遊んでいる暇
日焼け止めを塗り終えた僕らは、持ち寄った浮輪等々をポンプを使って膨らませ、早速海へと繰り出した。
そこそこの人手、とはいうものの、それでも真夏の海水浴場は僕らにとって「人ごみ」と称するのに違和感はない。なんといっても、全校集会で集まる生徒の数より、今この場にいる人の数の方が多いんだから。郡浜の駅前とどっちが多いかな、なんて考えて、考えたところで沙織に手を引かれた。
手を繋いだまま、波打ち際へ一歩。打ち寄せる波が足元を濡らした。
「おー、ぬるい」
「まだ波打ち際だからね」
僕らは海水浴そのものが久しぶりで、だからその感覚さえも新鮮だ。足に張り付く砂粒が流されて、それでも足の指の間にざらざらと少しだけ残る。
ざばざばと歩を進めていくあやと、それについていくぐるみと朱子君を、手を繋いで後ろから見る。
「水掛け合いって漫画とかだとよく見るけど、やる?」
「まぁ、実際ちらほらやってる人もいるしね」
「……やる? って言ってやるもんじゃないよね」
「うん。なんか、もう機を逸した感がすごい」
「言ってる場合あーや達やり始めちゃってるしね」
見れば、あやが朱子君にかけるのを皮切りにわーきゃーとはしゃぎながら実に楽しそうだ。おかしいな、僕も沙織も、それなりにテンション上げて海に入ったつもりだったんだけど。
でも、手を繋いでちゃあそれもできない。当たり前のことで、僕らはその繋いだ手を見て笑い合った。
「とりあえず、もうちょっと深いとこ行こ」
「うん」
そしてそれを離さないまま、波に打たれながら足を進める。それにつれて徐々に海水温が下がっていって、陽の熱さに心地良い涼感を与えてくれた。
膨らませてきた浮輪に沙織が頭と脚を乗せ、ぷかぷかと波に揺れる。僕はその縁を持って、少しだけ沖に向かって泳ぎ始めた。
僕も子どもの頃はたくさん川遊びをした。流れの速い中での泳ぎは、むしろ一般的には得意な方だ。もちろんブランクはあるし、体力的にも昔のようにはいかないけれど。
つま先立ちなら底につく、程度の深さ。僕はその辺りで止まって、浮輪に乗り上げるように肘を乗せた。それなりに大きな浮輪だから、多少傾きはするものの沈むまでには至らない。波が寄せるたびに光が揺れて、沙織の顔をきらきらと彩る。
なんとなく、首から下を見るのがはばかられる。自然と僕は彼女の顔を見て、ああ、自然にこうできるようになったんだなぁと感慨深くなった。
見すぎるほどに僕の目を見る、彼女の瞳。僕は少しも後れず、それを見つめる。
ふわりと笑った沙織が、首を休めるように空を仰いだ。
「はー、結局これが一番楽しい気がする」
「楽しい、っていうとちょっと違う気もするけど」
「恋人感あるくない? 距離近いし」
「それは確かに」
視線を下ろせば沙織のお腹が。わずかに水に沈んでいて、揺れる水面の奥、引き締まったそれが、ぷくぅと膨れ上がった。
「……こういう時って凹ませるものと思ってた」
「凹ませるとあばら浮き出てちょっといや」
「わからなくもないけど」
日焼け止めを塗った時のことを思い出す。その肌の滑らかさ、しなやかさ、ハリ――女性らしさ。少し視線を上げて、上げようとして、一つ飛ばして顔に戻った。
「……むっつり」
「いや、うん……まぁ、ごめん」
「大丈夫大丈夫。むしろ恋人として、そっち方面あんまり枯れてても心配するし」
「……やめよう、この話題」
「……合流しよっか」
もちろんこの手の話題は、恋人になった以上は避けて通れない道ではないんだろうけど。
絶対に、今じゃない。
夏は人を解放的にする、なんて言うけれど。僕らも知らず知らずそうなっていたのかもしれない。そう思わせる「妙な気まずさ」を、三人に合流するまでのひと泳ぎでひとまず忘れることにして。
合流した先、同じく大きな浮輪に頭と脚を乗せてくつろぐぐるみの上で、あやがぐるみの「それ」を枕にしてくつろいでいるものだから。
横で先に気付いた朱子君を「しー」とジェスチャーで黙らせ、沙織と二人でその浮輪ごとひっくり返してやるのであった。
完全な逆恨みだけど、そこからまたテンションを上げて遊ぶきっかけになったので、まぁよしとしておこう。
腰辺りまでの浅瀬でビーチボール遊び、運動部らしくガチ泳ぎ、砂遊び――海水浴の定番どころをいくつか遊んだ後、僕らは一旦シャワーを浴びてからラッシュガードを羽織り、海の家に集まった。飲み物に食べ物、どれをとっても普通じゃ考えられないその値段に驚くのもまた「ド定番」。
テンションの赴くまま、好きなものを頼むのもまた一興。それぞれ一品ずつ買った後、空いたテーブルに広げて好きにつまむスタイルになった。並ぶのはカレーに焼きそば、お好み焼きにイカ焼きに焼き蛤。値段はまちまちだけど、そこは選んだ人の懐次第というようなもので。
「やっぱ焼きそばだよなー、こういうとこ来たら」
