表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
50/54

楽しいテニス入門





 今回レンタルしたコートは、郡浜駅からバスに乗って二十分ほど、さらにそこから歩いて十分ほどのところにあった。それぞれが独立した形で金網に囲まれた四コートが一列に並び、その手前に受付の建物が建っている。


 僕らは受付を済ませると、その建物内にある更衣室に男女それぞれ入っていった。そこまで広くはないけれど清潔に保たれたロッカールーム。


 朱子君と二人きり、というシチュエーションに若干の緊張を覚えないでもないけれど。そろそろ男友達をと彼を誘ったのは僕であり、そこに遠慮してしまうのも無責任な話だ。


 だったらまずは言うべきことがある。


「今日、来てくれてありがとう」

「いや全然。むしろこっちがお礼言いたいくらいっすよ」


 着替えを始めて、それでもこっちを見ながらの笑顔は、同性の僕が惚れ惚れしそうなくらいだ。


 あやという想い人を抜きにしても、沙織やぐるみもテニス部一年にとっては「憧れの先輩」枠。みんなを引っ張る面倒見のいいあや、屈指の実力者で的確な指導もできる沙織、ひたすらに優しく色々な意味で視野の広いぐるみ。


 僕があやの義弟じゃなければ、ぐるみの幼馴染じゃなければ、たぶんこうはなっていなかった。でも僕はあやの義弟で、ぐるみの幼馴染だ。「でなければ」なんて前提、考えるだけ無駄な話。


「なんつーか、こう、華やかーっていうか。いいっすよね」

「わかる。二人に関しては昔から知ってるから、あんまりそういう認識なかったけど、改めて考えるとね」

「やっぱり、昔からあんな感じだったんすか?」

「そう大きくは変わってないと思う。たぶん」

「曖昧っすね」


 何しろ疎遠だった時期も長く、こうして「仲直り」した今も「昔のように」とはいかない。あるいはだからこそなんだろう、子どもの頃の印象を少し引きずりがちだ。


 鞄から取り出すのは学校のジャージ、ではなくて、よくある普通のスポーツウェア。上下黒のハーフパンツにTシャツで、朱子君との違いは色と開襟シャツくらいのもの。なのにどうしてだろう、彼のそれはとてもスマートで、きれいに見える。


 劣等感とまでは言わないまでも、少しばかりの気恥ずかしさを覚えながら更衣室を出てロビーへ。


 男の着替えなんてすぐに済むから、どうしたって待つことになるのは覚悟していた。けれど、三人が現れたのはそれからわずか数分ばかりの頃だった。


 学校のジャージ、ではなく、よくある普通のスポーツウェア。朱子君と同じく、やっぱり僕が着るのとはずいぶん印象が変わる。


「ラケットのレンタルできるって言ったけど、綾人の分は私持ってきたから。コート入ったら渡すね」

「うん、ありがとう」

「ボールはそれぞれいくつかずつ持ってきたから、それで十分なはず。とりあえず移動しよっか」


 ぞろぞろとコート側の出入口から出ると、それまでも聞こえていたはずの打球音が途端に大きく感じた。ここまで来るとさすがに、「テニスをしにきた」という実感が出てくる。


「なんかちょっと緊張する」

「別にうまくやる必要ねーぞ? 何球でもホームランすりゃーいーんだよ」

「そぉそぉ。わたしもいっぱいやった」

「俺なんかいまだにやりますよ」

「あったかいなぁ」


 よくよく見れば、コートを囲う金網の上、空を覆うようにネットが掛けられている。ボールが紛失しないよう、周囲の住宅に迷惑が掛からないよう、考えてみれば当たり前の措置だ。


「怯えてネットよりホームランの方がいいよ。ガンガン振ってこう」

「そうしてみる」


 皆が言うなら、沙織が言うなら間違いない。


 コートには審判台に加え、屋根付きのベンチまで設置されていた。各々水筒やタオルをそこに置き、早速コートへ入っていく。


 準備運動を軽く済ませたら、まずはクロスラリーからということになった。理由がいくつかあって、まずは距離が長くてアウトになりづらいということ。もう一つは、ボールが通るネット中央部分は両端より少し低くなっているため、ネットもしづらいのだとか。


