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みんな、かわっていく





 それから階段を下りるまで、どこか甘ったるくてどこか気恥ずかしい、温かな空気感を楽しんだ。


 けれどそれも束の間のこと。リビングにはご両親がいて、さすがにそこまで引きずるわけにもいかない。


 ご両親に「これで」と挨拶をしようとしたところで、沙織が僕の手を取った。「何を」と抗議する前に、その手を強調するように前に着きだし、彼女は実に堂々と宣言する。


「付き合うことになった!」

「あら、おめでとう」

「……そうか」


 ぎょっとする僕に対してご両親の反応と言えば、至極あっさりとしたもので、それこそ拍子抜けするくらいだった。いやまぁ、こんな時間に友達を帰して一人残らせるんだから、ある程度の仲なんだろうとは想像できるんだろうけど。


 それにしたって、冷静過ぎやしないか。大人ってこういうものなんだろうか。これが自分のクラスだったら、ちょっとした騒ぎになったっておかしくない――そんな想像に難くない光景に、少しだけ身震いをしながら。


「私が送るよ」


 と立ち上がったお父さんに、僕はひきつった笑みで感謝を告げた。沙織は、ついてきてはくれないらしい。




 と、いうわけで。


 彼女(・・)の父親と、付き合った初日に二人きりのドライブである。


 どんな状況だ。こんな状況だ。気まずいとかそういう次元じゃない。僕はただただ前を見て、高そうな車のハイビームに照らされた我が町の景色に集中することしかできなかった。


 エンジン音がやけに響く。車なら、我が家まではほんの数分、耐えるのに苦労はないはずの短時間。それがまるで永遠だ、なんてのはあまりにも月並みな比喩だろうか。


「私は、なんとなく沙織の話で察してるとは思うが、仕事人間でね」


 そんな僕の沈黙を察してか、あるいは最初からそのつもりだったのか、お父さんは語り始めた。


 運転がおろそかにならないよう前を見る彼の横顔。表情に変わりはなく、そこに後悔も悲哀も寂寞も、少なくとも僕の目には見られない。


「子どもの時分から……今でもそうなんだが、随分寂しい思いをさせたよ」


 確かに、沙織の口から語られる「父親像」はそんな感じだ。彼女のやることをあっさりと受け入れるその寛容も、あるいは「放任」に見えるような。


 ……というより、沙織自身がそう捉えてる、と言った方がいい気はするけれど。とはいえ、ある意味ではそれが全てでもある。


「久しぶりだったよ、私の話をするのに、あんなにころころと表情を変えるのも」


 セルジュに通っていた、という話題のことだろう。口元にわずかに笑みが浮かんでいる。


 アルバイトとはいえ、働き始めて思ったことがある。自分の収入から、その多くを他人(・・)の――自分以外の誰かの為に使うというのは、尋常じゃないってことだ。


「同じ喫茶店に通っていた……たったそれだけのことで、あんな風に。我が娘ながら心配になるくらいだ」


 なんてことを言いながら、声は楽しそうに、わずかに弾んでいる。


「正直なところ、君とのことを聞いても、受け入れるくらいしかできることがなかったんだよ。祝福するにも釘を刺すにも、今更という気がしてね」


 一転、自嘲するような苦い響き。


 あの淡白な反応の理由を聞いて、僕はどう反応していいやら困ってしまう。とはいえ、僕は彼に対して隔意はないし、沙織を寂しがらせたことについて責めるつもりも、その資格も権利もない。あえて、あるいは強いて言えるなら――