「あーや、青のり」
「んぐ……後でいーだろ」
かいがいしくあやの世話を焼くぐるみに、沙織が蛤を頬張りながら呆れた目を向けている。
「綾人、私達には」
「え、うん」
一転、隣に座る僕の方に向き直り真剣な表情の彼女は、串に刺さったイカ焼きに頭からかぶりついた。呆れた目を隠せない僕と他三名を余所に、お行儀よくゆっくりと咀嚼して、飲み込む。
一緒に買ったウーロン茶を飲み、ため息一つ。
「遊んでいる暇はないんだ」
突然また何を血迷ったことを言い出すのかと、あるいはツッコミ待ちなのかと僕は目を白黒とさせる。けれど、彼女の顔は真剣そのもので、それが余計にシュールで笑いを誘う。
当然のことながら、彼女の言葉には一理どころか三理くらいはありそうなくらいには真実がある。
何しろ僕らには、それなりに大きな夢があるわけだ。プロのテニス選手になるということと喫茶店を開くことが同等とは思わないけれど、「身の丈」を思えばそれもそれなりに大きなものだという自覚がある。
知識に経験、技術に資格。色々と必要なものはあるけれど、何より必要なものがある。
――お金である。
よくある失敗の一つに、開業に資金を使い果たして、当面の運転資金が足りなくなるというものがあるらしい。開業費用だけでも相当なものだというのに、それに加えて諸々勘案すれば、とてもじゃないけれどバイトなんかで賄えるものじゃない。高校、あるいはその進学先卒業後それなりの時間を働かなくてはならない。
その上に勉強に修行に、やることは山積み。遊んでる暇もないとはこのことだ。
……なんだけど、水着姿でイカ焼きを頬張る沙織が、海水浴に来ている今このタイミングでそれを言い出すのが。
素直に言いたい。
「……なんで?」
「おもいつき」
「……そっか」
思い付きなら仕方ない。
水を差した形にはなるけれど、なんというか、あや達が逆に盛り上がり始めてるからそれもいいかと思ってしまう。「なんで説教してんだよ」と笑うあやに、ぐるみと朱子君が堪えたような笑いで続く。
「いやー、なんか座って落ち着いたら我に返っちゃった」
「にしてもだよ」
「楽しければ楽しいほど気になってしまう。本気と書いてマジと読むあの時代を思い出すわけよ」
「まぁ、僕ももっとバイト入って店長と徹さんから色々教わらなきゃとは思ってるけどね」
真面目くさった話をこんなところで始める僕らに、三人は意外にも好意的だった。
「さーちゃんプロになるんだってぇ」
「マジすか。……目標ってことすよね?」
「だなー。りょーはりょーでセルジュ二号店がどうのとか言ってるし」
「はー。壮大っすねー」
「……壮大か?」
「わたしはすごいなぁって思うよぉ」
「いやまぁ、すごいはすごいんだけど」
僕は知っている。「昔気質」な家に育ったあやの夢が、「良妻賢母」であることを。
さておき思い直してみれば、こういう場所で「夢」を語るのも、立派に「青春してる」ような気がしてくるもので。僕らは予想外にその話題で盛り上がってしまうのだ。
「わたし、洋裁関係がやっぱり気になるんだよねぇ」
「趣味の延長かー。それ仕事にするっていいん?」
「それもあるけど、やっぱり好きだからぁ」
「まーぐるみはなんだかんだ根性あるからなー」
例えば昔からの趣味であったり、これまで本気で取り組んできたこと、それから「好きだった人」の「好きだった場所」なんてものも。
夢のきっかけなんていうものは人それぞれで、結局のところそれも「きっかけ」に過ぎないもの。
「朱子はなんかあんの?」
「まだ進路すら考えてないっすよ。正直、……怒らないで聞いて欲しいんすけど、こんな田舎で何すんだ、とか思ってたクチすから」
「怒らねーよ。実際反論できねーし」
きっかけというのは、出会いだと思う。どこでどう暮らしているか、だけじゃなくて、運も多分に絡んでくる。一生それに出会えないこともある、なんてほど他人を知らないけれど。
「図らずも盛り上がってしまった。これもまた人徳」
「……沙織といると飽きないよね」
「でしょー?」
「どう考えても褒めてねーだろ今の」
「そうなの?」
「……まぁ、いい意味で」
「だよねー」
「お似合いだよお前ら」
こうして海に来てテーブルを囲んで、夢について語り合えるような友達に恵まれた。それもあの日、ただ沙織を助けられたというそれだけをきっかけに。
僕は運がいい。
遊んでいる暇なんてないのに、こうして遊びに来られたことがその何よりの証明である気がする。なんて、もうそんなエモい空気は消えかかってしまってはいるけれど。
食べ終わったらもうひと騒ぎだ、とカレーを頬張るあやに、朱子君がお好み焼きでそれに続く。各々食べるペースを速めると、あっという間にテーブルの食器は空になっていって――
僕らはまた、海へと繰り出すのだった。




