僕らの頑張り
メインイベントが控えてるからといって、それまでの日常が「サブイベント」に成り下がるわけじゃない。僕らの日常は確かに将来の為の「過程」ではあるけれど、言うなれば砂山作りの基礎固め。決して無為にしてはならない、貴重な時間の一部分だ。
僕は、そんな沙織の貴重な時間を少し見学することにした。
テニス部の練習風景は、大きく変わってはいない。それでもどことなく、空気が鋭いというか、言葉にするのは難しいけれど。
沙織が本気になり、それ以前にはあややぐるみが本気を知った。部の中でも目立つ彼らがそうなったのだから、部全体がそうなってもおかしくはない。
三人の他、レギュラー争いをしている人たちの熱量は同じくらいに高い。そしてその空気にあてられたように、他の人たちも食いつくように力が入る。具体的に、といわれると返答に困るけれど、例えば移動時間。ラリーを終えて次のコートに移動する時、だらだらと歩く部員が誰もいない。
真夏の炎天下、盆地は標高が高いから涼しいと勘違いしている人がいるが、むしろ暑い。陽射しは肌を焼くようだし、なんといっても空気が動きにくいせいで熱も湿気もたまり放題だ。
僕も、沙織の勧めで日傘を差して見学している。彼女の持ち物だ。
そんな中、一切手を抜くことなくテニスに打ち込む彼らを見ていると、何より先に尊敬が浮かぶ。
もちろん、普段よりも休憩を多めにとってはいるらしい。三十分ほどでぞろぞろとコートを出て行く部員たちの中、三人が僕の座るベンチに向かってきた。
「日傘くれー」
「うん、お疲れ」
ベンチを立った僕に代わり、真ん中に座ったあやに渡すと、どうにもバランスが悪い。黒い日傘は、幕体にあまり近いとかえって暑いとかなんとか。
真ん中にぐるみを据えて、ようやく落ち着いた三人がペットボトルの水を呷る。
「にしても暑いね。日傘から出るだけで肌が」
「ねー。日焼け止め塗ってはいるけど、もうだいぶ黒いよね」
「ねぇ。あーやの美肌がぁ」
「ウチはむしろ焼けた方が健康的に見えるだろ」
確かに三人とも、海に行った時よりも一層焼けて、小麦色といっても差し支えないほどになってきた。前に「これはこれで」といってひんしゅくを買ったけれど、それはあくまで言い方の問題で。素直に「可愛い」と言えば、特に角が立つこともなかったのだ。
いち「女の子」として、三人とも美容にはそれなりに気を遣っているようで。意外にもその中でもあやが特に気を遣っているらしく、この日焼けには色々と思うところはあるだろう。
「どう? って腕を見せると、自然にさらって撫でてくれるのね。あの奥手だった綾人が……と思うと目頭が熱くなるよね」
「それを聞いてウチらにどうしろっつーんだよ」
「でもわかるなぁ。なんか、「染めてやった」感あるよねぇ」
「ぐるみはわかってる! あーやはまぁ、あーやだから」
「んだよ」
なんて心配をよそに、話がよくない方向に向かっていた。どうにか軌道修正を試みようと考えを巡らせていると、ふと練習中に今までと違う光景があったのを思い出した。あまり意識には入ってこなかったものの、今思い返せば、というやつだ。
「そういえば」
と声を上げれば、さも「空気読めよ」と不満顔がかけるさん。だが、負けない。
「裁原先生がスマホ構えてたけど、あれは?」
「あー。覚えてる? あの、糸生とかいうコーチ」
「とかいうって……」
将来的にはお世話になるコーチだろうに、何て言い草だ。
ともあれ裁原先生が構えていたスマホは、部の、正確に言えば沙織の練習をライブで見せているものらしい。もちろん糸生コーチだって暇人じゃないから、週に一度のほんの数十分を割く程度。けれどプロである彼の目から見れば、色々と見えてくるものもあるようで。
「そういや沙織、最近変わったよなー」
「そりゃー変えてるからね。一段上に行くためでもあるし、もっと先のことを見据えてのことでもある」
「そうなんだ。例えば?」
「例えばもなにも、なんでもやるようになったなぁ、って感じかなぁ。前から色々できるけど、もっと色々」
「そーそー。んで、終わった後めちゃくちゃノートつけてるし」
「ふふん」
特段褒められているわけでもなさそうだけど、なぜかドヤ顔の沙織。可愛い。
色々やって、ノートをつける。それはつまり、彼女が言うところの「水をかける」行為に相当する、ように思う。つまり技術の内側裏側にまで意識を向けて、その意図と意味を解析して、身に着けたものを盤石とする行為。
当然、沙織がこれまでずっと続けてきた行為。今はその手を広げている、ということだ。
「それは、プロになるため?」
「うーん……これはまだ誰にも言ってないことなんだけど」
「りょーにもか?」
「誰にもだよ。まー、そうだなー……近いうちに話すよ。今は忙しいからね」
