誕生日、何かが起こる
自宅に帰ってすぐ、リビングで両親と話すあやに一言「ただいま、お疲れ様」と声をかけ、自室に戻った。紙袋から取り出した未開封のコーヒー豆の保存袋をテーブルに置いて、そのラベルを眺めてみる。オリジナルの名前が付けられるサービスがあって、僕はそれをラベルに書いてもらった。おしゃれなフォントで書かれたそれも、いわばプレゼントの一部だ。
気に入ってくれるかな。僕なりに「沙織のため」を思って作ったつもりだ。少なくとも「おいしい」とは思ってくれるはず。
そうは言ってもやっぱり不安は拭い切れない。
ギフト用の紙袋に保存袋を戻し、テーブルの脇へ。頭を伏せて呻いてみる。「きっとこえる」なんて大言壮語、沙織本人に言うべきじゃなかった。彼女が上げたハードルを、自分でさらに上げてどうするんだ。
パーティまでおよそ五時間。そういえば沙織のお父さんもいるんだっけ。
ああ、どうして緊張を増すようなことばかり頭に浮かぶんだろう。
とはいえ買ってしまった以上はもう引き返せない。これ以上はないと決めたブレンドだ。腹をくくれ――と、これを受け取ってから何度思考を繰り返しただろう。
あや、ぐるみに意見を求めるのも違う気がして、一人で全部進めてきた。
それも間違いだったんじゃないか――
このままじゃダメだ。落ち着くどころじゃない。とりあえず何かしようと思うものの、コーヒー図鑑を見たんじゃ本末転倒だ。となると途端に選択肢がなくなってしまう僕の人生に少し切なさを感じつつ、そういえば勉強会が近いことも思い出す。
らしくはないけれど、自習でもしてみよう。テキストとノートを取り出し、シャープペンシルを手に取って。
思っていたよりも熱中していたらしく、あやから声をかけられてようやくパーティの時間が近いことを認識した。慌てて準備を済ませ、リビングで待っていたぐるみと合流し、両親から渡された手みやげを持って三人で沙織の家に向かう。
あやを中心にして僕が右に、ぐるみが左に。昔みたいな、子どもの頃に帰ったような「フォーメーション」。
「なー、りょーはプレゼント何したん?」
「え、内緒」
「んだそれ。ぐるみは?」
「ないしょぉ」
「……クソ」
別に秘密にする意味もないけれど、やっぱり沙織が開けるのと一緒に驚きたい気持ちもあったりして。何より、なんというか――
このプレゼントはちょっと、僕の中で特別なんだ。
もちろん二人のプレゼントが「特別じゃない」だなんて言わない。あやもぐるみも、沙織を知ってるって意味じゃ僕よりもずっとそうだろう。仲も良いし、お互い「尊敬」できる部分があるのも知ってる。
でもなんだろうな。言葉では上手く言えないけれど。
「そういうあやはどうなのさ」
「……おしえねー」
「だと思ったぁ」
「お前らが教えねーからな!」
拗ねるあやを二人で笑い、その後も談笑は沙織の家まで途切れることはなく――
チャイムに応えて玄関から顔を出した沙織がちょっと拗ねるくらいには、楽しい時間だった。
僕らは沙織を宥めつつリビングに通され、そこで準備をしていたご両親に「お邪魔します」と「よろしくお願いします」をそろえて頭を下げた。
気になっていた沙織のお父さんは、思っていたよりも表情の柔らかな人だった。仕事人間で家族関係が希薄で、そういう印象を沙織から受けていたものだから。
そして何より――
「沙織さんの、お父さんだったんですね」
「ああ、いきなり声をかけられても困ると思ってね。娘がいつも世話になってるようで」
「いえ、そんな」
「え、なにお父さん知り合いなの?」
「知り合いというほどじゃない。行きつけの喫茶店で働いているから知ってるくらいで」
「行きつけなの!? 知らないんだけど!」
娘である沙織でさえ知らない、彼の「習慣」。金曜日の夜八時頃になると、結構な確率でセルジュを訪れる言うなれば常連客。
金曜日である、というところに何か運命的なものを感じる。
「親子そろって同じ日に来てくれてたんだね」
「いや、知らないし……」
「僕もお父さんとは話したことはないけど……かっこいい人だよね」
「知らないし」
「ありがとう。娘が急に仲良くなった男の子がいると妻から聞いていたものだから、気になってはいたが……君なら、よっぽど安心だ」
「いえ、……ありがとうございます」
拗ねる沙織をそっちのけにお父さんと会話を重ねたのが、よっぽど腹に据えかねたらしい。僕の脇腹を軽く小突くと、テーブルの一席に乱暴に腰掛けた。そして僕に視線で訴えかける――隣に座れ、ということらしい。
大人しく従うとようやく機嫌を直し、あやとぐるみを促して四人がテーブルに。ご両親は横のソファで別枠参加、という形のようだ。
「さて、じゃあ今日は私のために集まってくれてありがとう」
沙織の音頭が始まり、僕らは小さなグラスを手に持った。中身はなんとかっていうノンアルコールカクテルらしく、なんというか、おしゃれな家におしゃれな家族だなぁ、なんて思う。
「部活にバイトに、ここの三人には色々とお世話になりまして」
目を閉じてとうとうと語る沙織の口元に笑みが浮かんでいる。それを見て、あやとぐるみ、それから僕も。
「おかげさまでとても楽しい一年でした。今日からまた楽しい一年が始まります」
ところでこういう時なんで敬語になるんだろう、なんて疑問を頭に浮かべて、笑いそうになるのをなんとかこらえた。