「僕も」


 少しだけつっかえながら、僕は前を向いて言葉を探す。失礼のないように、とは思うものの、大人と話す機会がそもそも少ない。


 黙ってそれを待ってくれている沙織のお父さんに、だから僕も応えなくては。


「沙織さんとは、ほとんど接点がなくて。一方的に憧れてる、みたいな感じでした」

「憧れか」


 娘のことを小さい頃から見ていた彼だから、その言葉に少しばかり「おかしさ」を感じたらしい。「すまない」と咳払いをして、続きを促してくれた。


例の事件(・・・・)があって、彼女の方から話しかけてくれるようになりました」

「あぁ……私からは礼も言えてなかったね。その節は本当にありがとう」

「いえ、お礼は十分頂きましたから。それで、一緒に遊んだりするようになって……」


 けれどなんというか、とりとめもないというか、言葉が上手くまとまらない。結論としてはものすごくシンプルで、大人である彼にとっては実に陳腐な話ではあるんだろうけれど。


 僕が言いたいのは、きっかけなんてのは何でもいい、ということ。


 もちろん「犯罪」に巻き込まれるだなんてあっちゃいけないし、「よかった」なんて口が裂けても言えない。


 でも、結果として僕はここにいる。重要なのはそこで、そこだけだ。


「沙織さんと仲良くなって、結果的にではあるんですけど、色々と「向き合う」ことも増えてきて」


 驚くくらいにあっさりと、僕は色々なものを取り戻した(・・・・・)


 頭に浮かぶのは、可愛い可愛い義姉の姿。ずっとずっと、申し訳なさと「今更感」を理由に向き合うことを避け続けてきた。


 ほんの少し、沙織に背中を押された。あっけないくらいに、あやは僕を受け入れてくれた。


「調子がいい、って自分でも思うくらいでしたけど。でも、そうしたら長い間「わだかまってたこと」が、あっさり解決したんです」


 あの時は本当に驚いた。電話越しの店長でさえ、夜遅くにも関わず叱るでもなく興奮気味に詳細を訊いてきたくらいだ。


 もっと早くあやと向き合っていれば、なんてことを思わないでもない。きっとそれでも、なんだかんだ言いながらそれを受け入れてくれただろうと思う。


「本当に、あっさり……」

「そうか。……駄目だな、大人になると、あれこれと考え過ぎて」

「それは、子どもも同じだと思います。……たぶん、沙織さんも」


 そう、彼が考え過ぎて動けないように、沙織だってきっと。


 同じ喫茶店に通っていた、というだけで、彼が実感するほどに態度が変わる。その根底には、「わかり合いたい」という願望が見え隠れしているように思える。


「私はね」

「はい」

「君がコーヒーを淹れている時の、その表情がとても気に入っているんだ」

「……え」


 驚いてしまった。彼が僕のことを見てくれていた、というのもそうだけど、それ以上にその内容に。


「……沙織さんと、同じこと言ってますね」

「お、あぁ……そう、なのかい?」

「いつだったか、そんなことを」


 目を丸くして驚くお父さん。もちろん前は見たままだけど、それを見て思わず吹き出して、「すみません」と謝った。それに応えるように、彼も笑った。


「娘を、頼むよ」

「はい」


 彼にとっては寝耳に水、誕生日パーティに来た唯一の男がいきなり娘と恋人にだなんて、きっと驚いたことだろう。


 ちょっとした印象で、彼はそれを受け入れてくれた。


 きっかけなんて何だっていい、きっと「僕」だって二人を結ぶ「つながり」になれる。あやとぐるみ、セルジュにコーヒー。そういうつながりが、僕と沙織を結んでくれたように。


 ほどなくして自宅に着いた僕は、丁寧にお礼を言って車を降りた。走り去っていくそれの遠ざかっていくランプが、曲がり角に消えていったのを見てから家に入った。




 直後あやに捕まり、連れられた部屋にはぐるみが待っていた。あれ、これちょっと既視感。


 そりゃあ気になるよね、二人先に帰されて、残った僕らに何があったのか。僕をベッドに座らせ、「で?」とでも言わんばかりに立ったまま見下ろす二人。無言の圧力、というものの存在を改めて感じる。


