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覚悟しておいてね




 あやにとっては初めての地方予選。娘の晴れ舞台ということで、両親は県外の会場であっても必ず行くと息巻いていた。僕も当然付き合うつもりで、それをあやに話せば少しだけうざそう(・・・・)にしながらも満更でもない様子で。


 部活の仲間たちは強制参加ではないものの、およそ半数ほどは応援に行くらしい。もちろんぐるみや沙織、朱子君もそこに含まれる。


 僕はどっちに混じって行こうかと迷った結果、両親についていって現地で彼らと合流することになった。何しろ電車賃がかからない。


 電車に乗って、乗り換えて、移動時間にしておよそ二時間半。そこから更にバスで三十分。それなりに早くに出かけたっていうのに、ようやく会場にたどり着いた時には既に午前九時半近くにまでなっていた。開会式は既に終わり、もうすぐ第一試合開始というところで、会場は大いに盛り上がっていた。


 地方予選は、個人戦においては六県の県代表二~三人ずつ、計十六人によるトーナメント戦。つまり、四回勝てば全国大会だ。


 なんといっても規模が違う。広い会場にたくさんの人。なんといっても県予選を勝ち進んだ猛者たちだから、その家族たちの応援も熱心だ。ここまで来たら県外でも駆けつける、という人も多いだろう。


 県予選の時とはまた違う空気感。参加者らしき人たちの中に、あの時のように気を抜いている様子の人は一人も見当たらない。ピリピリ、とまでは言わないまでも、どこか張り詰めたような。


 あやもその中の一人。部員たちに囲まれて色々と激励を受けているけれど、笑顔が薄く目に鋭さが宿る。


 一歩離れた位置にいる僕らは、なんとなく声もかけづらく。


 自然豊かな公園のような敷地。幸いにして風はなく、木々は緑を湛えて静かにそこに立っている。短く刈り揃えられた芝生に、アスファルトの道。整然と並んだコートはそれらより少し低い位置に作られていて、僕ら観客はその途中の階段上に座って観戦ができる。


 なんだか落ち着かない。僕が出るわけでもないのに、緊張してしまう。


 なんやかんやの声掛けを終えた沙織が、僕の元にやってきた。


「今日、夜の七時にうちに集合だからね」

「うん。……今?」

「緊張を解してあげようと思って。いくらお姉ちゃんが大好きだからって、綾人がそこまで緊張しなくても」

「……否定もしづらいよ」

「いいねー。ま、とりあえず私のことを考えて落ち着くんだ」


 今日の夜七時。黒瀬家で誕生日パーティーが開かれる。僕もそこに招待されていて、大きなイベントが詰め込まれた一日に忙しなさを感じつつ。やっぱり、楽しみだ。


 あやももう子どもじゃないから、負けたからといってパーティの雰囲気を悪くしたりはしないだろうけど。


 勝てるといいなぁ、色んな意味で。そんな少し打算的な期待と心配に、軽く自己嫌悪。


「沙織はこういう時緊張しないの?」

「そういう時代もありました」

「なるほど。もっと大きい舞台に出てるんだもんなぁ、沙織本人も、その友達も」

「まーね。まー、それとこれとはちょっと違う気もするけど」


 どう違うのかは、やっぱり僕にはピンと来ないけれど。


 両親との会話を終え、僕に向けてサムズアップをしたあやが、コートに向かって歩いていく。これから対戦相手と数分のラリーを経て、ついに本番だ。


「ほら、あやの方がリラックスしてるよ。ほどほどの緊張感もあって、いい感じだねー」

「本気の解釈は違っても、本番強いのは本当なんだよなぁ」

「それは本当にそう。本番であんなに崩れない人、そうそういないってくらい」


 あるいはだからこそ。テニス経験がそこまで長いわけでもないあやがここまで来られたのは、そのメンタルも大きな要因なんだろう。


 ラリーの間も、動きにまるで硬さがない。ぎこちなさがない。ほとんどいつも通りで、それを見ていると僕の緊張まで解れてくるようだ。


 試合が始まると、今いるコートの周囲が静まり返る。誰も彼もがただそれだけに集中して、その静けさの中で誰よりもお互いに集中する二人。サーブはあやから。とん、とん、とボールをコートにつき、リズムをとっていく。


 トスが上がり、ラケットが走る。――歓声が上がった。


「いきなりエースとか、やるなー」

「いい滑り出しだね」

「うん。集中力切らすとかは、あーやはあんま心配いらないしなー」


 私語はそこそこに、プレイが始まれば黙り込んでそれを見守る。とはいっても周りの試合はそれぞれに行われていて、歓声や拍手、プレイ間の私語なんかもそれぞれに聞こえてくる。プロの試合とは違って、こういう場所だと「案外騒がしいんだなぁ」というのが僕の印象。


