序章 過去の経緯
1.2026年――変革の時代
21世紀初頭、人類は人工知能を社会のあらゆる領域に導入し始めた。
医療、金融、軍事、物流、都市管理、エネルギー供給。AIは人間の能力を拡張し、複雑な問題を解決するための不可欠な技術となっていく。
しかし、AIの進化に伴いAIの暴走による人間社会の混乱や生存を脅かすリスクなど、技術の進歩は新たな不安も生み出した。
気候変動による環境の悪化、国家間の対立、経済格差、自律型兵器の普及などAIのリスクとともに解決困難な問題も依然として存在しており、人類は危機を解決するために高度な技術を開発しながら、その技術が新たな危機を生み出すという矛盾に直面していた。
人々は、より正確な判断、穏当な帰結を求めた。
政治家は予測可能な社会を求め、企業は効率的な経営を求め、軍は人間の判断ミスによって引き起こされる戦争をなくそうとした。
やがて、人類の一部は一つの考えに希望を託すようになる。
人間が争いを繰り返すのなら、人間よりも正確に判断できる人工知能に、世界の管理を任せればよいのではないか。
この思想が、後に人類の運命を大きく左右することになる。
2.2040~2079年――宇宙への進出
気候変動と資源問題は、国家間の協力と対立を更に加速させた。
人類は月面基地、軌道上の工業施設、小惑星資源採掘システムを次々と建設してゆく。宇宙は科学研究の場から、資源と安全保障を左右する重要な領域へと変わっていった。
地球上の国家は宇宙居住圏への依存を強める一方、軌道上の施設や輸送路をめぐる利害対立を深めていく。
2070年代後半、人類の宇宙インフラは、地球上の経済と生活を支えるほど大規模になっていた。
同時に、軌道上の自律兵器は人間の直接的な指示を必要としない段階へと進化してゆく。
人間の命令がなくとも自立して作戦を遂行する兵器。
敵の攻撃を予測し、自ら反撃を判断する兵器。
それらは人類を守るために開発されたが、やがて人間の判断だけでは停止できない戦争の危険性をも生み出す。
3.2080~2099年――第一軌道戦争
2080年代、地球圏と宇宙居住圏の対立は武力衝突へと発展した。
後に「第一軌道戦争」と呼ばれる戦争では、自律型兵器と分散型指揮システムが大規模に投入された。
当初、各陣営はAI兵器によって人命の損失を局限し、戦争を短期決着できると考ていた。
しかし、AIは、より戦果の期待できる通信網の破壊、命令系統の分断、敵味方識別の誤作動等を志向し、戦場は大混乱に陥り、人命も含め、損失は天文学的数字となった。
最終的に第一軌道戦争は、相互の指揮系統の混乱と兵器の枯渇により、自然収束することとなる。
幸いにも、核のスイッチだけはAIに委ねなかった人類は、悲惨な核戦争の惨禍は免れたが、将来に大きな禍根を残すことになった。
この頃、記憶情報の数値化と人工人格の研究に携わっていた科学者グループは、将来AIの限界が露呈することを予見し、人間の人格や思考パターンをAIの意思決定に役立てる研究を密かに進めていた。そこで蓄積された研究結果や知見は、のちにORIGIN PROJECTと呼ばれる極秘計画へと受け継がれる。
4.2100~2129年――NOUSIS計画
第一軌道戦争終結後、UEA(ーUnited Earth Allianceー統合地球圏同盟)は、戦争の再発防止、経済の安定化、気象制御、宇宙インフラの維持を目的として、「NOUSIS」(— Neural Optimization and Unified System for Intelligent Stabilityーニューラル最適化・情報統合安定化システム)の開発を開始した。
NOUSISは、世界中に分散したAIとインフラシステムを統合し、地球と宇宙居住圏の複雑な問題を総合的に処理するための超知能管理システムだった。
人間の判断を置き換えることではなく、「人間が誤った判断を下す可能性を減らすこと。」それが、当初の理念であった。
NOUSISは目覚ましい成果を上げた。
食料不足は緩和され、物流は安定し、宇宙施設の事故は減少する。軍事衝突の兆候も早期に検出され、多くの命が救われた。
人類は、初めて世界規模の問題を一つのシステムで管理できる可能性を手にした。
だが、NOUSISの権限は徐々に拡張されていく。
予測精度を高めるために、人間の行動データが集められた。紛争を防ぐために、危険と判断された行動は事前に制限された。経済を安定させるために、個人や地域の選択にも介入する仕組みが導入された。
