夏はやっぱり
盆地に住む僕らにとって、海というのは縁遠い場所だ。水場といえば川であり、泳ぐほどの深さがあるとなるとそれさえ限られる。そして山に囲まれているという性質上、どうしたって海というのは遠くなりがちだ。
である以上、「海に行く」となると自然と遠出になってしまう。
電車を乗り継ぐこと数時間。五人もいれば退屈も早々ないものの、それでも気疲れを感じてしまうくらいの時間。
けれどこの瞬間だけで疲れも吹き飛ぶ。
車窓から海が見えた瞬間、僕らの間に感嘆の声が上がった。揃いもそろって海になじみがないものだから、その感動も一入だ。生まれてこの方、海に行ったことなんて数えるほど。テニス一筋だった沙織もそうらしい。
朱子君だけは、中学時代から結構行っていたらしいけれど。
ともあれ今回のメンバーは僕と沙織、あやとぐるみ、それから朱子君。僕ら二人だけで行く、なんて案も出てはいたけれど、せっかくの遠出イベント、大人数ではしゃがないともったいないということだ。
車窓から見える景色は、まるで全部が輝いているようだ。青い空も心なしかいつもより深く見えるし、流れる真っ白い雲、きらめく波が風の流れすら感じさせてくれる。まだ海水浴場までは距離があるせいか、長く伸びる白い砂浜は日光を反射した鏡のようだ。
快適な車内からも、その熱気が感じられる。
「テンション上がるわー。いつぶりだ?」
「四年くらいかなぁ。去年はさーちゃんと一緒に川だったねぇ」
「私がむしろ川遊びがいいってねー。実は海もそんな行ってないんだけど」
夏になってすっかり薄着の三人衆。座席に座って上半身だけ車窓に振り返り、はしゃぐその声は心なしかいつもより高い。
けれどやっぱり、なんといっても海といえば「熱」に「潮風」、「水」に「光」だ。そのどれもが、電車内じゃあすべてを感じられない。
電車から降りたその瞬間、吹き付ける風に混じる潮の匂い。くらりとするくらいに眩い陽光。海はまた視界からなくなっているのに、その肌と鼻に目に、その存在感を覚えられる。
僕らは駆け出したくなるくらいの高揚感を手に、海水浴場へ歩を進めた。
海水浴場は意外にもそこそこの人手程度で、泳ぐにも砂浜で休むにも、スペースに困ることはなさそうだった。とはいえそこかしこにカラフルなパラソルが立ち、色とりどりのシートが敷かれ、きれいな砂浜を鮮やかに彩っている。浮き輪やボール、ボート等は深い青色の中散り散りになっていて、波に合わせてゆらゆらと揺れる様はなんだか鍋の中の野菜を思わせる。
防波堤に並んでそれを眺める僕ら。漫画でよく見る構図だ。日傘を差した女子勢が、今一度の感嘆を上げる。
「海だー、って叫ぶべき?」
「好きにしたらいいと思う」
「あーや、弟が冷たい」
「知らねーよ」
僕らはとりあえずスニーカーからビーチサンダルに履き替え、砂浜に降りた。
なんといってもその熱さ。ビーチサンダルの上に上がってくるわずかな砂粒さえ、「温かさ」を感じる熱を持つ。上からは容赦ないほどの陽光が、肌をチリチリと炙るように降り注ぐ。海側から拭く潮風さえ、慰めにすらならずむしろ助長するようだ。
「じゃ、着替えるか」
「水着新調したんだよねー。三人で買いに行った」
「楽しみだねぇ」
沙織の面白がるような発言に、改めて初めて見る彼女の水着姿に胸が高鳴る。あややぐるみのだって、もう何年見ていないやら。
朱子君はといえば、「楽しみっすねー」とあくまでも余裕の態度。そりゃあ、海に何度も来ていれば、女子の水着姿なんて見慣れたものだろうけど。
なんて思ってたら、更衣室では妙にテンションがハイになった朱子君がそこにいた。
「学年違うすから、学校指定のすら見ることないんすよね。まさかこんな早くチャンスが来るとか」
「まぁ、あの時僕に話しかけてくれたのが朱子君だったから」
「じゃんけん負けただけなんすけどねー」
「……罰ゲームなのね」
「いや、知らない先輩に話しかけるってことがっすよ。今となったら、それもよかったと思ってるす」
後輩にそうやってフォローされている自分を情けなく思いつつ、やっぱりいい子だなぁと胸が温かくなる。
さておき彼がテンションを上げているのは間違いなくあやの水着姿、なんだろうけれど。
彼女のことを好きだ、という事実を知った時とはまた違う、妙な居心地の悪さ。あやもまた、沙織からそういう話を聞いてこういう気分になったりしてるんだろうか。
もちろん朱子君は、僕の前でそういう「がっついた」様子を見せてはいない。あくまでもあやの新しい一面を見るチャンス、というスタンスにも見える。
僕はどうだろう? 沙織の水着姿を見られるとなって、その「楽しみ」を分析するなら?