「……付き合うことになった」

「マジかよ」

「わかってたけどねぇ」


 そもそも僕は、この二人に秘密にしようとは思ってなかったし、できるとも思ってなかった。真っ先に報告すべき二人だ。


 マジかよ、なんて言いつつも、あやの表情に驚きはみられない。それが全てだと思う。


「まー、手ー繋いで歩いてたなんて話聞いてたしなー」

「ねぇー」

「……どこから」

「どこでもいーだろ。むしろ知られてないと思ってたことが驚きだわ」


 これがいわゆる、田舎の伝達速度、というやつだろうか。


 とはいえ、漫画でありがちな「秘密にするシチュ」にまるで惹かれない僕としては、ある意味では助かったような気がしないでもない。何しろ窮屈そうで、ギスギスする展開を避けて通れない。


 何より、沙織がそうするわけがないという信頼感がある。


 僕は二人が帰ってからの経緯を、ざっくりと話した。沙織のお父さんから話されたこと、僕が話したことを聞いたあやが、ぽつりと一言。


「……それ、お前が話しやすいように気ー遣っただけじゃね」

「……うん」


 改めて思うと、僕もそう思う。そんな気遣いに、僕は説教染みたことを賢しらに。


 頭を抱える僕の肩に、そっと手が置かれた。少し大きなその手は、ぐるみのものだ。


「わたし、なんか、どこかで「りょーちゃんの魅力がわかってるの、わたしだけ」って思ってたんだよねぇ」

「ぐるみ?」


 上げようとした頭を、今度は小さな手が止めた。あやのものだ。


「でもそれって、りょーちゃんのこと、ばかにしてるよね」

「ちが」

「りょー」


 僕に魅力があるかどうかは置いといて、仮にそれがあると仮定するなら、それをわかってくれるのは間違いなくぐるみくらいだ。義姉であるあやは例外で、あの事件がなければ沙織だって交わることがなかったはずの人。


 少し、無言の時間が流れた。僕は頭を下げたまま、ただ二人のやり取りが終わるのを待つばかり。きっと僕にはもうどうにもできないことで、あるいは言葉をかけることすらすべきじゃないということ。


 やがて声を発したのはあやだった。


「まー、変な後付けの理屈こねて、勝手に納得しようとすんな、ってことだな」

「……わぁ、しんらつ」


 僕も驚いた。なんだかんだぐるみには甘いあやだから、慰めの言葉でも出てくるかと思ってたら。


「横からかっさらっていきやがって、ずりーぞ沙織! くらいでいーんだよ」

「でも、それは」

「勝手でいーんだよ。嘘つきよりよっぽどいーぞ」

「……うぅん」


 そこでようやく頭を上げることを許された僕は、二人を見上げた。腕を伸ばしてぐるみの頭を撫でるあやと、それに身を委ねてぼんやりとした表情のぐるみ。


 かつてよく見た光景。身長こそずいぶん差はついてしまったけど、こうしているとやっぱり、昔のままだ。


「それに、沙織とぐるみがギスったらちょっと面白い」

「あーや」

「……じょーだんだよ」

「あーや……」


 冗談めかして場を和ませるのも……まぁ、多少の本音は含まれてるだろうけど、そこもまた変わってない。


 これをあえて僕の前でやったのにも、きっと意味があるんだろう。あるいはこれで、「区切り」がついたということなのかもしれない。


 今日は本当に色々あった。少し疲れてきたなぁ、と思ってベッドに上体を倒せば、「ここで寝んな」とあやが僕の脚を蹴る。さすがにそれくらいは弁えてるよ、と身体を起こして立ち上がると、部屋を出ようとドアノブに手をかけ――たところで、あやに呼び止められた。


「明日、テニス行けるか?」

「あ、うん。明日なんだ」

「まー、別にいつでもいーんだけどな。とりあえず明日」

「お昼一緒に食べるから、出発十時くらいねぇ」

「わかった」


 ドアを開き、一歩廊下側に出て、ふと思い立つ。


 疲れてたせいなのか、あるいは何か転機を迎えたからなのか。普段の僕じゃあしなかったであろう提案を、二人に向かってしていた。ほとんど無意識に近い、文字通りの「思いつき」。



「朱子君とか、呼んでも大丈夫かな?」





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