの、いつか朱子君に見せた態度のように、他の興味があればそれも薄れてしまう程度。
それでも、「本気を支える」ことに喜びを見出した。それこそが自分の道だと。
現状この国では、テニスという競技はそこまでメジャーなものではない。「認知度」という点で言えば十分ではあるけれど、興行としても世界におけるレベルとしても、他のメジャー競技と比べればどうしたって一歩劣る印象。それは教育の為でも環境の為でもあるけれど、それはともかくとして。
だからこそ、場を作りたいということだ。
「だから、そんな私をよろしくね。綾人」
僕は、そんな沙織の――「本気の人たち」が羽を休める場所を作れたらな、と思った。セルジュ二号店がそうであったなら、どんなに嬉しいことだろう。
そんな風にして見つめ合う僕らを、あやとぐるみは少し冷めた目で見ていたけれど。
僕らの道はより具体性を帯びて、互いが頑張れば頑張るほど、もっともっとと気持ちが上がる。けれどそれは追い詰められるというようなものでなく、まさに文字通りの切磋琢磨。沙織が上達すれば僕も誇らしく、僕の上達に彼女が喜ぶ。
そういえば、彼女に時折料理やスイーツを振る舞うようになった。基本的にはセルジュのメニューを忠実に、時には僕の好みでアレンジを加えながら。
まだまだ徹さんや店長には遠く及ばないものの、恋人のひいき目にはそれはそれは好評で。
あやもぐるみも、それから朱子君も、それぞれに頑張りたいものを頑張っている。
結局のところ、僕の交友関係はさして広がってはいないけれど――今はもう、他人に対する隔意はない。たくさんのことを沙織と経験して、会話に困るようなことも少なくなった。それはもしかしたら友人と言っても差支えのない人たちなのかもしれないけれど。
僕らは結局、二人で、四人で、そうでなければ五人で。
文化祭で、「セルジュの出張喫茶」を開くことになった。意外なことに、許可を出してくれた店長含め、クラスの誰もそれに反対したりしなかった。調理をあやとぐるみに任せて、僕はコーヒーをひたすらに淹れた。セルジュでだってこんなに淹れることはないんじゃないか、ってくらいに何度も何度も、それでも一杯たりとも手を抜くことなく淹れ続けて。
結果は大盛況。その日からセルジュの客に高校生が増えた、っていうくらいの人気ぶりで。
きっかけとなったあやとぐるみに、僕は頭を下げてお礼を言った。
それはあくまで文化祭で、お金だって原価程度の「喫茶店ごっこ」でしかないのかもしれないけれど……なんとなく、誇らしかった。嬉しかった。
僕はもっと上のレベルで、これをやりたいと改めて思った。
山の木々が色づき始めると、涼しい風がやがて木枯らしに代わり、あっという間にその色を散らしていく。すっかり寂しくなった山々も、踏みしめてみればその土は豊かな実りを予感させる柔らかさに満ちている。
僕らは、二人並んで歩いている。