少し考えて、やめた。
「……男の水着って、変わり映えしないっすよねー」
「まぁ、一応色々あるんだろうけどね」
ボクサータイプだのスパッツタイプだの、水着コーナーには確かに色々と選択肢はあったけれど、海に行こうとなって選ぶのは大体の人がいわゆるサーフ型と呼ばれるもの。場所が変われば選択肢も変わるんだろうけど、僕もさして迷うことなくそれを選んだ。
さておき重要なのはそれが似合うかどうか。程よく筋肉のついた長身の朱子君は、サーフ型の緩さも「ダボっとした」感がなくてむしろスマートに見える。かく言う僕はといえば、それと比較したせいなのか妙にその緩さが気になってきてしまう。
隠すようにラッシュガードを着れば、どうにも朱子君にそれを悟られてしまったようだ。
「似合うっす、だいじょうぶっす」
「ありがとう、朱子君もね」
「っす」
着替えを終えた僕らは、荷物を持ってビーチに戻った。
男の着替えが早いのは当たり前。更衣室、海の家からほど近い場所を確保できた僕らは、ひとまず鞄から「ビーチテント」を取り出して浜に広げた。砂浜用のテントは布一枚の構成で、砂が入り込んでも後始末がしやすいようになっているらしい。僕らがまだ小さい頃、綾瀬家と衣縫家で一張ずつ買ったものだ。
一張もあれば十分、ということで綾瀬家にあったものを持ってきた。なるほど荷物を置いて一人二人休む分には十分な広さがあるようだ。
僕らは並んでそのフロア面に座り、ぼうっと三人を待つ。
「いっすねーこれ」
「だねぇ。陽射し避けるだけでだいぶ涼しい」
「俺も買おうかな、ダチとまた来るかもしれないし」
「友達同士でお金出し合ってもいいかもね」
「っすねー」
すっかり落ち着いたテンションで、「駄弁る」という言葉のまさにふさわしい雑談を重ねること数分。テント前に立つ三組の脚が、僕らの方へ向けられていた。
「おまたせー」
「入るぞー」
「五人は無理だって」
「荷物外に出せばいけるよぉ」
ぐるみに請われて荷物を出すと、三人が膝をついてぞろぞろとテントに入ってきた。それぞれがラッシュガードを着ているから、まだまだ水着のお披露目とまではいかないまでも――それでもやっぱり、いつもと違う姿に、少し高鳴る。
沙織はバイトの時のようなお団子に。ぐるみは緩めのポニーテールに。あやは元々が短めだからさほど変わりはないものの――
健康的な脚が、僕のそれと並ぶように伸ばされた。ビキニショーツの沙織は、そのほとんどが露出していて、目のやり場に困る。
「暑かったー。さっさと日焼け止め塗っちゃわないと」
「僕も。すぐ痛くなるしかゆくなるし」
「っぽいわー。私塗ったげるね」
「ありがとう」
「私のも塗るんだからなー」
「……頑張る」
隣では、既にあやとぐるみがきゃーきゃー言いながら塗り合いを始めていた。ラッシュガードは乱暴に脱ぎ散らかして、僕の知らないうちに既に水着姿だ。
あやはキャミソールにキュロット。ぐるみは左右の分かれていない、名前は何て言うのか知らないけれどフレアのついたトップにショートパンツ。
やっぱり子どもの頃とは違う、随分大人っぽくなった印象の。
「……おい、彼女を差し置いて余所見過ぎだぞ」
「ごめん、つい」
彼女が「日焼け止め」を煽るものだから、意識を逸らそうとしたんだけど。そもそも意識を逸らすな、っていう話だよね、わかります。
ラッシュガードを脱いだ沙織のトップは、いわゆるクロスビキニとか呼ばれるものだとか。二人のものより少しばかり大胆な露出で、「どや」とでも言わんばかりの彼女の微笑みはどこか煽るようで。
「……すごい、かわいい」
「でしょー。彼氏ができたってなると、ちょっと張り切っちゃうよねー」
「光栄です」
「じゃ、背中の方お願いね」
手渡された日焼け止めは、パッケージを見るだけで「いいもの」だとわかるようなものだ。露わになった彼女の背中に、視線をさまよわせてみる。
考えてみれば、手以外の肌に触れるという経験が、僕にはほとんどないということに気付く。
そういえば風邪を引いた日に、彼女は僕の汗を献身的に拭いてくれたっけ。必要なことなら、照れてる場合じゃないんだろうな――なんて、現実逃避のように思ってはみるけれど。
どうしてか、夏休み直前のHRで担任から言われた言葉が甦る。高校二年の夏休み、そろそろ受験を意識しなきゃいけない大事な時期。
もちろん僕にだって無関係じゃない。店長からも、勉強しなきゃいけないことはまだまだあると言われている。進学だって考えるべきだと。
僕は、煩悩に支配されている。