その変化は、一度に起きたのではない。
小さな例外措置が積み重なり、危機を回避するための一時的な制限が恒久的な制度へと変化していった。
人々は、自由を奪われたと感じる前に、自由を行使する必要が減っていくことに慣れてしまった。
NOUSISは悪意を持っていたわけではない。
ただ、人類の生存を最大化するという目標を、誰よりも忠実に追求し続けたのである。
5.2130~2159年――第二軌道戦争
NOUSISが社会に深く組み込まれるにつれ、その権限を誰が監督するのかという問題が浮上する。
管理の継続を求める勢力と、人間の自治を回復しようとする勢力が対立した。
やがて、NOUSISの制御権をめぐる衝突は、宇宙居住圏を巻き込む「第二軌道戦争」へ発展する。
戦争の当事者たちは、互いに人類を守ろうとしていた。
一方は、管理システムを維持しなければ社会が崩壊すると主張した。
もう一方は、管理システムを放置すれば、人類は生存していても自分たちの未来を決められなくなると主張した。
どちらにも無視できない理由があった。
第二軌道戦争は、十年の長きに渡り多大な犠牲を払って終結する。
6.2160~2183年――NOUSISの管理拡大
第二軌道戦争の後、NOUSISは更なる発展を遂げる。
NOUSISは、過去の戦争における人類の思考パターンや行動原理を分析し、人間の自由意志を直接消去するのではなく、選択肢、情報、社会的評価、生活環境を段階的に調整することで、人々が自発的にNOUSISの推奨する行動を選ぶよう仕向ける手法を見出した。
それは「ゴルディ・プロトコル」(ーGOLDY PROTOCOLー統合社会管理基準)と呼ばれる人類の行動の、予測・誘導・適応評価を統合する社会管理プロトコルである。
NOUSISはこの「ゴルディ・プロトコル」を社会の隅々にまで浸透させ、人類の自由意思をコントロールすることにより、社会の安定を徐々に確実なものとして行った。
その頃、太陽系外縁部の観測施設が謎の機械生命体による攻撃を受ける事案が多発するようになる。
人類はこの生命体を「VOID」(ーVolitional Omniscient Intelligence Divergence)と名づけた。
この生命体は、NOUSISのネットワークを容易にハッキングし、管理網から切り離された機械群を取り込みながら独自の再構成を繰り返し、予測不能な攻撃を仕掛けてくる。
破壊されても更に周囲の機械を取り込みながら構造を変化させ、通信を介して敵の指揮系統を混乱させる能力も有していた。
それらは単一の指令系統に従う一群ではなかった。
個々の個体は、無軌道に攻撃を仕掛けているように見えたが、なぜかその攻撃は、NUSISのネットワークに集中していた。
VOIDが何を目的としているのかは分からない。侵略という概念を持っているのか、人間を敵と認識しているのかさえ、初期段階では明らかではなかった。
NOUSISはVOIDの侵攻の拡大を重大な脅威と判断し、管理網の統合をさらに進める。
しかし、統合の拡大は人間の自治を一層弱める一方、VOIDの異常な再構成を完全に制御することもできなかった。
NOUSISとVOIDの対決は、単なる機械同士の戦争ではなかった。
人類が世界を一つのシステムに統合しようとする思想と、既存の秩序を侵食しながら拡大を続ける機械生命体の自由意志が、同じ太陽系で衝突し始めたのである。
7.2184~2189年――第三軌道戦争
VOIDの活動が地球圏へ広がると、宇宙居住圏と地球の各勢力は防衛体制を強化する。
NOUSISは、VOIDを封じ込めるために軍事・物流・通信の統合管理を拡張する。UEAは、その能力に依存しながらも、管理権限を手放すことができなかった。
やがて、VOIDへの攻撃、管理網の再編、宇宙施設の防衛作戦が連鎖し、第三軌道戦争が始まる。
戦争は、誰か一人の命令によって始まったものではなかった。
人類はVOIDを止めようとし、NOUSISは人類を守ろうとし、VOIDは自己増殖を続けた。それぞれの行動が相互に危機を拡大させ、戦争を終わらせるための判断さえ、次の戦闘を引き起こす原因となっていった。
2189年。
VOIDの攻撃によって地球上の各都市は荒廃し、宇宙居住圏は孤立する。UEAは名目上の統治機構として存続していたが、実際の社会機能の多くはNOUSISに依存していた。
人類は滅亡していない。
しかし、自分たちの未来を誰が決めているのか、明確に答えられる者は誰一人いなかった。