「こっから暇なんてねーだろー、お前は」
「海行けるくらいなんだから、話する時間くらい作れるよー」
プロになる、というのはもちろん険しい道で、僕には想像できないくらいに「大きな砂山」が必要になるんだろう。それでも沙織の気軽な態度はそれをまるで感じさせないようで、その積み重ねに必要なものをわかっているかのようだ。
器用に何でもこなすけど、それしか見えなくなる不器用。ちぐはぐで、でも一途で、そういう沙織が、「プロを目指す」以外に目指すもの――
「おっと、そろそろ戻らなきゃ。じゃあ綾人、またねー」
「うん。少ししたらバイト行くから」
「あいよー。帰り寄ろうかなー」
「あ、じゃあわたしもぉ」
「ウチパスな」
「もー、そろそろ行ってもいいのにー」
「うるせー」
店長から色々と話を聞くことが増えた。喫茶店経営におけるあれこれが主だったものだけど、その中で特に「僕の行動」を変えた助言がある。
その土地の店に入って、客層とその傾向をよく見ろ、というものだ。当然一日入ったところで傾向なんて見えるわけもなく、行くなら一週間通して行くべきだとも。できるなら季節ごとに。
というわけで、手始めに郡浜の喫茶店に行くようになった。
立地。駅からの距離だとか、近くに何があるかだとか、それは来てくれる客層を想定する重要な要素だ。
立地に応じては外観や内装も。町の調和を乱さず、けれど存在感を示さなくてはいけない。外から見えるのは店内のどの程度か? それによる効果は。席ごとの間隔はどうか、息苦しさはないか、かつ閑散とはしていないか。
では客層は? 男性が多いのか女性が多いのか、子どもが多いのか大人が多いのかあるいは老人か。
客層ごとに注文されるドリンクやフードの傾向も。
季節や、もっと言えば曜日によってさえ客層とその注文の傾向は変わる。店ごとに、どこにアプローチするのが正しいのか。
一つ一つ、考えながら通うのだ。断じて、一緒に通う沙織に夢中になってはいけない。
「お、今度は高校生カップル。私たちとおんなじだねー」
「……そうだね」
「どしたどしたー、もっと分析してこー」
「いや、沙織の方が乗り気だなと思って」
喫茶店に通いたい、と彼女に言えば、じゃあ私もとなるのは当然の流れ。その目的を話せば、じゃあ私もとなるのもまた、当然の流れであった。
「だって楽しいよね、こういうの。キョロキョロしてて不審者過ぎて笑う」
「楽しいかなぁ、それ」
当然ながら分析するのに声は落としているけれど、どうしたってキョロキョロしてしまうのは避けられない。見渡しやすいよう端の席を陣取ってはいても、それにだって限界はある。
例えばこの店は、少しシックなレンガ調の内外装。客層としては大人の男女が多く、出てくるのもシンプルなコーヒーやちょっとした軽食が多い。仕事の休憩等で利用されるイメージだろうか。
ついさっき入った高校生カップルだって、僕らが入ってからいつ以来の若者だ、っていうくらいのもので。
「ほんの数軒先の店は若者に大人気だったよねー。ほんと、ちょっと違うだけで全然違う」
「だねぇ。余計わかんなくなりそう」
「がんばれがんばれ。私も協力するし、なんならデートの八割喫茶店でもいいよ?」
「それはさすがに公私混同過ぎるでしょ。僕だって、沙織ともっと色々行きたいし」
「よく言った。すき」
「……ありがとう」
ダメだ駄目だ、沙織に夢中になってはいけない。とはいうものの、やっぱり僕も彼女が好きなわけで。
彼女の協力もあって、それでも分析は思ったより順調に進んでいく。たったの数軒回っただけで、大学ノートのページがあっという間に埋まるくらいだ。
とはいうものの。分析というのは、ただ情報を書き連ねることじゃない。その情報を元に、答えを導き出さなくちゃならない。
それは沙織に頼ってはいけない部分で、かつそれが自然にできるようにまでならなくちゃ意味がないことでもある。
とにかく場数、けれどお金も貯めなくちゃならない。ジレンマだ。
「まー、たくさんデート行けばあっという間よ。いつでも付き合うからね、練習の合間に」
「うん。逆にテニスに関しては手伝えることなさ過ぎて、申し訳ないけど」
「いや、それに関してなんだけど、練習に付き合ってくれると嬉しいかも」
「え、でも」
「打ち合いだけじゃなくて球出しとか色々。綾人がやっぱり、一番頼りやすいし」
「……わかった」
心配はどれだけ重ねても尽きることはないけれど、こうして一緒に頑張っていけるなら、少なくとも気力が尽きることはなさそうだ。
こうして僕らは、毎日を謳歌している。
――ある日の夜、あやとぐるみが部屋で遊んでいる時に、チラシを渡した。「そーか」とだけ呟くように言ったあやに、僕は「待ってる」とだけ返して部屋を出た。
試食会の日が、やってきた。