「そんな楽しい一年を、また一緒に作っていってくれると嬉しいです」
挨拶を簡単に締めくくり、沙織がグラスを掲げる。続いて僕らも、それから横のご両親も。
「乾杯!」
「かんぱーい!」
声を合わせてそれに応えた。グラスをあっちへこっちへと打ち鳴らし、口元へ。柑橘系のスパークリング。爽やかな酸味と刺激が、舌と喉を走り去る。
賑やかなパーティが始まった。
さすがの親友三人、会話は最初から最高潮で、まずは沙織の挨拶いじりから。笑う二人に、なぜかドヤ顔の沙織。時々振られる話題に僕がぽつぽつと答えると、それでも笑い声が上がってくれる。
料理は沙織のお母さんお手製の、いかにも「パーティ料理」といったメニューの数々。大皿に用意されたパエリヤ、チキンステーキにベイクドポテト、サラダ数種。どれも味付けが程よくて、油気もないから箸が進む。
三人のおしゃべりにおいしい料理。楽しい時間が過ぎるのは早く、ふと時計を見ると既に一時間以上が過ぎている。
「帰りたい時には言ってね、送るから」
「ありがとうございます。九時前くらいになったら、って思ってるんですけど」
「うん。それじゃあ、そろそろケーキ出しましょうか」
気づけば皿は空になり、僕らは立ち上がってその片づけを手伝う。すっきりしたテーブルを一度ふき取り、並べられるケーキはホールのショートケーキ。ろうそくが一本、チョコレートのメッセージプレートの後ろに立てられている。
火が灯されて、部屋の照明が落ちる。
僕らは『ハッピーバースデー』を歌った。あやの誕生日にぐるみの誕生日――僕はそこにいても、参加していなかった。だからこうして歌うのはずいぶん久しぶりな気がする。
暗がりの中、隣に座る沙織に視線を送る。もちろん夜も更けて電気も消えれば、見えるものでもないけれど。うきうきと、歌声に合わせて身体を揺らしているのが不思議とわかった。
歌い終えて、沙織がろうそくを吹き消す。
お母さんの手によって照明が点けられると、「おめでとう」と拍手が鳴った。
「ありがとー!」
会心の笑顔。いつも以上に可愛い。「ケーキ、ケーキ」とうきうきの沙織に、お母さんが「はいはい」と苦笑いで応じる。
これまたお母さんの手によって切り分けられたケーキが各々に配られ、フォークを手に食べ始めた。
……あれ、ひょっとしてコーヒーを出すなら今だったかな。
なんて思ったりもして持ってきた鞄に手を入れたけれど、やっぱりと思い直してケーキを食べた。きっといい店のケーキなんだろう、きめ細かなクリームは程よい甘さで、軽やかなスポンジと爽やかなフルーツが、食後にも関わらずどれだけでも食べられそうだ。
「うめーなー」
「ねぇー。これ、この町のお店じゃないよね」
「ネット通販だねー。ほんとはお店で買えると一番おいしいんだけど」
「買って帰るのに何時間かかんだよって話だよな」
「それね」
あっという間に平らげた僕を、「どんだけ好きなの」と笑う沙織。そういうんじゃないんだけどな、とごまかし笑いを浮かべる僕を、あやとぐるみがからかう。
「りょーも待ち切れねーみてーだし、これ食ったらプレゼント渡すかー」
「お、待ってました」
「結構悩んだよぉ」
「ウチはまー、適当に選んだ」
「ツンデレか」
ケーキはそのまま駆け足気味に食べられて、プレゼントの時間になった。
あやの取り出した小さな箱。ラッピングを丁寧にはがし、沙織が取り出したのは銀色の立派なコームだった。
「これめっちゃいいやつじゃない?」
「おー。そこそこのやつ」
「えー、めっちゃいいじゃん。ありがとー、うれし」
「ハードル上がるなぁ」
「ぐるみ、金額じゃないから」
「そうは言うけどぉ」
適当に、とかいいながら、あやはやっぱりそうなんだよなぁ。まったくこだわりのない僕の目から見ても、そこら辺の安上がりなコームとは違うのがよくわかる。
具体的に何がどう変わるのかはわからないけど、沙織の喜びようを見ればそれが「いいもの」だというのはわかる。
言ってたもんなぁ。髪には気を遣ってるって。そしてあやはたぶん、それを知ってるんだ。加えて、気を遣っていてもそのプレゼントなら被らない、ということも。
そんな気合の入ったプレゼントにげんなりしつつ、ぐるみが差し出したのはこれもまた小さな箱。ラッピングを解けば、小さな丸く浅い缶のようだった。
「スポーツバームじゃん! 気になってたんだよねー」
「よかったぁ、気に入ってくれた?」
「いいよいいよー。ありがと、嬉しい」
それが何なのかはよくわからないけど、どうにも塗り薬のようなもの、らしい。とにもかくにも、喜んでもらえたみたいで、ぐるみの笑顔に安堵感がうかがえる。
そして残るは僕一人。「それじゃあ」と鞄を手に取ったところを、「まった」と沙織が止めた。
「綾人は居残り。二人が帰ったら、淹れて欲しいな」
「……え?」
「んだよそれー」
「あやしぃよぉ」
「コーヒー豆だよ、ネタバレしたげるから」
ぶーぶーと不満を垂れる二人に、それでもなお「帰れ」と冗談めかしながら応じる沙織。
僕はと言えば、鞄に手をかけたまま動けなくなってしまっていた。
夜九時過ぎ、沙織の家。ご両親も止めないとなると、最初から話は通してあったということだろうか。
――何かが起こる。恐らく僕らにとってとても重要な、重大な。そして僕は、頭の隅でどこかそれを予感していた。