 もちろんだからこその難しさもあるけれど、そこはまだ考えないようにしながら。


「おっと、いいもの持ってきたんだった」


 と、沙織がポケットから取り出したのは、耳の軟骨部分を挟み込むタイプの、いわゆるイヤーカフ型のイヤホン。それを僕に手渡し、スマホと同期するように言った。


 どうやらマイクもついているらしく、スマホそのものはベンチに置いておけばいいらしい。


「あーやたちは声出せるけど、綾人そういうのまだ苦手でしょ? 私とこれでお話しながらやろう」

「……いいの?」

「いいよー、安いやつだし。何なら後でお金ちょーだいね」

「わかった。ありがとう」


 確かに、大声でコミュニケーションをとるなんて、もう随分やっていない。はっきり言って、苦手だ。


 スマホと同期させて、片耳だけつけて、ひとまずコートの受付側、右端に立った。左端には朱子君、その対角にあや。ぐるみはベンチでひとまず交代待ちだ。


「聞こえる―?」

「うん。耳がくすぐったい」

「ふー」

「やめて」


 そもそもイヤホンのマイクじゃ吐息は拾わないよ。惜しい、と思ってしまった自分は、もうすっかり沙織にやられて(・・・・)しまってるんだなぁと実感する。毒されてる、と言ってもいい。


 隣は早々に打ち合いを始めて、リズムよく快音を響かせている。


「じゃーボール出しからやってみて。どのくらい飛ぶのかなーって、様子見的な」

「いくよ」


 左手に持ったボールを右側に構え、ラケットを軽く引く。ボールを落として、ラケットを振る。


 ビビッてネットが一番だめ、という沙織の言葉を信じて振った。それから、以前彼女の家の庭でやった時に言われた、ラケットは垂直くらいでいいという言葉も。


 それでも、思った以上にボールは飛んだ。テニス部員たちのように鋭いものではなく、ふらふらと頼りない軌道で、ちょうど沙織の頭上を越えるくらいに。


 あ、と声を出すも、沙織はノーバンでそれをあっさりと打ち返した。ふわりと優しく弧を描き、サービスラインを踏むようにバウンドして、ちょうど僕の手元に帰ってくる。


 僕はそれを、さっきよりも面を伏せてそれを打ち返す。


 ボールはあえなくネットにかかり、力なくコート上に落ちた。


「さっきの感じでいいよ。持ち上げるんじゃなくて、こすり上げる感じにしてみて」

「うん」


 耳にかかる沙織の声が、「いちいち落ち込まなくていいよ」と言ってくれてるみたいだ。彼女のアドバイスは的確で、僕は確かに「ボールを持ち上げなきゃ」と思って振っていた。


 一目見ただけで僕の問題点を洗い出せる。よくよく相手を見て試合を組み立てる彼女だから、そういうスキルに長けてるんだろうと思う。


 それから僕は、何度も失敗を重ねながら沙織とボールを打ち合った。


「バックむずいね」

「ねー。最初はもう、軸足に乗っかったまま打ってみてもいいかもね」


「なんかコントロール安定しないなー」

「打つ瞬間までボールを見よう。私のこと気になるのはわかるけどねー」


 彼女のアドバイスは、僕の打球を一つずつ確実に良くしてくれた。もちろんまだまだ、朱子君の足元にも及ばない。でも二球、三球とラリーが一つ伸びるたび、確かな達成感が胸に来る。


 朱子君の相手があやからぐるみに変わり、少しだけのびのびと打っているのに気付く。「もっと攻めていいよぉ」と、彼女らしからぬ大きな声が響く。


「相手のペースに合わせちゃう辺り、朱子君もまだまだ初心者ってことだね」

「なるほど」

「どんなテンポになっても、自分のリズムで打つべし。これ大事」

「って、まだ僕には早いアドバイスだなぁ」

「いやいや、これはもうどの段階の人にも意識してもらいたい言葉だね」


 再び「なるほど」と呟いて、僕はまた沙織に向かってボールを打った。


 これまで何度アウトしたか、何度ネットしたか。ポケットからボールがなくなるたびに拾い直して、それを何度繰り返したか。いまだに沙織のミスは一度もない。


 でも、居たたまれなさも申し訳なさも感じない。そんなものを感じてしまう方が、彼女をがっかりさせると知っている。


「うん、でも、楽しいね」

「でしょー? いいボール行くと、気持ちいいしね」

「それはほんとそう。ラケットの真ん中に当たった時の感触もめっちゃいい」

「わかるー。音も全然違うもん」


 初心者の楽しみに、沙織が嬉しそうに共感してくれる。当然ながら彼女も通ってきた道で、そこには実感が多分に含まれていて――


 沙織が自分でコーヒーを淹れていた時、僕が感じたこと。たぶん、似てるんだと思う。


 僕は彼女ほど教えるのが上手くないけれど、今ならもう少し、寄り添ったアドバイスができそうだ。


「うーん、上達早い。そろそろみんなと合流してやろっか? せっかくみんなで来てるんだし」

「そう、してみよっかな。あやとか容赦なさそうだけど」

「聞こえてんぞ」

「……ごめん」


 運動中だからか、声の調整がバカ(・・)になってたらしい。そんな僕を、みんなが小さく笑っていた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