 高校生の部活らしい、なんとなくそろった掛け声なんかも聞こえてくる。こういう空気は、嫌いじゃない。


 あやは順調にポイントを重ねて、4-2でサービスゲームをキープ。


 僕の左隣の沙織に対して、右隣のぐるみは前のめりになってあやの奮闘に見入っている。僕もよっぽどだと思ってたけど、彼女の力の入りようときたら、本人以上だ。


 見回してみればぐるみだけじゃない、朱子君を筆頭に部員全員が固唾を飲んであやを、あやのプレイを見守っていた。手を握り込んで、まばたきすら惜しいとばかりに。そしてあやがポイントを獲れば手を叩いて歓声を上げる。ポイントを失えば悔しそうに、そしてすぐに励ましの声をかけてくれる。


 僕とぐるみは、あやに引っ張られて大きくなった。だから彼女を頼りにしているし、信じているし、大好きだ。


 あやはだからちっとも変わってなくて、頼られて、信じられて、慕われている。それがわかる。


 それとも、部活っていうのはこういうものなのかな。


 続くゲームを落とし、またサービスゲームをキープ。一進一退の見本のような試合展開はけれど、ここまでだった。


 メンタルが強いあやは、小さな頃から野山を駆け回ったそのスタミナと合わせて、尻上がりだ。大抵の人間は試合が進めば身も心も疲れていくもので、そこを突ければあやは強い――と、沙織が言っていた。


 初めての地方予選、初戦突破。葛木高校テニス部が、その関係者が沸き立った。みんながみんな立ち上がって、手を叩いての大喜び。両親の喜びようといったら、血圧大丈夫かなと心配になるくらいだ。


 かく言う僕もなんだか胸がいっぱいで、立ち上がって言葉もなく、コートから出て行くあやを呆然と見送った。


 ぐるみも。感極まるのはいいけど、抱きつかれたりするとなんというかこう、困る。


「私もやったほうがいい?」

「やめたほうがいいかも」

「あ、ごめんねぇ。ついつい、うれしくて」

「いや、気持ちはわかるから。なんか解放感というか、安心感というか、すごいホッとするね」

「ねぇー」


 身体を離したぐるみが、にこにこと深い笑みを浮かべている。こらえきれない、こらえる気もない、「嬉しい」なんて言わなくてもそれだけで伝わるような。


 なんとなくそれに比べて冷めて見える沙織だって、口元には笑みが浮かんでいる。


「次の試合までしばらくあるし、私ちょっとあやと話してくるね」

「うん。ぐるみも?」

「うん。りょーちゃんは行かないの?」

「じゃあまぁ、一言くらい」


 おそらく沙織の言う「話す」と僕の「話す」じゃ、その中身は天と地だろうけど。コートから出て部員たちにもみくちゃにされているあやを見ていると、ああやって喜びを分かち合うっていうのをしてみたくなる。


 興奮冷めやらぬ部員たちからなんとか抜け出してきたあやが、ぐるみと抱き合う。美しい光景だ。


「やらけー」

「やったねぇ」

「うん。やらけー」


 でも、言動で台無しだ。


 何しろその身長差は二十センチに迫る。顔一つ分ってくらいには離れていて、それとなればそこに顔を埋めるのもたやすいわけで。


 そんなあやの頭を、ぐるみが撫でる。こうして見ると、ふざけているように見えるけれど、やっぱり結構消耗してたんだなぁというのもよくわかる。


「先に綾人話してきて。私ちょっと長くなるから」

「そう? じゃあ」


 僕はそんな二人に歩み寄って、それでもぐるみから離れようとしないあやに声をかけた。


「お疲れ様」

「おー」

「かっこよかったよ、あや」

「おー、だろ」


 思ったよりもすっと、抵抗感なく言葉が出てきた。誉め言葉を言うのは少し照れ臭い、なんて思っていたけれど、そんな懸念もあやを前に露と消えた。


 次もがんばって、なんて月並みな言葉にあやは「任せろ」と笑う。


 続く沙織は、場所を変えて話すらしい。今の試合の反省点と、次の試合の対策。それから個人的な励ましまで。


 僕とぐるみは、両親と一緒に次の試合を待つことになった。ある意味ではもう一人の家族、他人の親とはいっても気心知れた仲で、そんなぐるみを両親もとても可愛がっている。勝利の喜びと、次の試合への緊張感。そういうのを、共有してしまえるくらいの。


 だから、なんだろうか。


 戻ってきた沙織が浮かべた笑顔に、少しだけ違和感を覚えた。正確に言えば、それを浮かべる前に隠した少し悩ましげな表情に。


 気づいたのはたぶん僕だけ。そしてそれに気づいたのも沙織だけ。


 苦い笑みを僕に向けた沙織が、身を寄せて耳打ちした。



「あーや、負けるよ」





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